第2話 純情なシンシア

 アルフォニアの王女、シンシアは町の平民街を回っていた。王女はドレスを身に纏うのではなく、鎧を身に纏っていた。

 彼女は王女でありながら騎士でもあった。病弱な体を鍛えるためという理由から幼い頃から武芸に励んだ。

 シンシアは容姿端麗であり、長くきれいな金色の髪を髪飾りで止め、素敵な笑顔を民衆に振りまいていた。白く磨かれた鎧がよく似合っていた。

 一見お飾りのように見えるが、彼女の実力は本物だ。騎士の中で副団長のレオナルドに次ぐ実力を有していた。シンシアは正に王族にふさわしい才色兼備の持ち主であった。


「姫様~!」

「シンシア様~!」


 あちらこちらでシンシアを呼ぶ声がする。シンシアはそれに愛想よく笑顔を振りまく。


「姫様はみんなに愛されておりますな」


 護衛役も兼ねた付き人の副団長のレオナルドが声を掛ける。


「ありがとう。身に余る思いです」


 シンシアはレオナルドに笑顔で返した。その笑顔は感謝の意だけでなく、レオナルドへの好意の意味も込めていた。

 シンシアは現在16歳。縁談の1つや2つあってもいい年頃だが、シンシアに決まった相手はいなかった。なぜならシンシアは騎士の副団長であるレオナルドに好意を寄せていたからだ。

 そしてまた、レオナルドもシンシアに好意を寄せていた。お互いに敵わぬ恋、実らぬ恋だと自覚していながらも今はその想いに身を委ねていた。


「姫様、これ食べて下さい」


 果物屋を営んでいる店主の息子がシンシアに真っ赤なりんごを差し出す。


「こらっ止めろ!」


 店主が慌てて息子を止める。本来ならばこのようなことはご法度である。平民が王族に食べ物を差し出すことなど。毒などが盛られていたら大変なことになる。


「主人、申し訳ないが——」

「——まぁ、ありがとう。いただくわ」


 レオナルドが止めに入る前にシンシアが幼児からりんごを貰い受け、そのりんごを丸かじりする。


「姫様!」


 レオナルドを始め、周りにいる民衆たちも驚きの反応をする。

 毒の心配もさることながら、王女という立場からしてみれば丸かじりという行為はマナーから大変逸脱している。しかし、シンシアはそんなことを一向に構おうとしなかった。


「う~ん、みずみずしくておいしい!」


 満面の笑みを浮かべるシンシア。その表情がまた民衆たちの心を鷲掴みにする。

 もちろんシンシアが計算してこのようなことをしたのではない。これは一片も曇りもない彼女の純情さから来る行動であった。


 シンシアはりんごを食べながら店主と話をする。


「姫様はまだ町の中を回られるんですか?」

「はい、今日は兼ねてより私の希望だった第四セクターまで足を伸ばそうと思っています」

「第四セクター………」


 その言葉を聞いた瞬間に店主は怪訝な表情を浮かべる。


「姫様、第四セクターへ向かうのは止めた方がよろしいかと」


 レオナルドは止める。


「姫様。差し出がましいことを申しますが、レオナルド様のおっしゃる通りです。あの場所は姫様のような方が行っていい場所ではありません。私たち平民でさえもあの場所には足を踏み入れぬ場所ですから。今日もあのスラムのガキ共が私の店からりんごを盗んで行きました…あのクソガキ共、今度見つけたらただじゃおかねぇ」


 先ほどシンシアに向けていた優しい笑顔はいつの間にか悔しさと憎しみの表情をしていた。


「…はっ!失礼しました。とにかくはぐれ者が住む場所へ姫様が向かわれるのは私としても反対です」

「…心配して下さりありがとうございます。しかし王族として、この国の現状をしっかりと目に焼き付けておかねばなりません」


 シンシアは先ほどの話で逆に決心した顔をしていた。


「レオナルド、行きましょう」


 シンシアとレオナルドは、はぐれ者の住む、スラム街の第四セクターへと向かった。



「やっと帰って来られた。ここは落ち着く…なぁ、ドブネズミ?」


 男の1人が不敵な笑みを浮かべラルフに声を掛ける。


「おい、あいつらはどこだ?」

「へへへ、ここだよ」


 そこにもう1人の男が現れた。その男は3人の少年を引き連れていた。

 少年たちは3人共殴られたような痕があった。


「おい、そいつらを離せ!」


 語気を強めるラルフ。


「おいおい、そんなに怒るなよ。俺たちとしてもこんなに小さなガキたちに手荒なことはしたくねぇんだ」


 そんなことは微塵も思っていないと言うようにあざ笑う男たち。


「どうしたら離してくれるんだ?」

「俺たちがお前に望むことはただ一つ」


 その言葉を聞いて身構えるラルフ。


「お前が貯め込んでいる金をよこせ!」

「————!」


 それを聞いて大きく目が見開くラルフ。しかしすぐにしらを切った。


「なんのことだ?俺に金なんてねぇ」

「い~や、そんなことはねぇはずだぜ。お前、開拓者になりたいんだろう?その貯め込んだ金がいくらかあるはずだ」


 男たちは元から嫌な目つきをしていたが、さらに卑しい目付きになった。まるで目の前にあるごちそうを貪る前のように。

 ラルフはそんな男たちを目の前にして躊躇していた。普段なら素直とまでは言わないが、割り切って自分の持ち物を差し出していた。

 しかし、ボロ袋に入った1000Jはラルフが5年間ずっと貯め続けて来た金だ。どれだけ飢えていようとも、どれだけバカにされても、耐えて耐えて耐え抜いて、必死に貯め続けて来た金である。ラルフにとって全てと言ってもいい。それを差し出すのは無理がある。


「おい、さっきも言っただろ?俺たちもガキ共に手荒な真似はしたくねぇって」

 

 すると、もう1人の男が少年の1人の胸倉を掴み持ち上げる。今にも殴りかかりそうだ。


「ま、待て。分かった、分かったから!」


 ラルフは観念して、ボロ袋から金の入った瓶を取り出した。それを見た少年の胸倉をつかんでいた男が興奮する。


「こいつ、本当に持ってやがった!」

「兄ちゃん…ごめん」


 すると、胸倉を掴まれた少年がここで泣き始めた。他の2人の少年たちも同様に。

 ラルフは心の許せる少年たちに自分の夢を語っていた。いつか開拓者になりたいと語っていたのだ。そして少しずつ金を貯めていることも。

 もちろん金の在りかは教えていない。しかし、貯めているということは伝えていた。その話を聞いた男たちは今回のようなことを企てたのだ。

 ラルフは過去の自分を悔やんだ。誰にも話さず、隠し通すべきだったと。


「おい、そいつらを離せ!」

「金をこっちに渡してくれたらなぁ」


 金を渡せば少年たちは助かる。しかし、開拓者にはなれない。

 逆に金を渡さなければ開拓者になれるが、少年たちは助からない。

 ずっとなりたかった開拓者。ドブネズミと呼ばれ続け、同じはぐれ者からもバカにされて来たラルフ。だが開拓者になれば、何かが変わると思っていた。

 そして今、開拓者になるための金をラルフは持っている。少年たちを見捨てさえすれば…ラルフは念願の開拓者になれるのだ。

 しかし、ラルフにその選択を選ぶことはできなかった。ラルフは男たちに金を渡した。


「確かに受け取ったぜ、おい」


 するともう1人の男が少年の胸ぐらを掴んでいた手を離す。そして他の2人の少年の尻を蹴るようにして自分から追い払う。


「ごめん、兄ちゃん」


 3人の少年たちはただひたすらラルフに謝罪し、そして涙を流した。目からこぼれる涙は止まりそうにない。


「ま、これが俺たち底辺の生き方だ。生きるためにはこうするしかねぇんだ。悪く思うなよ」


 男たちは手をひらひらとさせてその場を立ち去ろうとする。

 ラルフは近くにあった石を掴み、男たちに襲い掛かる。


「俺の金を返せぇ~!」


 ラルフは少年の胸ぐらを掴んでいた男の顔に石を持った手で殴りかかった。


「ってぇ、こいつ…この野郎!」


 不意打ちは成功したが、男を倒すまでにはいかなかった。ラルフは非力だった。

 男たちはラルフに容赦なく襲いかかる。顔を殴り、倒れたラルフの体に蹴りを入れる。


「調子に乗るんじゃねぇぞ、ドブネズミが!」


 男たちはラルフへの攻撃を止めようとしなかった。少年たちは止めに入りたいが、恐怖で足がすくみ動かない。


「兄ちゃんが殺されちゃう!」


 やっとの思いで動いた少年たちは急いで助けを呼びに行く。


「助けて!ねぇ、助けてよ!」


 通りにいる者たちに片っ端に声を掛ける。しかし、手を貸そうとする者たちは誰一人としていない。なぜなら自分たちがとばっちりを受けることになるからだ。

 それにこれはスラムの日常。日々、スラムのどこかで誰かが野垂れ死ぬ。その野垂れ死ぬ今日の該当者がラルフであるだけのことだった。

 少年たちは必死に助けを求めた。アルフォニアにも衛兵は存在する。しかし、衛兵たちは第四セクターまで巡回はやってこない。そこまでの余裕はない。そしてまた、進んではぐれ者を守ろうと意志もほとんど持ち合わせていなかった。

 そのため、少年たちは衛兵を呼ぶには第三セクターまで行かなればならない。もしかしたらラルフは手遅れになってしまうかもしれない。そんな事が頭によぎりながらも少年たちは必死に走った。

 すると、そこに2人のスラムに似つかわしくない恰好をした、鎧を身に纏った人物が歩いていた。

 その2人は衛兵よりずっといい装備をしていた。この国の王女シンシアと騎士レオナルドだった。

 少年たちは必死にシンシアとレオナルドに助けを求めた。


「助けて!兄ちゃんが…兄ちゃんが殺されちゃう!」



 シンシアは先ほどから動揺していた。第四セクターに足を踏み入れてから明らかに環境が変わったからだ。

 純情なシンシアにとって、目を覆いたくなるような信じられない現実が待ち構えていた。

 建物は倒壊や損傷が激しく、衛生環境も劣悪であちらこちらから腐臭が立ち込める。死んでいるか生きているか分からない者が地面に転がり、ピクリとも動こうとしない。

 またシンシアやレオナルドに向ける目はまるで部外者を見るように刺々しくするどい目つきをしている。シンシアはこれまでの人生でこのような敵意を向けられる事はなかった。


(これが…この国の現状なの?)


 シンシアはショックを受けていた。自分がこれまで生きて来た世界と明らかに違う、別世界と呼ばれる第四セクターに。第四セクターは想像を超えて貧しく、そして厳しい環境にあったのだ。

 そして今、目の前にいる少年たちから「殺される」という恐ろしい言葉を口にしている。

 シンシアは少年たちを見かけた時に、第三セクターを回っていた時に話していた店主が、子供たちに店の商品を盗まれた話をしていたことを思い出していた。


(もしかしたら、果物を盗んだのはこの子たちなのかもしれない)


 シンシアは直感的にそのりんごを盗んだ子供たちが目の前の少年たちだと感じていた。しかし、そのような思いは少年たちの悲痛な叫びにかき消された。


「ねぇ、お願いだよ。助けてよ!」


 我に返るシンシア。


「すぐに案内してください!」


 シンシアとレオナルドは少年たちと共に走ってラルフの元へと向かって行った。

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