第30話「聖都掌握:その三」
ラントは不正を行った聖職者たちを拘束させ、更に市民たちに公平な裁判を行うと宣言した。
クラガンはその一部始終を見ており、ラントに対する見方が変わった。
(厳しく侮れない人物ではあるが、公正であることは間違いない。恣意的に法を曲げていた教団上層部に比べれば、民のためには遥かにいい……)
更に彼はラントが占領した聖都に入らないことも評価していた。
(民たちが恐れるから町に入らず野営を続けるとおっしゃられた。降伏させた都に入り、聖王陛下が使われていた宮殿に入っても誰も文句は言わないのに……奢侈な生活に染まった聖王陛下たちとは全く違う……ラント陛下にこの国を任せた方がよいのではないのだろうか……)
彼は司教という地位にありながら、魔帝に国を任せた方がよいと考えたことに苦笑する。
(ラント陛下は我々よりもトファースの教えを体現している方だ。魔帝であるということに拘る必要はないのではないか……)
トファース教は初代魔帝グラントの時代に生まれ、苛烈な支配に対抗するため、人族の心の拠り所として広まった。
教義は善行を積むことにより来世での幸福が約束されるというもので、善行の一つに弱者の積極的な救済がある。これは帝国の支配下にあった人族が生きていくためには、相互扶助が不可欠だったからだ。
クラガンは聖者と呼ばれるだけあって教義に忠実で、弱者である民衆のことを一番に考えている。そのため、トファース教にとって最大の敵である魔帝であっても、民のためになるなら協力すべきではないかと考え始めていた。
(ラント陛下によって、聖都ストウロセスにいる枢機卿と大司教は一掃された。つまり、陛下は私が民衆のために働きやすいようにしてくださったということだ。その期待に応えなくてはならないな……)
クラガンは気合を入れ直すと大聖堂に入り、実務を担当していた司教や司祭たちに指示を出していった。
ラントはクラガンの掌握に目途が立ち安堵するが、残りの懸案に頭を悩ます。
(クラガンの忠誠は勝ち取れそうだが、民衆の忠誠度を上げるには足りない。僕は今回の進攻作戦で多くの王国兵を殺している。特に聖都やその周辺から志願した義勇兵が多かったと聞く。家族や知り合いを殺された者がすぐに僕に忠誠を誓うとは思えないからな……)
他にも懸案があった。
(この国の政治体制はあまり好きじゃない。宗教国家っていうのはどうもイメージがよくないからな。何とか政教分離ができないかな……)
神聖ロセス王国の政治体制はトファース教団のトップである聖王が統治者となり、枢機卿を始めとした聖職者たちが司法、立法、行政の三権を担っていた。
そのため、宗教家にありがちな独善的な者が政治を動かしており、帝国という明確な敵がいなければ、いつ崩壊してもおかしくない状況だった。
(クラガンは聖職者としては好ましい人物だけど、政治家としての能力は未知数だな。彼が民衆の心を掴み、有能な政治家が実務を担当するような体制にできればいいんだけど……そんなことを言ったらグラント帝国の体制も
ラントは自分が有能な支配者だとは思っていなかった。
(僕が何とか上手くやっていられるのは、“魔帝”という存在が神格化されているからに過ぎないんだ。勘違いしないようにしないと……政治体制もそうだけど、王国軍をどうするかも頭が痛いな。特に
聖騎士隊は帝国軍に降伏したが、帝国に忠誠を誓ったわけではなく、武装解除に応じただけだ。
聖騎士隊は神聖ロセス王国軍では最強の部隊で、単体の戦闘力で鬼人族のハイオーガに匹敵する。
また、王国では権威もあり、国内に置いておくと反乱の火種になりかねないとラントは考えていた。
(いっそのこと、聖王に合流させるか。
ラントは単純な戦力としては聖騎士隊を脅威に思っていなかった。ハイオーガに匹敵するといっても、僅か七百名しかおらず、帝国軍の敵ではなかったからだ。
天馬騎士団も同様で、家族を人質に取るといった策は考慮すらしていない。
(もう一つあったな。勇者をどうするかな……)
ラントは勇者バーンのこと思い出した。バーンは
帝国軍はその所在を把握し、行動を起こしてもすぐに対応できる体制になっていた。
(今の勇者は正義感が強いだけで能力は低いらしい。だとすれば、ロイグと同じように勇者の称号を剥奪される可能性が高い……そういえば勇者の称号ってどうやって剥奪するんだろう? 簡単にできるものなんだろうか?)
先々代の勇者ロイグを亜空間に閉じ込めたが、新たな勇者が生まれたことからトファース教には勇者の称号を剥奪する方法があると考えていた。
ラントは諜報官である天魔女王アギーを呼び出した。
「君に調べてもらいたいことがある」
「どのようなことでもお命じください」と敬愛するラントからの頼み事ということで、嬉しそうな表情を浮かべている。
「枢機卿たちに勇者交代の方法を聞き出してほしい。必要なら暗黒魔法を使ってもいい」
「承りました。それだけでよろしいでしょうか?」
そこでラントは別のことが頭に浮かんだ。
「聖王の選出についても聞き出してほしい。今の聖王が生きている状態で、新たな聖王を選出できるのか否か。可能だとすれば、何が必要か。その辺りを調べてくれると助かる」
「クラガンを聖王に据えるのでしょうか?」
「いや、そこまではまだ考えていない。クラガンが聖王として我々の役に立つか分からないからな」
「承知いたしました。では調べてまいります」
アギーが退出すると、ラントは王国軍のウイリアム・アデルフィを呼び出すように命じた。
アデルフィは義勇兵である聖トマーティン兵団の生き残りの兵士たちを故郷に戻すため、帝国軍との窓口となっていた。そのため、すぐに天幕に現れる。
アデルフィは疲れた表情をしていた。
「義勇兵たちの帰還は順調か?」
「はい。陛下のお陰をもちまして、聖都や近隣の出身者は既に軍を離れ、家に戻っております。あとは北部と西部の町から来た者たちですが、食糧や宿の手配を始めたところです」
「必要なものがあれば、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」とアデルフィは頭を下げるが、ラントが状況を聞くだけに呼び出したのではないと気づいていた。
「御用の向きはどのようなことでしょうか?」
「聖騎士と天馬騎士の家族、それに聖職者で希望する者を聖王マグダレーン殿の下に送ろうと思っている。そこで君に確認したい。君は聖王の下に行きたいと考えているか?」
その問いにアデルフィはすぐに答えなかった。
彼は市民を見捨て、家族と側近のみを引き連れて逃げ出した聖王に対し怒りを覚えていた。また、聖都を包囲しつつも、市民に犠牲者が出ないように配慮したラントに尊敬の念を抱き始めている。
しかし、尊敬していた上司、ペルノ・シーバスから魔帝討伐を託されており、その板挟みとなっていたのだ。
ラントはアデルフィを見て迷っていると感じた。
「私としては行かないでほしいが、君がどうしても私と戦いたいというのであれば止めはしない」
「陛下と戦うつもりはございません。私の指揮では陛下に勝てませんし、これ以上兵士が死ぬのを見たくはありませんから」
「それは助かる。今は難しいだろうが、いずれ私の下で働いてほしいと思っているからな」
その言葉にアデルフィは驚く。
「私は陛下に何度も剣を向けております。それでもよろしいのですか?」
ラントは笑みを浮かべて小さく首を振る。
「別に私個人に恨みがあって剣を向けたわけではないのだろ? 軍人として命令を受けて戦っただけだし、その命令を出した者ももういない。私は優秀な人材を逃がしたくないのだ。先ほども言ったが、すぐでなくてもいい。心の整理がついてからで充分だ」
内心では自分を高く評価してくれていることに驚いていたが、「ありがとうございます」とだけアデルフィは答えた。
「では、引き続き義勇兵たちのことを頼む」
アデルフィは一礼すると天幕から出ていった。
ラントは満足げにアデルフィの後姿を見ていた。
ラントとしてはアデルフィが聖王のところに向かうことだけは避けたいと思っている。聖騎士たちは脅威にならないが、軍事の天才である彼を野放しにすれば、帝国軍に大きな被害が出るためだ。
そして、その可能性がなくなったことに安堵していた。
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