あなたと美貌のご令嬢の恋のキューピットになってあげましょう!【なずみのホラー便 第117弾】

なずみ智子

あなたと美貌のご令嬢の恋のキューピットになってあげましょう!

「あなたと美貌のご令嬢の恋のキューピットになってあげましょう!」


 ある日突然、何の前触れも因果もなく、ハンスの前にキューピットが現れた。

 しかも、このキューピットは、自分と美貌のご令嬢との恋のキューピットになってくれるらしい。


 いったい、どういうことだ?

 女神ヴィーナスの息子に特別扱いされるような心当たりはない。

 これは神の気まぐれってやつか?

 金も身分も才能も何も持たぬ一人の若い男に、身分不相応な施しを与えてやろうという慈善活動の一種なのだろうか?

 

 なんにせよ、うまい話には絶対に裏がある。

 そもそも、このキューピットが”本物のキューピット”であるという確証はない。

 災いをもたらさんとしている悪魔だとのその類のものが、キューピットの形をとって自分をたぶらかしに来たのかもしれない。


 美貌の令嬢との恋愛や結婚なんて、別に俺は望んでない。

 ただただ地道に、真面目に、身分相応に、自分にも他人にも多くを望まず、生きていきたい。


 無言のままハンスは後ずさった。

 そして、そのまま家へと一直線に駆けだした。

 背後からキューピットの「え? あ、あの、ちょっ……!」と慌てた声が聞こえてきたも、振り返ることなく、そのまま家へと逃げ帰った。



 キューピットがハンスの前に現れたのは、それきり……とはならなかった。

 最初の邂逅から二十四年後、再びキューピットはハンスの前に現れた。

 正確に言うと”ハンスの前に”ではなく”ハンスの長男の前に”であったが。


 そう、美貌のご令嬢との間に繋がれていたかもしれないご縁に振り向くことすらなかったハンスは、二十四年の月日の間に妻を得て、複数の子を成していた。

 ちなみに、その子どもたちであるが、姿かたちはともかくとして、その性根にハンスから受け継がれたと思われるものは欠片も見当たらなかった。


 地道に、真面目に、自分にも他人にも多くを望まず、生きてきたはずのハンス。

 他人に迷惑をかけたり、危害を加えたりすることなど一度たりとてなかったハンス。

 そんな彼であるのに、自分の子どもたちが村の者たちに迷惑をかけたり、悪さをしでかす度に頭を下げて回らねばならなかった。

 昔からハンスを知っている村の老人たちにも、「あの悪ガキたちは、本当にあんたの子なのかね?」と首を傾げられることも多々あった。

 彼の胸というか胃は、まるで抜けない弓矢が突き刺さったかのように、いつもキリキリと痛み続けていた。

 まさに生き地獄であった。


 そして、あろうことか、キューピットはハンスの子どもたちの中でも一番体も大きく、一番手が付けられない長男に「あなたと美貌のご令嬢の恋のキューピットになってあげましょう!」と、声をかけてきたのだ。

 

 長男は当然、それに乗ろうとした。

 こんなうまい話は二度とあるか、俺は金持ちの綺麗な女のハートを射止めて、その女の体も財産も好き放題できるってことだよな、と。


 ハンスは当然、それを止めようとした。

 うまい話には絶対に裏があるんだ、よく考えてみろ、この村での生活しか知らないお前がいきなり社交界に入ってやっていけると思っているのか、人間、身の丈にあった人生を送るのが一番なんだ、と。


「……ンだよ! 俺がこんなチンケな村で生まれ育つしかなかったことも、てめえみたいなショボい親父の元に生まれたのも、俺のせいじゃねえ!! せっかく息子が成り上がれるって時に邪魔するのが、親のすることかよ!!!」


 憤怒で顔を真っ赤にし、喚く長男。

 その長男に加勢するように、次男、長女、次女、三女も揃って喚き出した。


「てめえは引っ込んでろ! クソ親父!」

「兄さんが逆玉に乗るのを邪魔なんてさせないわよ!」

「こんな父さんなんて、早く死んじゃえばいいのに!」

「死んじゃえ! 死んじゃえ!」


 自分の子どもたちに罵倒され、というよりも罵倒など飛び越えた惨い言葉を吐きつけられても、ハンスはなおも諦めなかった。

 自分の子が誤った選択をしようとしているのを止めることができるのは、親である自分しかいない。

 諦めてはいけない。

 たとえ、子どもたちに今以上に憎まれようとも、決して……。


 ザクリ。

 突如、自分の頭頂部から発せられた音が何であるのか、その音が何を意味しているのかをハンスが悟る前に、彼の顔は彼自身の血で染まった。


 その”滅び”の音は一度では終わらなかった。

 農作業用の鎌は、彼の頭部だけでなく、肩や背中までをも幾度も切り裂いていった。

 これでもかというほどに。

 ザクザクザクリ、と何回も何回もハンスが事切れるまで。


 ハンスの血を集中的に浴びることになった”ハンスの妻”は、血まみれの凶器を握りしめたまま、もう何もできなくなった夫を見下ろした。


「本当に最期まで馬鹿だったねえ、この人は……なんで、こんなつまらない男と結婚しちまったんだか……”私の人生最大の選択ミス”だよ。息子の一人が逆玉に乗りさえすれば、残された私たちの生活だって潤うってのに。この人のこの性格じゃ、今まで色んなチャンスを不意にしてたに違いないさ。地道に、真面目に、自分にも他人にも多くを望まず生きてきた、この人の人生っていったい何だったんだろうねえ」


 ハンスを殺害し、彼の人生を強制的に終わらせた張本人である妻は、どこか遠い目をしたまま言った。

 目の前で、猟奇殺人なおかつ家庭内殺人をしっかり目撃してしまったキューピットは、木の影でガタガタ震え続けていたが、ハンスの妻の視線を受け、さらにビックウゥゥ! と震え上がった。

 震え上がらずにはいられなかった。

 

「あんた……こういうことの目撃者となった場合は、担当分野は違えど、ハデスさんとやらが支配している死者の国にこの人の魂を運ぶよう手配するべきだろ。船で行くのだかなんだか知らないけど……。この人の体の方は私たちで埋めるなり、何なりするからさ。あんたたたちの領域においても、”これ”を早いとこ片づけとくれ」


 キューピットは言うことを聞くしかなかった。

 この男が二十四年前に自分の申し出を受け入れてくれていたなら、こんな妻や子どもたちを持つこともなければ、血も涙もない気の毒な最期を迎えるという悲劇だけは避けることができていただろうに、と思いながら。


「それはそうと……あんたがうちの息子に持ってきた『美貌のご令嬢となんやらかんやら』って話だけど、ちゃんと責任を持って最後まで遂行しとくれよ。私たちにうまい話をチラ見せするだけチラ見せといて、途中で手を抜いたり、トンズラしようなんてしてみろ、そうは問屋が卸さないよ」


 またしても、キューピットは言うことを聞くしかなかった。

 あの営業文句を繰り返すしかなかった。


「あ、あなたと美貌のご令嬢の恋のキューピットになってあげましょう…………」



(完)

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