第21話「揺さぶり」

 五月十七日。

 時は聖都ストウロセスにおいて聖者と呼ばれるクラガン司教を釈放した翌日まで遡る。


 聖王マグダレーン十八世は魔族が聖堂騎士団テンプルナイツを貶め、それを噂として流しており、クラガンはその噂に踊らされたという発表を行った。


 その結果、市民たちは落ち着きを取り戻したかに見えたが、五月二十日にテスジャーザ陥落の報が届くと、再び動揺し始める。


 彼らが動揺した理由だが、城塞都市テスジャーザが水攻めで陥落したという情報もあるが、それ以上に神聖ロセス王国軍が市民を強制的に疎開させ、財産の持ち出しをほとんど認めなかったという情報が衝撃を与えていた。


「カイラングロースの次は聖都ここだぞ。早めに逃げ出さないと一文無しで放り出されることになっちまう」


「そうは言うがな、行く先にあてがあるのか? 俺は生粋の聖都っ子だから、他の町に頼るあてなんてねぇんだよ」


「それは俺も同じよ。それにどこに逃げても奴らは追いかけてくるんだ。それならいっそのこと降伏してくれた方が俺たちにとっちゃ助かる。何といっても今回の魔帝は降伏した民には優しいらしいからな」


 アードナムは王国に不利になる情報だけでなく、ラントが占領地で行っている政策についても噂として流していた。


「税金は半分くらいになるって話だ。それにナイダハレルじゃ、軍に殺された者の家族に弔慰金が渡されたって聞いた。今の上よりよっぽどいい」


「滅多なことは言うもんじゃねぇぞ。だが、俺もおんなじ思いだ。町が壊される前にさっさと逃げ出してくれた方がよっぽどいいぜ」


 アードナムはラントが行ったことについては事実だけを噂と流していた。また、その噂は交通が遮断されていない東の港町から入ってくる情報と整合が取れており、聖都の市民たちは徐々に信じ始めている。


 ラントは船を使った人の往来については禁じなかったが、聖都に物資、特に食料が持ち込まれることを禁じた。これは占領地域の情報が入るようにしつつも、市民に不安が広がるようにするためだ。


 ラントの思惑通り、東からの物資の流入が減り、食料品などの価格が上昇し始める。また、食料不足が起きるという噂をアードナムが広め、それに煽られた一部の商人たちが買い占めを行い、それが連鎖的に広がっていく。


 その結果、普段物が溢れている市場から食料や消耗品が消え、市民たちは食料を求めて大聖堂に向かった。


「食べ物を分けてください! 子供が食べる分だけでもいいんです!」


「教会が買い占めたって噂があるぞ! 転売して儲けるつもりか!」


 そんな声が大聖堂前でこだまする。


 聖王は日に日に悪くなる状況に頭を抱えていた。


「どうにかならんのか……」


 聖王の呟きにフェルディ枢機卿が小さく首を振る。


「軍の物資は一応残っておりますが、これを放出すれば、兵が飢えることになります。そうなっては戦えません」


 その言葉にレダイグ大司教は同意するように頷く。


「枢機卿猊下のおっしゃる通りです。ですが、この聖都に食料が全くないわけではありません」


「どういうことだ?」と聖王が聞く。


「今食料が不足しているのは商人たちが買い占めたからです。彼らは値が上がるのを待ち、在庫を出し渋っているのです。ですから、商人たちから強制的に徴収し市民に放出すれば、食料問題は解決いたしますし、悪徳商人を罰したとして、民たちの支持も得られるでしょう」


 その提案に対し、フェルディが反対する。


「商人たちを敵に回すというのか? 今後の教団の運営に支障が出る恐れがあるが」


「私も最善の手であるとは思っておりません。ですが、ここで手を拱いていては市民たちが暴動を起こすでしょう。そうなれば、商人たちだけでなく、教団も狙われることになるのです。彼らは大聖堂に食料を求めて集まってきているのですから」


 レダイグの言葉に聖王は頷く。


「市民の暴動が起きれば商人たちの命すら危うい。ならば、我々が先に穏便に回収し、民たちを抑えるために使った方が結果として商人たちのためになる。レダイグ大司教よ。守備隊と共に商業地区に赴き、商人たちから食料等の物資を徴収してくるのだ」


 レダイグは「御意にございます」と丁寧に頭を下げ、部屋を出ていこうとした。


 しかし、フェルディがそれに押し留める。


「それは危険です。まずは戦時下における食料の買い占め及び不正な備蓄を禁ずる法令を発布し、それを基に強制的に物資を集めてはいかがでしょうか。それならば、商人たちも納得するでしょうし、上手くいけば我々が手を下さなくとも食料を放出するかもしれません」


 聖王が意見を言う前にレダイグが反対する。


「それでは遅いと思います。十万人以上の市民が暴動を起こせば、容易には鎮められません。そうなったら脱出も不可能になるかと」


 フェルディも自分たちの脱出に影響するという指摘を受け、「そうかもしれぬ」と意見を翻した。

 その言葉で聖王は決断する。


「レダイグ大司教に命ずる。直ちに商人たちから食料を徴収し、市民たちに配るのだ」


 レダイグはすぐに行動を起こした。

 守備隊の兵士を使い、商人たちの倉庫を強引に開放する。

 市民たちは奪い合うようにして食料を持ち返っていった。


 大損害を受けた商人たちはレダイグに苦情を申し立てるが、彼はそれに冷ややかに応じた。


「諸君らが買い占めなければ、このようなことはせずともよかった。我々はそれを正しただけだ」


 商人たちはその言葉に反発するが、正面からクレームを言っても受け入れられないだろうと口を噤む。


 しかし、レダイグたちがいなくなった後、食料を奪われた商人たちは皆、教団に対して強い怒りを覚えていた。


「これじゃ、野盗と同じだ!」


「我々は法に反したことはやっていない! 教団の人気取りのために大損害を受けたんだ!」


「これなら魔族の国の方がよほどマシだな。魔帝は法に則って裁判をすると約束したそうじゃないか……」


 トファース教団は商人たちの支持を失った。

 更にレダイグが企図した市民たちの支持についても成功したとは言えなかった。

 市民たちは聖王たちの対応が場当たり的で、すぐに食料が不足すると思っていたためだ。


 聖王たちはそんな状況を改善することができず、暗い雰囲気に包まれたまま時が流れていく。


 五月三十日の午後、アストレイの戦いで勝利したグラント帝国軍が聖都ストウロセスに現れた。


 ウイリアム・アデルフィ率いる義勇兵、聖トマーティン兵団三万がアストレイの丘で迎え撃つことになっていたが、戦闘開始の報告もなく、帝国軍が突然現れたため、パニックに陥っている。


 予兆はあった。

 その三時間ほど前に大聖堂で新たな勇者が生まれたのだ。


 これはアストレイで勇者ユーリが戦死したことを示しており、聖王たちは今後の対応方針、具体的には脱出について話し合っているところだった。

 そんな状況で突然、聖都の空を龍が舞い、パニックに陥った。


「こんなに早く……これでは脱出できぬではないか……」


 聖王は護衛として精鋭である聖騎士パラディン約七百と天馬騎士ペガサスナイト約一千を引き連れて脱出計画を検討していたが、龍が現れたことで脱出する術がないことに愕然とする。


 落胆する聖王をレダイグが励ます。


「まだバーギ王国や他国の増援が到着する可能性があります。特に飛竜騎士団が来てくれれば、天馬騎士団と共に脱出することも可能かと。ですが、まずは民たちを落ち着かせることが重要です。そのためには陛下に演説を行っていただく必要がございます」


「そうだな」と聖王は頷き、大聖堂のバルコニーに向かった。


 聖職者たちが風属性魔法の拡声の魔法を発動したことを確認すると、聖王は大聖堂の下の広場に集まる市民たちに向けて演説を行った。


「敬虔なる信徒たちに告ぐ! 確かに魔族軍が現れたが、まだ負けたわけではない。既に近隣の国々には救援を要請し、飛竜騎士団がこちらに向かっているという情報も得ている。また、魔族軍は迎え撃つ我が軍を回避し、ここ聖都に向かった可能性が高い……」


 聖王は希望的観測を事実であるかのように話していく。


「聖都の守りは充分に硬い! しかし、長大な城壁を守るためには兵力が足りぬ。戦える者はぜひとも志願してもらいたい……」


 その時、ラントによる降伏勧告の声が響く。


『神聖ロセス王国の聖王に告ぐ! 我が軍はアストレイの丘で貴国軍に勝利した。また、我が命を狙ってきた勇者も倒している。この他にもバーギ王国の飛竜騎士団の大半を倒し、残りは捕虜にした。この後、貴国に向かわせるが、援軍に期待しても無駄である!……』


 聖王の希望的観測をラントは意図せずすべてを否定していく。

 聖王は言葉を失い、聞いていた市民たちにも不安が広がっていった。


「……既に知っていると思うが、私は降伏した者を我が国の国民と同様に扱っている。無駄な抵抗はやめ、降伏することを勧告するものである! 聖王の賢明な判断を期待する! 以上!」


 ラントの言葉が終わると、龍たちが上空で咆哮を上げる。

 その様子に聖王は口を開けて見上げることしかできなかった。

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