水平線上のリテラシー

@maxyamada

第1話

「ばかやろーーっ!!先方に連絡するのは明日だろうが!このカス!死んじまえ!!!」


横浜のリゾート地に居を構えるカンタロービルのオーナー、短木貫太郎(たんきかんたろう)38歳の怒号がオフィスにこだました。


「す、すみません…」


疲弊し切った顔で力なく部下と思われる中年の男が謝っている。

この男に限らずこのフロアにいる人間は皆、どこか疲れ切った表情だ


「うるせーっ!給湯室でベチャクチャ喋ってんなよバカどもが!!」


今度は先程とは違う場所で同じ人物の怒号が鳴り響いている


そこへ全身黒服で奇天烈な笑顔を貼り付けた奇妙な出立ちの男が現れると受付の女性に何やら話しかける。


「ほっほっほっ、賑やかな職場ですねぇ

いえ、私決して怪しい者ではございません。

訪問販売を生業にしている喪荷服素蔵(もにふくすぞう)と申します。

本日はウォーターサーバーを置いて頂きたくお訪ね致しました。

よろしければ社長さんにお繋ぎ願えませんか?」


すると受付嬢から今はやめた方がよいとの忠告を受ける。

見ての通り怒りが沸点に達するとしばらくこの状態が続くとのことだった。


「分かりました、またお伺いします」


喪荷は既に笑顔の口角をさらに上げながら受付嬢に礼を言い去っていった。


その夜、リゾート地の一角にあるバーの中でも怒号が響いた


「テメーはろくに酒も注げねーのか糞店員がっ!ウチの会社ならとっくに首だ!今すぐどっかへ行きやがれ!!」


「短木さん…そろそろ困りますよぉ

来るたびに店員怒鳴られちゃみんな辞めちまいます」


店のオーナーとおぼしき若い男性が声をかける


「辞めたい奴は辞めればいいのさ。どうせどこ行ってもカスのままなんだからな。

そんなことより太客のオレ様に意見するんじゃねえ!とっとと一番高い酒持ってこい!」


店長とおぼしき若い男はやれやれと言った表情でバックヤードの奥に消えていった


「なかなか激しいですねぇ、いえいえ私怪しい者じゃございません。

訪問販売を生業にする喪荷服素蔵と言います。

実は今朝社長の会社にお伺いしたんですよ。お会いできませんでしたが」


「ふん、会ったところで買わねーよ

オレは金も地位も持ってるんだ

あんたみたいなうさん臭い連中の商品なんざ必要ねーんだよ

ああ〜ムカつくなぁ…」


「ほっほっほっ、社長は一代でカンタローグループを築いたほどのカリスマでいらっしゃるのに案外気が短いんですねぇ

それさえ治れば会社の規模も2倍3倍になるでしょうに」


「なんだとっ?!知った風な口を聞くな!

そんなことはあんたに言われなくても分かってんだよ!

これ以上喋るとこの界隈で商売できなくするぞ!!」


「いえいえ、実は今私が扱う商品の中に怒りを消し去る握力グリップという物がありましてね

ちょうど手元に最後の一つがあるんですよ

よろしければ使ってみませんか?

今回はお代は結構です。

なに、使い方は怒りが沸いてきたらこのグリップを握るだけです

いかがです?」


「ほぅ、面白い

なんの効果もなかったらどう責任取るんだい?」


「ほっほっほっ

所詮タダの商品ですよ

結果が出なくても痛くも痒くもないでしょう

それに頼りすぎもよくありません」


「ふん、まあいいや

一応試してやるよ」


「ただし!

一つだけ注意があります…

このグリップはあなたの周りのあらゆる『いかり』を消し去ります

使うときは十分ご注意を…

こんな物に頼らずとも自力で克服できなければ、いずれ全てを失いますよ?

ほっほっほっ」


「ちっ、ご意見しやがって

今日はもう帰る」


カランカラーン♪


「ありがとうございました〜」


しかし妙な男だったな

話してるとついつい必要ないことまで喋っちまう

こんなグリップに縋るようじゃいよいよ焼きが回っちまったかな


そんなことを短木が思っている矢先、『ドンッ』と肩に衝撃が走った


「痛ってぇな何しやがる!」


「なんだと?テメーが変なグリップ見ながら歩いてたんじゃねーか」


二人組の年配の男性の正論にも怒りを抑えられず今にも殴りかかろうと短木がグリップを持つ手を握りしめた瞬間…


先程までの怒りが嘘のように消え去った。

突然糸が切れたようにぼー然と立ち尽くす短木を二人組が奇怪な目で見ながら立ち去る。


「なんなんだこれは…」


先程までのマグマのような怒りが嘘のように消失し、狐につままれたように立ち尽くす短木だったが

ハッと正気を取り戻すとこの魔法のようなグリップの存在を認めない訳にはいかなかった

そしてこのグリップさえあればさっきの男の言う通り会社を2倍3倍にすることだって可能だとさえ思った


それからの短木貫太郎は文字通り短期間で会社の規模を2倍3倍に膨れ上がらせた

以前とは打って変わって我慢強くなったと評判の短木の手には常にグリップが握られていた


そんな短木の側にはどんなときも短木を支える彼女の存在があった

彼女の名は櫻井花梨(さくらいかりん)

まだ年齢は二十歳そこそこだが短木を理解し、短木とプライベートを共にする女性だ

短木は夏の盆休みに自慢の巨大ボートで花梨と共に沖合へと乗り出した

すっかり日が沈み、満天の星空の下で短木は花梨にこう告げる…


「なあ、花梨。今秋のプロジェクトが上手くいったらオレと結婚してくれないか?

なぁに、このグリップさえあれば必ず商談は纏まるさ」


しかし、想像と違い花梨は色良い返事をしない。

次第にイラつき始めた短木が花梨に詰め寄る


「なんでダメなんだ!

オレには金も地位もある!

これ以上なにが不満なんだ!」


声を荒げる短木に花梨が諭すように話しかける。


「私と一緒になりたいと言ってくれるのは嬉しいわ…

でもそれならそのグリップを捨ててちょうだい。

確かにあなたはそのグリップを手にしてから人が変わったわ

でもそれはあなたの力じゃなくてグリップの力じゃない

そのグリップが壊れたらあなたはどうなるの?

一生を共にする人ならそんな物無くても器の大きい人であってほしいの」


プイと後ろを向いてデッキの奥に消える花梨を見送りながら短木の怒りは沸点に達しようとしていた

自分を抑えきれない短木は反射でグリップを強く握りしめた。


怒りの炎が瞬時に鎮火し、我に返った短木は花梨の後を追う。

しかしベッドの脇でうずくまった花梨は短木の呼びかけにも返事をしない…

仕方なく短木は船を停泊させようと錨を探すがまったく見当たらない

何百キロという重さのアンカーを積み忘れるはずもなく何がなんだか分からない…

途方に暮れる短木の前に完全に錯乱し切った花梨が現れる

髪を振り乱しどう見ても正気じゃない様子で短木に襲いかかる花梨。

波に揺蕩う木の葉のごときボートに残された短木な男と錯乱する女

事情の飲み込めない男の叫び声が海上にこだまし、助けの来ない闇夜にかき消されていった…


……


「あれほど頼りすぎれば身を滅ぼすとお伝えしたのに。

身の回りのあらゆる『いかり』を消し去ると伝えましたが感情だけとは一言も言っていませんよ

目先の利益に飛びつくあまり、大切な人の心まで失わせてしまったんですね

『さくらいかりん』さん、いいお名前だったのに残念です。

真の意味で人が変わるとき、便利な道具はキッカケに過ぎません。

頼りすぎれば必ずしっぺ返しを喰らいます

グリップには反動がつきものですからね

ほーっほっほっほ」


次に商品が届くのはあなたかも知れない…


終劇

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