『純粋『障碍者差別』批判』エッセイ(『九頭龍一鬼はかく語りき』特別篇)

九頭龍一鬼(くずりゅう かずき)

「序文」

 精神障碍者である愚生は最近、転職をかんがえ、障碍者枠で就職できないかとネット上の情報を渉猟していた。


 其処で『障碍者』という単語からAIに聯想されたのか、いまだに、『障碍者を鏖殺して美しい日本をつくろう』という、相模原市障碍者施設大量殺戮事件の犯人である植松聖の思想を鑽仰しているひとびとの記事が表示されることと相成った。


 はたして、植松聖は正しいのか、間違っているのか。


 正直、考覈すれば考覈するほど、論点は噴出してくる。


 といえども、問題は『論点が多面化しすぎている』ことにすぎず、なかんずく、ネット上で散見される肯定論も否定論も、表面的な視座を墨守しているにすぎないのではないかとおもわれた。


 其処で、善男善女の読者諸賢の逆鱗にふれる虞がありながらも、此処で、一旦、各論点において、『なぜ植松の思想が科學的(人文科學的、自然科學的)に間違っているか』を整理整頓してみたいとおもったのである。


 無論、愚生には、読者のなかでも、植松の思想を擁護する諸賢に、ひとりずつ反論してゆく余裕がない。


 其処で、カクヨム様の規約どおり、本論にたいする罵詈讒謗がなされた場合には、運営本部様に通報する予定である。


 僭越ながら、愚生は基本的に、植松聖の思想は破綻していると存じあげる。


 其処には、ターレスからはじまる自然科學の歴史や、プラトンからはじまる人文科學の諸諸という論拠があると信じている。


 それでも、自分には不快に感じられるかもしれないと危惧される諸賢には、此処で読了し、できれば愚生のつまらない小説でも瀏覧いただければと存じあげる。


 ――予告


 まずは、フーコーの哲学をもとに、『生―権力』の問題点と解決策をさぐってゆきたい。

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