魔帝戦記

愛山雄町

第一章「帝国掌握編」

第1話「召喚」

(まさか何の力もない僕が人間側の勇者と戦うことになるとは……だが、これを乗り越えないと、僕はこの国の人たちから見放されてしまう。何としてでも勝たなければ……)


 真柄まつか嵐人らんとは粉雪が舞う山中の砦で、人間の軍隊を見下ろしていた。


 彼の視線の先には全身鎧フルプレートアーマーに純白のマント、左手にはカイトシールドを持った兵士たちがきれいに整列し、彼に向かって剣を突き出していた。


 ラントの後ろには身長四メートルを超え、鋼のような筋肉を纏った一体の鬼がいる。武器は一切持たず、東洋の格闘家のように上半身をさらけ出し、悠然と立っていた。


 その後ろには白銀の巨大な龍が翼を広げ、その冷たい銀色の瞳で人間の軍隊を見下ろしている。


 更にその横には純白の美しい毛皮の巨大な狼、フェンリルが鎮座していた。獣の瞳ではあるが、高い知性を感じさせ、神獣という言葉が自然と浮かんでくる貫禄を持つ。


 人間サイズであるため目立たないが、その前には蝙蝠の翼を持つ妖艶な美女が微笑んでいた。好戦的な雰囲気は微塵もないが、纏う魔力が尋常ではなく、黒いオーラのようなものが揺らめいている。


 更にその周りには鷲獅子グリフォン妖魔デーモンなどが並び、魔物と悪魔の混成部隊であることは一目瞭然だった。


「ゴインは勇者を引き留めろ!」


「承知!」と鬼が不敵に笑いながら答える。


「アルビン、君は後衛の連中を始末してくれ!」と龍に向かって叫ぶ。


『任せろ』と龍は念話で答え、悠然と舞い上がる。


「アギーは勇者の仲間、盾を持った戦士に精神攻撃!」


「お任せくださいませ」と美女が微笑みながらゆっくりと宙に浮かぶ。


「ダランは私の護衛と勇者への牽制だ!」


『御意』とフェンリルがゆっくりと立ち上がる。


 それを見たラントは砦の城壁の最前列に行く。彼の後ろにはメイド服を纏った美女が付き従う。美女の耳は長く、親しみを感じる笑みを浮かべていた。


「エレン、拡声の魔法を頼む」


「承りました」とエルフの美女はいい、呪文を唱えていく。すぐに魔法が完成し、ラントに目で合図を送った。


 それを見たラントは敵の軍隊に向け、余裕の笑みを見せながら言い放った。


「勇者を僭称する暗殺者よ! 私が第九代魔帝、ラントである! 我が精鋭と戦い、勝利すれば、貴様のような下賤な者であっても、私自らが直々に戦ってやろう! 勇者を名乗る矜持があるなら、我が前に出てこい!」


 その言葉は魔法によって山の中に響いていく。


 人間側の隊列が二つに割れた。その間を巨大な斧を担いだ蛮族のような出で立ちの戦士が悠然と歩いてくる。


「ガハハハッ! 望み通り、勇者オルト様が出てきてやったぞ! ノコノコと現れてくれて感謝するぜ! どうやって引きずり出そうか悩んでいたんだ、こっちとしてはな!」


 野卑な笑みを浮かべてそう言うと斧を構える。


「貴様が勇者だと? 野蛮人の間違いではないのか? 王国軍の兵士たちよ! こいつは本物の勇者なのか?」


 その嘲笑に勇者が切れる。


「減らず口を叩いたことを後悔させてやる!」


 それだけ叫ぶと、勇者は猛然と走り出す。


 これが“最弱にして常勝無敗”と謳われた、魔帝ラントの初陣であった。


■■■


(ここはどこだ……)


 真柄まつか嵐人らんとは柔らかな光を感じ、覚醒した。

 背もたれの高い大きな椅子にもたれかかるようにして寝ており、古い聖堂のようなフレスコ画のような荘厳さを感じさせる絵が描かれたアーチ状の天井が目に映っていた。


(アパートから出るところだったはず……そう言えば、靴を履こうと思ったら魔法陣みたいな模様が……)


 彼は二十六歳の派遣社員で、一ヶ月ほど前から派遣されている会社に出社するところだった。しかし、突然現れた眩い光に包まれたところで記憶が途切れていた。


「お目覚めでしょうか」


 ソプラノの心地よい響きの声が彼の耳朶を打つ。


 ラントはその声に反応し、ゆっくりと顔を向けた。そこには輝くような純白の神官服を身に纏い、緑石エメラルドを溶かしたような美しい緑色の髪と瞳を持つ、神秘的な美女が片膝を突いていた。


 ラントはその美貌に一瞬目を奪われたが、それよりもその耳に視線を奪われた。その姿に見覚えがあり、思わず口を突く。


「えっ、エルフ?!……」


 そして、更に周囲を見回すと、その美女の他に七人の男女が片膝を突いて頭を下げていた。


 更に自分がいつも着ている安物のスーツではなく、黒を基調とした、袖に金色の飾りがついた軍服風の服を着ていることに気づいた。


(何のコスプレだよ……)


 そんなことを考えるが、未だにこの状況が理解できず、夢を見ているのだと思っていた。

 ラントが落ち着いたと思ったのか、くだんの美女が再び頭を下げ、話し始める。


「祭祀を司っております古森人エンシェントエルフのエスクと申します。陛下におかれましては、混乱されておられると思いますが、まずはお名前をお聞かせいただけますでしょうか」


 そこでラントは初めてまともに話していないことを思い出した。


「し、失礼しました。私は真柄まつか嵐人らんとと申します」


「ありがとうございます。ラント・マツカ様ですね」


 ラントは一瞬疑問を感じた。日本式に苗字から名乗ったのに、名前が先になっていたためだ。しかし、それ以上に聞きたいことがあった。


「は、はい。混乱しているので、いろいろと聞きたいんですが……」


 そこでエスクはニコリと微笑む。


「ご懸念はお察しいたしますが、まずはここにいる者たちの紹介をさせてください」


 優しい笑みだが有無を言わせない雰囲気に、ラントは口を挟むことができず頷いた。


「古龍族の長、エンシェントドラゴンのアルビン」


 エスクがそう言うと、純白のロングコートのような装いで、身長百九十センチほどの鍛え上げられた肉体を持つ、銀髪の美丈夫が顔を上げる。

 銀色の瞳から放たれる鋭い眼光に、ラントは射すくめられ、小さく会釈することしかできない。


 その後、次々とそこにいる者が紹介されていく。


「魔獣族の長、フェンリルのダラン……鬼人族の長、ハイオーガロードのゴイン……古小人族の長、エルダードワーフのモール……」


 いずれも人の姿をしているが、存在感の強い者たちばかりだった。


「死霊族の長、ノーライフキングのオード……」


 見た目は魔導師風のローブを身に纏った白髪の老人なのだが、目が合った瞬間、ゾクリと皮膚が粟立ち、背中に冷たいものが流れた。生命の根源が感じる恐怖が襲い掛かってきたのだ。それでもエスクは構わず、紹介を続けていく。


「巨人族の長、エルダージャイアントのタレット……」


 巨人族というだけあって、片膝を突いていてもその顔の位置は椅子に座るラントの視線より高かった。


「妖魔族の長、サキュバスクイーンのアギー」


 アギーは胸元が大きく開いた漆黒のドレスを纏い、魅惑的な肉体と妖艶な美貌を持つ女性だ。名を呼ばれた瞬間、ラントに対し微笑みながらルビーのような赤い目でウインクを送ってきた。


 その様子にエスクは僅かに眉を顰めるが、そのことに言及せず、話を始めた。


「私を含め、ここにいる者たちが帝国の主要八部族、いにしえの者の長でございます」


 ラントは理解が追いつかないが、とりあえず頷くことしかできなかった。


「……此度、五百年に一度の降臨の儀式により、魔帝陛下がご降臨されました。我ら、帝国の臣民は陛下のご降臨を心より歓迎いたします」


 そこで彼女を含めた八人が一斉に頭を深く下げる。


「えっと……確認させてください。降臨ということは、僕が、いえ、私がその魔帝という存在ということなのでしょうか? そもそも魔帝とは何者でしょうか?」


 本来ならこの異常な状況にパニックに陥ってもおかしくないのだが、まだ現実感がなく、余裕があったため、質問が可能だった。


「魔帝陛下は我らの国、グラント帝国の正統な支配者であり、八つの属性の魔法を司る我らいにしえの者を統べる方でございます。魔法を司る王を統べるお方ということで、“魔帝”と神が名付けられました……」


「魔法を司る王……魔王を統べるから魔帝か……」


 納得したように呟いたものの、その意味を全く理解していなかった。

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