第3話「現状把握」
降臨の間から廊下に出ると、歴史を感じさせる荘厳な作りにラントは圧倒された。
大理石のような白亜の石で作られ、床には深紅の絨毯が敷かれている。壁際にはラントが見ても一流と思われる大きな陶器の花瓶が置かれ、そこには色とりどりの花が活けられていた。
廊下の上部にあるアーチ状の窓からは日の光が差し込み、美しい影を作っている。
そこで初めて、ラントは今が昼間だと気づいた。
「昼過ぎくらいか……僕が家を出ようとしたのは七時過ぎだったんだけどな……」
その呟きにエスクが律儀に答える。
「降臨の儀式は正午に行われましたので」
時間の経過がおかしいことで、ラントは自分が別の場所に来たことを更に強く感じていた。
その後は会話もなく、魔帝の私室に到着する。
応接室を兼ねたリビングのような部屋があり、部屋付きのエンシェントエルフのメイドに豪華な革張りのソファに案内される。
そこに座ったところで、エスクが話を始めた。
「先ほどは失礼いたしました。彼も悪気があったわけではないのです。今の帝国の状況を鑑み、思わず口を突いたのでしょう」
「状況ですか?」とラントは力なく聞く。
「はい。人族も魔帝陛下が降臨されることを察知したようなのです。ここ数年では考えられないほど強力な軍隊が国境の砦を攻撃しております……」
「砦を攻撃、つまり僕を殺しに来たということですか……」
「そのようです。昨日送られてきた報告では、人族側は勇者を先頭に立て、膨大な数の兵士がブレア峠に入り、攻撃を開始したとのことでした」
その数を聞き、ラントの不安は更に大きくなる。
「膨大な数……どの程度なのですか? それより勝てるのですか?」
彼の問いにエスクはすぐに答えることができず、僅かな間が空いた。
「正確な数は分かりません。それに砦の兵たちも国を守るため、全力を尽くして戦います。もちろん、私たちもこれから戦場近くに向かい、国境を死守するつもりです」
勝てるのかという問いに答えていないことにラントは気づいた。しかし、そのことを口にすることはできなかった。
(いきなり死ぬのは嫌だ。でも僕に何かできるのか? 人間関係で会社を辞めたような僕が、一癖も二癖もあるような人たちを率いて……)
ラントは大学卒業後に入った大手商社を僅か半年で辞めている。人間関係に悩んだからで、その後は大学の先輩のバーを手伝いながら、何かあってもすぐに辞められる人材派遣会社に登録した。
(いや、神が僕を選んだのなら、何かできることがあるはずだ。今は情報がなさすぎる。検討するための情報が必要だ……)
ラントは腹を括った。そして、エスクに話しかける。
「この世界のこと、この国や他の国のこと、さっき降臨の間にいた人たちのこと、スキルや魔法のこと……分かる範囲で全部教えてください」
そう言って頭を下げる。
エスクはその行為に慌てて、「頭をお上げください!」と叫ぶ。
それから一時間ほどかけてこの世界について説明を受けた。
グラント帝国は人口二十万人ほどで、“
帝国の周囲には五千メートル級の大山脈があり、軍隊が通れるルートは南部のブレア峠に限られると教えられる。
他にも帝国内の地理や各種族の特徴などについて説明を受けるが、他国については大した情報は得られなかった。
エスクの説明では、ここグレン大陸には複数の人族の国があること、帝国に攻め入ってくるのは南側に位置する神聖ロセス王国で、他には商人の国カダム連合があることが伝えられた。
他には敵国の種族に関する情報で、地球の人類に近い人族の他にはエルフ族、ドワーフ族、獣人族、ハーフリング族などの亜人種と呼ばれる種族がいる。但し、亜人は人口が少なく、人族に支配されているらしいと教えられた。
「人族は多いという話ですが、どれくらいいるんですか?」
エスクは小さく首を横に振る。
「よく分かっていません。ですが、ロセス王国の指揮官が“五百万の同胞”という言葉を使ったと記憶しております。カダム連合の商人の話では七ヶ国あるそうですから、少なくとも三千万人はいるのではないかと……」
「人口で百倍以上……いくら古の者が一騎当千と言っても数で圧倒されるんじゃないか……敵の兵力は何万人くらいなんですか?」
ラントの呟きにエスクが頷く。
「兵士の数については正直全く分かりません。ただ、どれだけ倒してもすぐに攻めてきます。数万という数ではないのではないかと……」
「数万……相手の戦略は分かりますか?」
「詳しくは……ただ、人族の支配者たちは兵士がいくら死のうと、我が国の兵士を僅かでも減らせれば勝利だと考えているようです。我が国の兵士は人族に比べ精強ですが、比較的数が多い鬼人族を除けば、一人欠けるとその穴を埋めるのに数十年を要しますので」
ラントは眩暈がする思いだった。それでも更に情報を得ようと質問を続ける。
「敵の支配者に関して分かっていることを教えてください」
エスクはなぜそんなことを聞くのだとでも言うように小首を傾げる
「ロセス王国の王は聖王と呼ばれているようです」
ラントはその先の言葉を期待するが、エスクはそれ以上口を開かない。
「聖王の下にはどんな組織があって、どのような政治を行っているのですか? 軍隊は騎士団が主体ですか? それとも傭兵が主体ですか? 指揮官は世襲制ですか? それとも実力主義なのですか?……」
思いつく限りに聞いていくが、エスクは泣きそうな顔をして、「申し訳ございません。私は存じ上げません」と謝罪するだけだった。
あまりに情報がないことに愕然とするが、自国のことなら答えてもらえるだろうと質問を変える。
「帝国の戦略はどのようなものですか? 話を聞く限り専守防衛のような気はしますが?」
ようやく自分が答えられる質問ということでエスクは安堵の表情を浮かべる。
「おっしゃる通りです。先ほど説明いたしましたブレア峠ですが、幅は狭いところで十五メートルほどしかなく、頂上に作られたネヴィス砦で迎え撃つ方針です」
この時、エクスは高さや幅の数字を別の単位を用いて説明しているが、ラントの持つ自動翻訳のスキルにより、彼に馴染みがある“メートル”という単位に変換されていた。
「では、砦の指揮官は誰なのでしょうか? 先ほど主だった人がすべてここにいたと思うのですが?」
「ブレア峠は鬼人族の支配地域ですので、鬼人族の戦士長の誰かが指揮を執っているはずですが……名前をお知りになりたいのでしたら、ゴインに確認いたしますが」
帝国の重鎮であるはずのエスクが、最重要拠点の指揮官の名を知らないことに、ラントは唖然とする。
「それには及びません……先ほど、ブレア峠に皆さんで向かうとおっしゃっていましたが、どうやって戦うつもりなんでしょうか?」
この時、ラントはまともな答えが返ってくることに期待していなかった。そして、彼の予想通りの答えが返ってくる。
「とりあえずブレア峠の入口にあるブレア城に赴き、そこで現地の状況を見てから合議で決めますが?」
当たり前のことをなぜ聞くのかという顔をされる。
ここに来てラントはこの国が人族に征服されなかったのは奇跡だと思い始めていた。
(情報もない……戦略もない……組織も適当で国として成り立っていない……確かに一騎当千なんだろうけど、人族に負けなかったのは奇跡だな。神が僕を選んだ理由が分かった気がする。少なくとも僕ならこんな行き当たりばったりの対応はしない……殺されないためにも自分にできることをやるしかない!)
ラントは生き残るために気合を入れ直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます