第29話「聖都掌握:その二」

 ラントは新たに神聖ロセス王国の代表となったクラガン司教に対し、指示を与えていた。

 彼は民衆への対応について説明を始めるに当たり、謝罪の言葉を口にする。


「民たちが飢えていることは知っている。我が帝国を守るためとはいえ、彼らには苦しい思いをさせたこと、本当に申し訳ないことだと思っている」


 クラガンは魔帝が謝罪の言葉を口にしたことに驚くが、「ありがたき、お言葉です」と言って素直に感謝の言葉を述べる。


 かつての主君、聖王マグダレーンは飢えた市民に剣を向け、クラガンの目の前で多くの命が失われている。

 それに比べれば、言葉だけであったとしても、民のことを案ずるラントに好感を抱いたのだ。


「食糧等の必要物資についてだが、当面は我が軍から市民、兵士を問わず全員に支給する。だが、我々の手持ちも無限ではない。そちらでもできる限り食料は集めてほしい。大聖堂や騎士団本部はもちろん、枢機卿ら聖職者たちの屋敷にもある程度の備蓄があるだろう。それを今日中にすべて集め、明日の朝、我が軍の支援部隊に渡してほしい」


「承知いたしました。そのように命じます」


 クラガンは疑問を持つことなく頷いた。


「少し先のことになるが、既に王国の北部や西部の町に食糧の供給は要請してある。これから連絡を送るから、五日後には第一便が聖都に届くはずだ。その対応については君たちに任せる。貴国の官僚組織がどの程度残っているかは分からないが、早急にその準備も頼む」


 クラガンは帝国が聖都以外にも軍を派遣していることに驚き、言葉を失った。


「既に要請……既に王国全土に手を打っておられるとは……」と独り言を呟く。


 その言葉にラントは律儀に答えた。


「当然のことだろう。我が配下にはエンシェントドラゴンを主力とする天翔兵団がいるのだ。さすがにすべての町はまだだが、周辺の都市、具体的には西部のアシュリンディル、北部のモラガとケルハイベンは既に我が支配下にある」


 アシュリンディルは聖都の西約五十マイル(約八十キロメートル)にある港町で、商業国家カダム連合からの航路に当たり、多くの物資が蓄積されている。また、船を使った輸送により、早期に物資の運搬が可能だ。


 北部のモラガは約六十マイル(約百十キロメートル)、ケルハイベンは約百十マイル(約百八十キロメートル)内陸にあるが、いずれも大河であるロセス河の水運が使えるため、こちらも物資の輸送に適している。


「で、準備の方はやってくれるのか?」と言葉を失っているクラガンに問いかけた。


「う、承りました」とクラガンは焦り気味に答える。


「私はグラント帝国の魔帝であるが、庇護を求める者は我が臣民と分け隔てなく扱うつもりだ。その点だけは理解してもらいたい」


 クラガンはその言葉に頷くことしかできなかった。


 話が終わり、クラガンはラントの前を辞した。天幕を出たところでようやく緊張が解け、ゆっくりと息を吐き出した。


(あの魔帝は若いが、侮れぬ。いや、魔帝であるから若くない可能性もあるが……いずれにせよ、民を守るためには魔帝に膝を屈するしかないのだ。そのことを皆に理解させなくては……)


 クラガンは大急ぎで大聖堂に戻っていった。


 クラガンとの会談を終えたラントはすぐに会議を始めた。


「クラガンは現実が見えている。だが、私と帝国に対し、心から従っているわけではない」


 その言葉に天魔女王アギーが頷く。


わたくしも同じことを感じましたわ。まだ、人族の神への信仰の方が強いのではないかと思います」


 アギーの言葉にラントは頷く。


「確かにそうだな。だが、彼の忠誠度は当初思っていたほど悪くなかった。問題は聖都の民の忠誠度だ。今後は積極的に慰撫して、彼らの忠誠度を上げなくてはならない……」


 ラントは情報閲覧でクラガン個人と聖都市民の忠誠度を確認していた。クラガンは忠誠度三十二と“従属”だが、聖都市民は忠誠度二十五と“隷属”であり嫌々従っている状態だった。


「……そのためには充分な食料と安全が重要だ。食料については既に確保しているから、市民たちの安全について考える必要がある」


「奴らが反抗的な態度を取らなければ、安全は約束されていると思うんだが。他に何かあるんだろうか?」


 鬼神王ゴインが疑問を口にする。

 市内に入る駆逐兵団を預かる彼にとっては気になるところだからだ。


「確かに明確な敵はいないし、我が軍に私の命令を守れないような不届き者もいない。そのことは私が一番分かっている……」


 その言葉にゴインと巨神王タレットが大きく頷く。


「だが、王国の民にとっては帝国の戦士は恐ろしいものだ。そして残念なことにこの国の人々は帝国の言葉が通じない。冗談の類やからかいであっても恐怖の対象となる可能性がある。窮屈に感じるとは思うが、帝国のため、そして私のためにもう一度、綱紀の引き締めを図ってもらいたい」


 そう言ってラントは軽く頭を下げる。

 それに対し、ゴインとタレットが同時に「「御意」」と答えた。


「アギーにもやってもらいたいことがある」


「どのようなことでしょうか? 何なりとお申し付けください」


「早急に隠密行動が得意な者を大聖堂に向かわせ、枢機卿たちに張り付けるんだ」


「承知いたしました」とアギーは答えるが、ラントは説明を続けていく。


「彼らの行動を監視し、教団や王国の財産を持ち出さないか見張るんだ」


 アギーは得心が言ったという感じで頷く。


「どさくさに紛れて盗みを働く者が出るということですわね」


「そうだ。それから屋敷にも潜入させ、食料庫を探らせてくれ。恐らく隠し持った食料があるはずだ」


 それにもアギーは大きく頷く。


「民たちが飢えている中、民たちのために食料の供出を命じたのに、自分たちの分を確保していたと訴えるのですね」


 ラントは大きく頷く。


「その通りだ。先ほどクラガンには五日後にしか食料は届かないという情報を与えたが、既にアシュリンディルには伝令を送ってあるから、早ければ明日にでも届く」


 そこで人の悪そうな笑みを浮かべる。


「クラガンの情報を枢機卿たちが聞けば、自分たちの分を確保しようとするはずだ。特権階級の者が飢えに耐えられるとも、自分たちが虐げていた平民に分け与えるとも思えないからな」


「それらを証拠にして、民たちに腐敗の現状を見せつけるのですね」


「大聖堂の前に市民たちを集め、その場で証拠と共に公表する。その上で盗みを働いた者、不正に食料を隠していた者の処分を行う」


「特に食料を隠し持っていたという話は、聖職者への信頼を大きく損ないますわ。さすがは陛下です」


 アギーは熱い視線で賞賛を贈る。


「それもあるが、私が不正を許さないという姿勢を見せることも目的の一つだ。まだ調べていないが、恐らくこの国では不正がまかり通っていたはずだ。そのことに民衆も諦めていただろう。それを変える」


 ラントは税と裁判の公正を約束し、それを守ることで王国民の忠誠度を上げるつもりでいる。

 実際に成果は上がっており、最初に占領したサードリンの町の忠誠度は少しずつだが確実に上昇していた。


 また、ラントが公正であることを示すことで、国民に尊敬されているクラガンを引き込み、支配を盤石なものにしようとも考えている。


 もし、聖職者たちが全員食料を供出した場合、ラントの策は失敗に終わる可能性があるが、彼はあまり心配していなかった。


(捏造するという手もないわけじゃないが、ばれたら信頼を失うから今回はするつもりはない。これまで特権階級にあり官憲の手が入ったことはほとんどなかったはずだ。それに僕がどこまでやるかもまだ分かっていないんだ。全員が命令通りにするとは思えない……)


 ラントの予想通り、一部の聖職者が教団の財産を持ち出しただけでなく、枢機卿と大司教のすべてが食糧を隠した。


 その量は平均すると十日分以上であり、三日前から食料の配給が止まっていた市民たちから大きな怨嗟の声が上がる。


「大聖堂は俺たちのことなんて考えたことはなかったんだ!」


「子供の分だけでもとお願いしたのに……」


 それらの声を聴いた枢機卿らは傲慢な表情を崩すことなかった。


「我々は戦争の指導で倒れるわけにはいかなかったのだ。お前たちとは役割が違う。それが罪だというのか?」


 一人の枢機卿が言った言葉にラントは首を横に振る。


「私はクラガン司教を通じ、食糧の供出を命じた。諸君らは正当な理由なく、私の命令を守らなかった。これは充分に罰する理由となる」


「し、しかし……」と枢機卿は反論しようとした。


「裁判は行うから、そこで弁明すればいい。もちろん、この程度のことで死罪にはしないが、有罪となれば、何らかの罰は受けてもらう」


 裁判が行われることと死罪ではないという言葉に、枢機卿らは安堵の表情を見せる。

 逆に市民たちの怨嗟の声は静まらなかった。

 それに対し、ラントははっきりと宣言する。


「私は公平な税と裁判を約束した。これはこの国に住む者すべてに対してだ。私も民を犠牲にして自分たちだけがいい思いをしようとする者は好きになれない。しかし、好きになれなくとも公平な裁判を受ける権利を侵すつもりはない」


 その言葉で市民たちはラントを見直す。

 ラントは不正を行った聖職者を拘束するよう命じた。


(僅かだが忠誠度も上がったし、トファース教の支配階級の連中を一掃することもできた。これでクラガンの邪魔をする者はだいぶ減ったはずだから、彼の忠誠度を上げればこの国を上手くコントロールできるはず……)


 ラントは自分の策が上手くいったことを満足していた。

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