第101話 自然界の暗黙のルール

 ハンティングウルフが離れている際に冥王はルーが差した竜血樹の引き抜きを試みる。

 冥王は飛び上がって上からのしかかる様にして竜血樹の枝分かれした部分、幹に近い部分を掴む。そして自身の翼をばたつかせ力一杯に引き抜こうと試みるが、


「これは…少々時間が掛かるぞ」


 先程冥王が指定した竜血樹であればすぐに引き抜くことができ、この場を離れる事が出来た。しかし、ルーが指定した竜血樹は冥王の体長とほぼ変わらぬ大きさ。いくら冥王とあれど、引き抜くことは非常に困難である。

 ルーたちは冥王が引き抜いている竜血樹の若木の根本に移動し、周りに注意を配る。


「ルー、先ほどのハンティングウルフが戻って来ている」


 先程毛で覆われた魔物を襲っていたハンティングウルフはその魔物の元へ戻り、止めを刺し、食事を始めようとしていた。だが一匹だけが注意深くこちらの様子を未だ窺っている様子だ。


「あの一匹は監視役ですね」

「ならよかった。なんとかなりそう…」


 その時、別の方向から遠吠えが聞こえた。


「どうやら別のグループのお出ましですね」


 今いるハンティングウルフから反対の方向から別の群れが姿を現した。


「数が多い!?」


 今度の群れは30匹ほどの群れを成している。ちなみにさきほどの群れは10匹で程度である。


「挟まれた形か…」


 アドニスが焦りを滲ませるが、先ほどの群れ、ルーたちをじっと観察していたハンティングウルフが短く吠えた。すると、他のハンティングウルフたちが毛に覆われた魔物を引っ張り、その場を去ろうと行動を開始した。一方で新しい群れも行動を起こす。数匹のハンティングウルフが走り出す。ルーたちは身構えるが、無視するように通り過ぎ、先ほどの群れに対して向かって行く。


「獲物を横取りする気か?」


 獲物の横取り。自然界では当然の事である。常に彼らは命懸けで生きているのだ。一番手っ取り早く、そして簡単な方法で食糧を手にする方法を常に考え、そして実行する。他人の物を奪ってはいけない。そんな人間のモラルは通用しない。

 先陣を掛ける3匹の新しい群れのハンティングウルフたちが逃げる群れに追いつこうした時、立ちふさがったのはルーたちを警戒していたハンティングウルフだった。そのハンティングウルフは大きく吠える。だが相手も引こうとしない。すると、一匹のハンティングウルフに向け襲い掛かり、喉元を食いちぎった。襲われたハンティングウルフは体をピクピクさせ、息絶える。

「まだやるか?」と言いたげに、食いちぎったハンティングウルフは睨み聞かせるような鋭い視線を残りの2匹に向ける。すると睨まれたハンティングウルフは逃げて行った。そうして元から居たハンティングウルフたちは獲物を奪われる事なく去って行った。


「やっぱりこうなるか」


 アドニスはため息を吐きながら答える。残ったハンティングウルフたちが新しい獲物に目を付け始める。それがルーとアドニスである。上空では冥王が竜血樹を引き抜こうとしているため、警戒しながらゆっくりと向かってくる。


「冥王様、一度降りて対応してくれませんか?」

「無駄だ。こやつらが居なくなっても別の群れが来る。お前たちでなんとかしろ。なに、死にそうになったら助けてやる」


 そう言って再び翼をバタつかせ、竜血樹の引き抜きを始めた。


「アドニス、先ほどの動きを見て、狩りの谷のハンティングウルフと比べてどうですか?」

「正直、ずっと手強そうだね」


 アドニスは苦笑いをして答えた。


「踏ん張り時ですね、大丈夫。あなたの背は私が守ります——さぁ来ますよ!」


 背中から聞こえるルーの言葉が合図のように、自分の背丈より大きなハンティングウルフが大きな口を開けて襲って来た。アドニスはそれを自身の剣で受け止める。


(攻撃が重い。狩りの谷の奴らならはじき飛ばす事が出来るのに)


「アドニス、敵は一匹ではありませんよ!右!」


 ルーはハンティングウルフの攻撃を受けながら後ろに気を配っていた。本来であるならば一匹ずつ仕留めても良いが、アドニスがどれほど対応できるか様子を見なければならないので、アドニスの背から離れないようにしていた。


「このぅ!」


 アドニスは何とか最初のハンティングウルフを押し返す。そしてすぐに右から来た別のハンティングウルフに対応する。それを見たルーは感心していた。いざとなれば自分が対応しようと思っていたからだ。


(すごい。これなら私もちょっとは攻撃に転じても————!?)


「アドニス伏せて!」


 アドニスが右から来ているハンティングウルフは囮だった。その後ろに三匹がまとめてアドニスに向かって襲い掛かろうとしていたのだ。

 ルーはまず自分に向かってきているハンティングウルフを蹴り上げる。自身の体重の3倍は優に超えるが簡単に吹き飛んだ。そして、すぐに体を反転させてアドニスの方へと向き直る。その時アドニスは、囮のハンティングウルフをちょうど剣でなぎ払った時ですぐさま言う通りに身をかがめた。

 三匹のハンティングウルフは飛び掛かっている最中で空中にいる。ルーは力を込め、剣を横に振るう。左から順に切られていく。左は顔上部、真ん中は首元、そして右は胴体。三匹は地面にぐしゃりと鈍い音を立てて落ち、そのまま絶命した。

 ハンティングウルフは仲間3匹が一瞬にしてやられてしまい、臆したのか3mほど離れたところで距離を取る。襲って来ない。


「ルー、ありがとう」

「どういたしまして。でもまだ諦めてくれたわけじゃなさそうですね」


 遠くからさらにハンティングウルフが集まって来るのが見える。別の群れか、それともこの群れの一員なのか。

 ルーはさらに遠くに目をやる。こちらにハンティングウルフが集まっている隙に他の魔物が竜血樹の樹液を舐めようとしている光景が見える。


(他の魔物に移ってくれればいいのですが…やはり私たちは他の魔物と比べて小柄ですから弱く見えるのですね)


 自然界に病院は存在しない。ケガを負えばその後の生活に影響を与える。足をケガした生物はそのまま足を引きずって残りの足で生きていく可能性が非常に高いのだ。よって生物がケガを負う事は人間よりもずっとリスクが高く、即ち命の危機に直結しているのだ。一番簡単に狩ることが出来るリスクの少ない獲物。「弱い者を狩れ!」彼らの遺伝子にはそう組み込まれているのだ。

 相手をしているハンティングウルフを含め、ここにいる魔物たちは人間の強さを知らない。なぜならルーたちがこの大陸に足を踏み入れた最初の人間だからだ。よって魔物は見た目で人間の強さを計ろうとする。小柄であり、牙も無ければ、爪も無い。おまけに翼が無いために機動力は乏しい。ルーが数匹ハンティングウルフを仕留めたとしても、まだまだ人間は最も狩りやすいターゲットであるのだ。


 ルーは再び視線をハンティングウルフに戻し、落ち着いた様子でアドニスに声を掛ける。

「アドニス、こういう死線をくぐり抜けることが実力を上げる一番の経験になります」

「…了解、分かったよ。死ぬ気で強くなってみせるさ」


 アドニスはルーが自分よりも強い理由が分かった気がした。このような死線を自分より何度もくぐり抜けて来たのだろうと。

 本来ならば死線などくぐりたくはない。だが今のアドニスはこの状況をなぜか前向きに捉えていた。


(不思議だな。本当は怖いのに。でも…ルーとなら越えられる!)


 アドニスは奮い立たせるように剣を力強く握りしめた。

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