応援コメント

「善悪と脱構築」」への応援コメント

  • 「完全なる他者」という概念はとても面白いですね。おそらく、それは物質的には存在しないのであろうが、思想史上には存在しえたのではないかと考えられる。

    作者からの返信

    へげぞぞさま。
    こんばんは。九頭龍一鬼です。

    毎回、愚生の拙作を御劉覧いただいて、コメントまで頂戴し、まことに感謝しております。

    『「完全なる他者」という概念はとても面白いですね。』とのことですが、もしかしたら、愚生の表現の間違いによって、へげぞぞさまに勘違いさせてしまったかもしれませんので、ねんのため、此処に追記させていただきます。

    デリダの哲学のくだりについてのはずですが、此処は、『完全なる他者』を肯定するという文脈ではなく、『いかなる他者も完全に』肯定する、というながれで『完全なる他者の肯定』と書きたかったわけでございます。

    つまり、『完全なる他者』とは、へげぞぞさまの御指摘どおり、『それは物質的には存在しないのであろう』ということになります。

    愚生としては、『他者(自分もふくめて)はだれもが未完成』だとおもっておりますので、『いかに未完成な人間でも完全に肯定する』という思想のもとに、本稿を執筆した(かった)わけです。

    さらに敷衍すれば、『それならば凶悪犯罪者という他者も肯定するのか』といわれるかもしれませんが、『そもそもその犯罪者自身が他者を肯定していれば、犯罪者にならなかったはず』という理窟になります。

    愚生の筆力不足のために、怜悧なるへげぞぞさまにまで誤解させてしまったかもしれず、まことにもうしわけございません。

    今後も、文章修行にはげんでゆきたいと存じあげます。

    ありがとうございました。

    今後ともよろしくおねがいいたします。