ボツになった話 3
1章と2章の間くらいのお話。
小話に入れようと思っていて忘れ去られていたのでボツになりました。
ある日少年は、赤の王国の王宮に招かれた。招かれたというか、半ば拉致じみていたのだが、少年を連れてきた張本人である赤の王に拉致したつもりはないのだろうと判っていたので、少年も黙っていた。
なんでも王曰く、
「金の国からリアンジュナイルで高名な画家の作品を数点譲り受けたものでな。お前はこういうものが好きだから、これは見せてやらねばと思ったのだ」
ということらしい。確かに少年は刺青のデザインをしたり趣味で絵を描いたりするため、王の言葉は事実だったのだが、言った覚えがないのに相変わらず何で知っているんだろう、と薄ら寒くなったりした。
そして例の如く王獣を使って唐突に少年の家を訪れた王は、王宮を出たのも唐突だったらしく、少年と王が王宮の一室に降り立って早々に、
「ロストォ!! てめぇまた出奔しやがっていい加減にしろよ!!」
という怒声と共にロンター宰相が乗り込んできた。
自国の王の後ろ襟を引き摺って出て行こうとした宰相は、そこでようやく少年の存在に気づいて申し訳なさそうな顔はしたものの、どうしても王に処理させなければいけない執務があるのだと言った。
王を連れて行くのは一向に構わないのでこくこくと頷いた少年だったが、どうにも優しい宰相は少年を一人で置いていくことに抵抗があったらしい。
一応、絵を見るという名目で連れて来られたのではあるが、あれは国王へと贈られた物なので、さすがに一人で勝手に見せる訳にはいかない。かと言って、王が執務を終えるまで、客人である少年を一人放っておく訳にもいかない。というのが、ロンター宰相の考えである。
別に一人には慣れているのだから特に気にもならないのだが、心優しい宰相は恐らく譲らないだろうことが察せられたので、少年は黙っていた。
グレイも今は所用で出てるし、どうしたもんかな、と困り顔をした宰相に、首根っこを掴まれたままの王が、それならばと口を開く。
「グレンを構ってやってはくれないか、キョウヤ」
は? と少年は思ったし、目を見開いた宰相も同じようなことを思ったらしい。
少年は思わず背後を振り返り、先程まで自分と王を乗せてくれていた王獣を見た。王獣は王の方を見ていたが、その後少年の方に視線を移し、金の瞳と目が合う。ぱっと目を逸らした少年が王に向き直ると、王は暢気ににこにこと笑いながら、撫でてやれば喜ぶぞ、などとペットに対するかのような言葉を続けた。いやいや。
無理矢理とは言え、今日は既に王獣の背に乗るという畏れ多い行為に及んでいるのに、その上撫でろというのはどういうことか。第一自分のような汚い存在が触れたら、この綺麗な獣が汚れてしまうかもしれない。
諸々の心情を籠めて少年は首を横に振った。何はともあれ無理だ。
ところが王はいっそあっけらかんとしたくらいに笑ってみせた。
「なに、グレンだとてお前と仲良くしたいと思っているさ。なぁ、グレン?」
そんなわけあるかと呆れ返った少年だったが、背中を急に強く押され、びっくりして振り返った。見れば件の王獣が、その頭をぐりぐりと少年の背中に押し付けているではないか。どういうことだ。
顔を青くした少年が王獣から身体を離すべく後ずさるも、離した傍から距離を詰められてしまう。頭を摺り寄せてくるような動作は、まさに撫でろと要求するペットのようだが、自分がそれをされる謂れはない。
「ぃ、……いや、あの……まって、ください、僕に触ったら、王獣様が、汚れて……」
「何を言うキョウヤ、仮にも王獣がその程度で汚れるものか。それと、王獣などと総称で呼ばず、グレンと個の名で呼んでやってくれ。ひとまとめにされてはグレンも寂しかろう」
「え……いや……」
そんなわけあるかと本日二度目の思いを抱いた少年は、王に好き勝手言われている王獣の様子を窺った。いっそ王獣が怒ってくれれば話が流れるだろうと思ったのだ。
ところが王獣は怒る気配は愚か、不機嫌そうですらなかった。寧ろ、擦り寄るのを止めてじっと少年を見てくる姿は、早く名を呼べと主張しているようにも見える。その上、名で呼ばれたいだろうグレン、という王の声に、王獣がこくりと頷いて応えるものだから、少年の顔色はますます悪くなった。
「いやでも……おうじゅ、」
割と四方八方塞がれている現状を把握しつつ、なおも悪足掻きしようとした少年に対し、王獣はどこか寂しそうにきゅぅんと鳴いた。
(うっ……!)
かわいい。別に動物好きではないが動物嫌いでもない少年に、その様はとても可愛らしく見えた。見えてしまった。少年は目に見えて言葉に詰まる。
そもそも王獣はとても美しい獣だ。美しいのは正義だ。それだけで素晴らしいものだ。少年は、美しい存在にはこの上なく弱いのだ。
とうとう追い詰められた少年は、しかしふと、この場にいるもう一人を思い出す。ロンター宰相ならば、自分と同じような反応をしていたのだから、助けてくれるのではないだろうか。
(……っ、さ、宰相、様、)
藁にも縋る思いで少年がそちらへ目を向けると、宰相は酷い頭痛に苛まれているかのように、目を閉じてこめかみに手を当てていた。そして必死の視線を送る少年を見て、宰相は微笑みを浮かべた。何もかも諦めた笑みだった。
見捨てられたことを悟った少年が顔を引き攣らせると、不意にその顎がすっと取られて上を向かされた。
炎を孕む金色が、真正面から少年を見つめている。
「それでは、グレンと仲良くな、キョウヤ」
「……………………はい」
うっとりとした少年に、宰相は僅かに哀れむ目をしたが、何も言わなかった。
王は少年の返答に嬉しそうに微笑み、そっとその額にキスを落とすと、宰相と連れ立って扉へと向かう。すぐに戻ると告げられた言葉でハッと我に返った少年だったが時既に遅く、扉はぱたんと閉められ、二人の姿は消えてしまった。
呆然とする少年に、王獣は急かすかのように再び頭を摺り寄せてきた。
どうしようかと思った少年だったが、今まで諦めの人生だっただけあり、大概諦めの良い性格をしているので、どうしようもないのだと理解してからはさっくり諦めることにした。
王獣を撫でる、という行為に対する抵抗感は相変わらず物凄いのだが、撫でないと何故撫でないのだという目で見られたし、王獣様と呼ぶと抗議するように唸られた。怖い。
身体の横に膝立ちして撫で出せば、王獣は床に伏せてじっとしていた。時折気持ち良さそうに喉が鳴る。いいのかなぁこれ、いいのかなぁと思っていた少年だったが、段々感覚が麻痺してきたのか、こうなればとことん気持ち良くしてあげようと奮起した。人はそれを毒されているという。
それに、王獣の毛がとても気持ちいいのがまた良くない。少年が以前泊まった王宮の布団もふかふかで気持ち良かったが、それよりもずっと気持ちいいのだ。柔らかというには少々硬いが、ふかふかと量があって、手触りは存外に滑らかである。表面ではなく皮膚に近い奥のほうの毛は細かく、こちらはもっと柔らかくて、ふわふわしていた。気持ちいい。そして何より、少年にとって最重要なことだが、触っても不思議と熱くない炎の毛皮は、再三言うがとても綺麗なのだ。
少年は普段意識が散漫で集中力や注意力の類はふんわりしているが、職人気質というか、一度嵌りさえすれば一点に集中するのは得意だった。他事に一切気が向かなくなるという欠点でもあったが、ただ一つに取り組むのには向いている。
撫でて気持ちよくすることに集中しだした少年が、それに没頭するまでそう時間はかからなかった。少年よりずっと大きな身体のいたるところを撫で、身体の震え方や喉の鳴らし方を窺いながら、嫌そうなところは避け、逆に良さそうなところを見つけては集中的にそこを撫でまわす。撫で方も色々と試してみて、場所ごとに一番心地よさそうな撫で方を実行した。
打ったとおりに反応が返ってくるのは存外楽しくて、王獣が当初に比べてどこかぺたんと溶けている姿を見て、少年はいつの間にか微笑んでいた。
「……気持ちいい、ですか?」
ぽつりと勝手に口から零れ落ちた言葉に、王獣は小さく鳴いて返事をした。随分と満足そうな声音のそれに、自覚なく少年の笑みが少し深まる。珍しいくらいに穏やかな表情だった。アニマルセラピーの効果は高い。
王獣の全く威厳がない姿も相まって、その頃には少年も随分落ち着いた心地になっていた。顎の下をくすぐると喉が震えるのがよく判る。金の国が襲撃された際に見た王獣は、力強く勇ましい美しき獣だったけれど、今はのんびり可愛く美しい獣だ。
「……強くて、かっこよくて、可愛くて、綺麗で……王じゅ、……グレンは、すごいですね」
心底感心した声で言うと、王獣は閉ざしていた目をすっと開けて、ちらりと少年の方を見た。穏やかな金の双眸と目が合って、今度は目を逸らすことがなかった。あることに気づいたからだ。
「……貴方、あの人に似てる」
赤い毛に金の瞳。脳裏に浮かんだ影と比べれば、目の前の赤はくすぶる赤銅よりもずっと鮮やかな炎の色をしているし、目の前の金の瞳の中に不可思議に美しく揺れる炎は存在していない。それでも、色合いだけでなく、大きな身体で意外と静かに動くところとか、強く勇ましい部分もあるのにそれとは真逆の印象を抱かせるときがあるところとか、何故か自分に懐いているような素振りを見せるところとか、思えば色々共通点がある。
口にするとよりその思いが強まって、ひとり納得した。他の国の王獣を見たことはないが、王と王獣は似るものなのだろうか。
そんなことを考えていると、王獣は今までで一番機嫌の良さそうな声で鳴いて、少し身体の向きを変えるとまた少年に頭を摺り寄せる。ぱちぱちと瞬く少年は、視界の端にぶんぶんと左右に揺れる尻尾を認めた。似ている、と言ったのがそんなにも嬉しかったのだろうか。ただの率直な感想だったのだが、そうも喜ばれるとなんとなく少年も嬉しくなる。
「グレンは、あの人のことが大好きなんですね」
わぅ、と小さな吠え声はなんとも誇らしげだった。堂々としたその姿は、眩しくも美しい。
大きな頭をわしゃわしゃと撫でる。控えめに、けれど確かに笑いながら。さすがに飼おうという気は起きないけれど、それでも、ペットって良いなぁ……とぼんやり思う少年だった。
王が淀みない歩みで廊下を歩いていく。目指す先は勿論、愛しい少年が待っている部屋だった。
宰相がその後ろをついているのは、仕方なしとはいえ待ちぼうけを食らわせることになってしまった子供に改めて謝罪をするためだ。
宰相から見て、王は随分ご機嫌のようだった。それが実際どうなのかは判らない。だが、王の初恋の相手が絡んでいるから、もしかすると本当に機嫌が良いのかもしれない。
幼い頃から王を知る、自覚なくとも王を崇拝している宰相は、だったら良いなぁ、キョウヤに感謝しねぇとなぁ、と少年の姿を思い浮かべた。
一人にしてしまったことを謝れば、あの子供はきっと恐縮しきってしまうだろう。だが、けじめをつけることは大切だ。だから、謝罪をしないという選択肢は存在しない。とはいえ、気鬱にさせるのも本意ではなかった。
何か良い感じに丸め込むのに有効な手段はないだろうか、と考えていた宰相は、数歩先で目的地のドアを開けて佇む王に眉をひそめた。
「ロスト?」
「レクシィ、声を落とせ」
「あ?」
王の言葉に訝しげな顔をした宰相は、しかし反射的に指示に従い、声どころか気配をも抑えて王の隣に並んだ。そして、そのまま部屋の中を覗き込んだその目が、ぱちりと丸くなる。
「……案外豪胆だな」
「そんなところもまた愛らしいだろう?」
二人の視線の先には、身を丸めて床に伏せている王獣と、それに凭れるようにして静かに眠っている少年の姿があった。
やることもなく温かいものに触れていると眠くなる、というのは判らないでもないが、それにしたって、世界でもぶっちぎり最高級の布団で安らかに就寝とは、なんというか肝が据わっている。
宰相が呆れ混じりに感心すると、何故だか王は嬉しそうにした。
少年の様子を鑑みたら、まともに触れることなく終わるのではないか、と思っていた宰相だったが、そうはならなかったようだ。恐らく、王に託されたと判断した王獣が頑張ったのだろう。
「グレン、キョウヤの相手をしてくれてありがとう。無事仲を深められたようで何よりだ」
傍に近づいた王がそう言ってグレンの頭を撫でてやると、部屋の前に王を見つけた時から既に左右に揺れていた尻尾が、千切れんばかりにぶんぶんと振られる。傍らに寝ている王の愛し子を気遣ってか音を小さくした鳴き声は、完全に主人に甘えるペットのそれと同じ響きをしていた。
リアンジュナイル大陸のどの国を見ても、また長き歴史を紐解いても、ここまで王獣に心許され預けられた王はいない。というよりも、恐らく信頼の種類が違うのだ。王と王獣は対等であり、その対等に見合う信頼を互いに抱いているものである。だが、当代の赤の王と王獣の関係は、その枠から逸脱していると宰相は思っていた。対等ではなく、まさしく主従のようなものを感じるのだ。
普通ならば異質に映るその光景は、しかし宰相、いや、宰相を含む国民たちにとっては僥倖である。なにせこの国の民はこぞって当代の王を信仰しているため、王が歴史的に見ても稀なる存在であるという事実は、王の素晴らしさの証明であると捉えられるのだ。
相手が最高の王なのだから、そりゃあ王獣だってデレずにはいられないだろう。だって最高なのだから。
そんな理論の末に許容されているのが、この光景なのである。
「ぐっすりだな。疲れているのかもしれんなぁ」
そう言って少年の頭を優しく撫でる王に、その疲れの一端を担っているのはお前じゃないのか、と教えるべきかどうか迷った宰相は、結局言及しないことにした。
その代わりに、自分もそっと王に近づいて潜めた声で問う。
「で、どうするんだ?」
「起こすのも忍びない。目覚めるまでそっとしておこう。構わんな、グレン?」
こくりと頷いた王獣に、こちらも満足そうに王は頷いた。
「いつ起きるか判んねぇけど、暫く寝てるんだとしたら、今日は泊まりになりそうだな」
「元よりそのつもりだとも。絵画の鑑賞をさっと済ませる、ということもないだろうからな」
「……お前、ちゃんとキョウヤに了承取ってんだよな?」
「了承?」
「いや、泊まりになるって」
「ああ、問題ない。金の国からの道中で、ゆっくりしていってくれと言ったら、頷いていたぞ」
それは本当に了承なのか。
そんな考えが一瞬よぎった宰相だったが、まぁロストが言ってんだからそうなんだろうな、と無理矢理自分を納得させることにした。本当に許可を得ているのかどうかは知らないが、相手が本気で嫌がることを強要する王ではないし、まあ大丈夫だろう。多分。
そんなことを思いながら、少年を見つめる王を眺める。その顔に浮かぶ優し気な笑みが珍しく人間めいていて、宰相はそっと目を細めたのだった。
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