各国壁ドン事情 黄の国編

 活気に満ちた黄の国の市場。その一角が他にも増してとても賑やかに姦しい。

 きゃあきゃあと黄色い声と、たまに混じる野太い声。その中心にいるのは、黄の国の王であるクラリオ・アラン・リィンセンだった。

「クラリオ様ぁー!」

「ああん、今日もとってもかっこいいー!」

「はーい皆ありがとー! 皆も今日も可愛いよぉ!」

 ぱちん、とウインクをした陽気な声がそう言えば、王を取り巻く女性陣からは一際高い嬌声が沸き上がった。

 リアンジュナイル大陸一の女ったらしプレイボーイとして名を馳せる彼は、今日も今日とて城を抜け出し、城下にて女性たちと戯れることに精を出していた。

 ちなみにいつもの如く、ほぼ無断の外出である。ほぼ、と表したのは、完全なる無断外出ではないからだ。黄の王は王宮を抜け出す際、必ず誰かにそれを告げてから出て行くのである。と言っても、丁度近くにいた人間に、それじゃあ俺ちょっと女の子と遊んで来るからよろしく、と一言告げるだけで、基本的に返事は聞かずに飛び出していくので、某赤の王と比べればマシという程度のものだ。ただ、黄の王自身はこうして外出を宣言することで免罪符を得ようとしているのか、誰も捕まらなかった場合は一応書き置きを残していく、という律儀っぷりを発揮している。どうせ発揮するなら別のところで発揮しろ、とは王獣リァンの心の声である。

 ちなみに王自身は、女性の様子を見に行くのは公務の一環だ、と公言して憚らないため、外出に対する罪悪感は欠片も抱いていない。王である俺が公務をして何が悪いのか、と自信たっぷりに言ってのける王に、最早臣下たちは諦めている様子だった。

 そんなわけで本日も公務に余念が無い王は、女性陣に全力で愛想を振りまいたり、男性陣に乾いた対応を取ったりと忙しない。

 そんな中、とある女性がそれを言い出した。

「クラリオ様ぁ、あのぉ、お願いがあるんですけれどもぉ」

「なになになぁにー? 可愛い君の頼みだったらぁ、俺なんでもしちゃう!」

「私ぃ、クラリオ様に壁ドンして頂きたいんですぅ」

「ん、壁ドン?」

 王が首を傾げた瞬間、王を中心に騒がしかったその場が、水を打ったように静まり返った。

 突然の沈黙が支配する中、黄の王はするりと自然な動きで、壁ドンを要求してきた女性を近くの壁に追い詰めると、

「こう?」

 とん、と壁についた両腕の間に件の女性を閉じ込めつつ、身を屈めて顔を覗き込むようにして笑った。

 一拍置いて、きゃあ、というよりもぎゃあ、と言った感じの、最早金切り声と言っても差し支えのない多種多様な絶叫が周囲に響き渡る。

「クラリオ様! 私! 私もしてください!!」

「ずるい私も! クラリオ様ぁ、私も壁ドンして欲しいですぅ!!」

「クラリオ様ぁああ! こちらにも! こちらにもお願いしますぅうう!!」

 騒ぎはどんどんと広まっていき、最早ここら一帯に居る女性と言う女性(一部男性も紛れている)が、全て王の下に終結しているのではないかと思えるほどだった。

 人の群れが砂波の如く押し合い圧し合い、このままでは怪我人が出るやも、というところで、王が大きくパンパンと手を叩いた。

「はいはーい! 皆ちょっと落ち着こうかー!」

 たったそれだけで周囲の声を一端落ち着かせてしまうあたりは、流石は王と言ったところだろうか。

 とはいえ、いっそ殺気すら感じそうな熱気は未だ膨らんだまま、萎む様子は欠片もない。王の一挙手一投足で如何様にも爆発しそうな危ういそれに囲まれ、しかし王は常と変らぬ調子で、軽薄にウインクをして見せた。

「俺は逃げないから、順番にね?」

 瞬間、先程までの無秩序っぷりはなんだったのだと言うくらい、人の群れが迅速に並び出した。あまりの長蛇っぷりに途中で折れたり曲がったりしてはいるものの、変に乱れることなく綺麗に一列に整列した人々に、王は満足そうにうんうんと頷いた。

 ちなみに、王の一言で動き出した人々の中には、率先して列の整理に手を貸す者までいた。その筆頭は、最初に壁ドンをして貰い、恍惚にとろけていた女性だ。恍惚から我に返り、即座に王の手助けに入るあたり、王の人望の為せる業、と言っていいのかどうか。

 とにかく、そうやって形成された列の先頭から、王は宣言通り順番に壁ドンをしていった。された女性は誰もが瞳にハートマークを浮かべ、王とのこの上なく近い距離感にうっとりしてしまう。ちなみに女性の多くはうら若き乙女だったが、中にはご年配の方や、年端も行かない少女なども含まれていた。年齢で差別をしない王は、そういった人々にも惜しみない本気の壁ドンを贈り、列に一部紛れていた男性陣のことは、物凄く嫌そうな顔をしてから横に押しやった。性別による差別を大いに受けた男性陣だったが、それはそれで何故か喜んでいたようなので、まあ良いのだろう。

 そうしてさくさくと列を捌いていった王だったが、列が縮んでいく様子は一向にない。減っていく人数よりも、新たに列に加わってくる人数の方が多いのだ。全員に壁ドンをし終えるまでにあとどれ程かかるのか、さっぱり見当がつかない有様だが、女性たちと戯れられる王はご満悦な様子で、嬉々として何度も壁ドンを繰り返している。

 そんな王の元に、飛来する影がひとつ。

 多くの人間は王に注目していて気づかなかったが、一部きちんと店番をしていた人間は、上空より降りてくる黄色い物体を見て声を上げた。が、残念ながらその声は王を取り巻く歓声と嬌声に呑みこまれ、王の耳に届くことはない。

 女性との戯れに夢中で飛来する影に全く気づかない王は、また一人への壁ドンを終えて、次の人を呼ぶために振り向こうとした。その時、


 空より駆け降りて来た黄色――王獣リァンの前脚が、王の後頭部を思いっきり踏みつけた。


 めこっ、と音がしそうな勢いで顔面から壁に突っ込んだ王に、クラリオ様のご尊顔が、などと言った小さな悲鳴が周囲から上がる。また一部からは、ある意味これは王獣様の壁ドンだ……貴重だ……、という呟きが零れた。だが、王獣はそれら一切を気にも留めず、王の頭をたっぷりぐりぐりと踏みつけてから、すたりと地面に降り立った。

 涼しい顔の王獣とは対照的に、壁とまともに衝突した王は、あまりの痛みに両手で顔を押さえ、うめき声を洩らしながら蹲っている。が、暫くそうした後、おもむろに立ち上がって振り向いた王は、鼻を押さえたまま甘く垂れた両目を吊り上げた。

「おッ、まえなぁ! 俺のこの顔が潰れたら、全世界の女性が悲しむだろうが!」

 びしっと指を突きつけてそう吠え立てた王に、王獣はいつも通り無言だ。だが、その瞳は雄弁に彼の内心を物語っている。そう、侮蔑である。

 銀の国の万年氷のように冷え切った王獣の目は、そんじょそこらの人間ならば見ただけで震えあがってしまうほどの代物だ。だが、常日頃からその目を向けられている黄の王が怯むことはない。

「ほら見ろ! お前が乱暴に出てくっから、女の子たちがびっくりして距離置いちまってるじゃねーか! 邪魔すんなバーカ!」

 ぎゃんぎゃんと言い募る王の言葉通り、先程まで王の間近にまで伸びていた列は崩れ、人々は王と王獣から一定の距離を空けたところで様子を窺っている。

 だが彼女らは別に、びっくりして距離を置いている訳ではない。聡明なリィンスタット王国の国民は、このあとに起こるであろう出来事のとばっちりを食らわない位置に避難しただけなのだ。そう、つまり――、

 低く唸った王獣が、前脚でドンと地面を叩く。瞬間、空から降ってきた小規模の雷が黄の王に襲い掛かり、ぎゃあと悲鳴を上げた王は、そのまま地面に突っ伏した。

「ぉ、まえっ! 本気で怒、ぅぶっ!」

 少し焦げ付きながらも顔を上げて喚こうとした王の頭を、黙れと言わんばかりに王獣が踏みつける。それにより、王の綺麗な顔は再び砂に埋もれるはめになった。そうなってもまだ、王獣の前脚から逃れようと腕をばたつかせていた王だったが、もう一度、最初のものよりも幾分強烈な雷を喰らうと、ぱたりと動かなくなり、完全に沈黙してしまった。

 完全に伸びてしまったらしい王を見下ろし、一度鼻を鳴らした王獣は、その襟首を咥えた。王獣が立ち去ることを察した周囲――特にまだ順番待ちの列に並んでいた面々からは王を惜しむ声が次々と上がったが、王獣は一瞥することもなく、来た時と同じ素早い動きで空へ駆け上がり、その口に王をぶら下げたまま、王宮へ一直線に駆け去ってしまった。

 残された民たちは暫くの間、消えていった一人と一頭を見上げていたが、こうなった以上、王は暫く王宮から出して貰えない筈なので、壁ドンは諦めて各々の持ち場や家に帰っていく。

 誰ひとりとして王の身を案じないあたりが、いやはやいつものリィンスタット王国らしい光景で。

 店先の誰かが言った、今日も平和だなぁ、という呟きが、ほわりと空気に溶けていった。

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