過去に遡ってエピローグ

 真夜中、仁見医師のもとへ患者がやってくる。


 スマホゲームをしながら耳をすませてみれば、キィッ…と医院の入り口の扉が開く音がして、そのままツカツカとこちらにむかって歩いてくる硬い革靴の足音が聞こえる。


 それでも仁見医師は自分のイスにゆったりと腰掛けたまま、スマホゲームを続行している、そのうち勝手に診察室の扉が開き、いつもの黒いロングコートを着た患者が無言で入ってきて、慣れた動きで患者用のイスに座る。

 そうしてこちらを患者が見つめてきたところで、仁見医師はスマホから目を離した。



 「こないだ処方した薬は使い終わった頃かな?

 頭の傷の調子はどう? ちょっと診せてごらん」



 仁見医師に言われるがままに、背の高い患者はうつむくようにして医師が診察をしやすい角度に頭を向けた。

 うつむかれた黒髪をなでるようにかき分けながら、仁見医師は患者の頭部の裂傷箇所を確認する。



 「うんうん、いい感じになってきてるね、もう薬もいらないでしょう。

 このまま自然治癒で様子を見よう、まー…しかし、君が傷を負わされるだなんて相手もなかなかの者だったんだねぇ」



 もういいよ、というように仁見医師が患者に顔を上げるように促すと、患者…赤間犬彦はまっすぐに座り直し、姿勢を整えると仁見医師へ返事をする。



 「油断していました、俺の慢心が招いたことです。

 こちらの周囲では動きが見えなかったものですから、まだ相手側は例の物の在処について目星が付いていないものだとばかり…。

 しかし待ち伏せをされていました、あるいは俺自身ではなく、その夜のうちに仁見先生に接触する気だったのかもしれません、荒っぽい方法ですが先手必勝のための最短ルートを選ぼうとして」



 「まあどちらにせよ、犬彦くんをボディーガードとして雇った私の目に狂いはなかったってことだね。

 いきなり街中でさらわれたりしたら嫌だからさ、最近は用心してうちに籠りがちにしてたんだけど、犬彦くんがいなかったらマジで侵入されてたかもね、おっそろしい~」



 「そうはおっしゃいますが仁見先生のことですから、万が一そのようなアクシデントが起こった場合にも対策のための準備はされていたのでしょう」



 「んー…だけど、私の最大の保険というか武器は、君だったよ犬彦くん。

 君ならトラブルバスターとして、立派にこのゴタゴタを解決してくれると信じていたよ、だから鈴木くんの勧め通り、私は君に安心して100パー賭けていたのさ」



 「あなた方、上流社会の人々の安寧のために猟犬として汗水たらして働くのが、俺の本分ですからね」



 「おいおい、せっかく褒めているのに、そういう自虐を言うのは止めてくれよ、私も鈴木くんも君のことをそんなふうに思ってはいないからね」


 はあ、やれやれ…犬彦くんは妙にペシミスティックなところがあるからなぁ、と…ため息をついてから、仁見医師は足元に置いていた医療廃棄物用ゴミ箱を手に取って、赤間犬彦へと渡す。



 「じゃあこれ、持ってって。

 あのとき入れたままの状態になってるから。

 触るときは用心して、そこにある使い捨てのゴム手袋しなさいよ」



 仁見医師から指示された通り、犬彦は一度イスから立ち上がると、そばの棚に置いてあった箱入りのゴム手袋から一対分を取り出して、自分の手に着けると、医療廃棄物用ゴミ箱のフタを開け、中へ手をつっこんだ。


 少しのあいだゴソゴソと手を動かしたのちに、犬彦はゴミ箱の中から目的のものを取り出すことに成功する。

 犬彦の手のうちにあるのは、金の指輪だった。



 「確かに」



 「ああ、それ、そのまま持って帰るんじゃないよ、そこにジップロックあるでしょ、そんなかにまず入れてからアルコールをぶちまけなさい、そこにアルコールスプレーあるから」



 これまた素直に仁見医師の指示に従って、ビニール袋に入れた金の指輪を消毒してから封をし、それをコートのポケットに入れ、ゴム手袋を脱いでゴミ箱に捨てた犬彦は、また仁見医師と向き合うようにしてイスに腰を落ち着けた。



 「この指輪…実印がこちらの手に渡った以上、相手方はもう仁見先生の前には姿を現すことはないでしょう。

 もう、こちらが勝ったも同然ですから」



 淡々と犬彦がそう報告するのを聞きながら仁見医師は、ぐったりと自分のイスの背もたれに体重をかける。



 「はあ~もううんざりだよ、つーかさぁ地面師ってマジで存在するんだね。

 あそこの土地はさ、先祖代々うちのものってことになってて、今のところはジイさんの名義な感じなんだけどそれなりにいわくがあるみたいで、売買どころか運用すらも検討するつもりがないんだよね。


 それをさぁー、いろいろ面倒くさいし遊ばせてたら…まさか、詐欺師にいいようにイジられてたなんて思わないじゃん、そこに反社系の抗争まで絡んでくるとか…マジ勘弁して欲しいよ、うち1ミリも関係ないのにさぁ」



 「仁見先生の御一族が所有していらっしゃるあの土地は、非常に立地も素晴らしく恐ろしいほどに莫大な利益を生む代物です。

 古今東西、輝くばかりに素晴らしい不動産がそこに存在するだけで、至る所から魑魅魍魎が湧き出てくるのは仕方がないことですから」



 「まったく嫌になるねぇ、真の所有者であるうちも迷惑してるってのに、そんな指輪型の実印を勝手に作ってさ…そんでもって悪党たちの中でも誰が直に土地を動かすかで内輪揉めして、指輪を取り合って、死人まで出てるんでしょう? 勘弁して欲しいよ」



 「この近辺で車道に突き飛ばされ、車にはねられて殺された男は、組織から実印を盗み出して、それを仁見先生のもとへ届け、組織と仁見先生、それぞれと交渉をしようと考えていたのでしょう。

 しかしあと一歩のところで追跡者に追いつかれ、事故に見せかけて殺されてしまった。


 本来であれば、その場で実印は追跡者の手に渡り、組織へと回収され、我々も問題解決の手順に手間取るところでした。

 それがまさか、カラスが持ち去ってしまうとは…」



 「私にとってはカラス様様だね、足を向けて寝られないよ」


 

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