第79話 お隣さんと俺の過去②

 紗夜と金髪女子が睨み合い、場に緊張感が立ち込める。


「私の目が節穴ぁ~? 何か証拠あるわけ!?」


「颯太君の魅力に気が付けない時点で証拠としては充分だと思います」


「アンタどんだけ津城のこと好きなんだよ、ウケんだけど」


「……あの、いい加減颯太君を蔑むような言い方で呼ぶの止めてください。心底不愉快です」


 男子だったら、ここまでいくと次は手が出る――そんなところまで状況は悪化しており、一人の男子が「も、もうやめとこうぜ?」と金髪女子を宥めようとするが、聞く耳を持たない。


 流石にここで殴り合うということはないだろうとわかっていても、もしかしたらそうなってしまうかもしれないという風な怖さがある。


「貴方達が中学生の頃何を思って颯太君に罰ゲームで付き合うなどということを仕掛けたのかは理解出来ませんし、知りたくもありません。ただ……」


 怒りを理性で押し込んだだろうか――少し冷静になった紗夜が、目の前の金髪女子から、視線を河合の方へ滑らせた。


「貴方達がしてしまったことで、颯太君がどれだけ悩んできたか理解すべきです」


 別に紗夜は河合だけに向けて言ったわけではないが、それでも河合は暗く俯いた。


「ってか、それを津城に言われるならともかく、アンタに言われる筋合いないっての! アンタが何を知ってんのって話じゃん!?」


 紗夜の言葉に、金髪女子が再び噛みつく。


「ええ、知りませんとも。颯太君や颯太君の妹の奏さんから聞いて理解しただけにすぎません。でも、その話を語るときの颯太君や奏さんの悲しく痛々しい表情は私が誰よりも知っていますっ」


 話の後半になるにつれて、紗夜の口調が強まった。


 冷静さを取り戻して先程までの煽るような口調ではなくなったものの、むしろ紗夜の身体から放たれているようなプレッシャーが増して、金髪女子は言葉を詰まらせる。


「信じていた人に裏切られるというのは、想像以上に辛いことです。当時颯太君が嘘とは知らず告白を受け入れたのは、少なからずそこには好意があったから。颯太君のことです、そんな相手だったなら随分と大切にしていたんじゃないですか?」


「っ……!?」


 紗夜の言葉と視線を受けて、河合が下唇を噛む。


「それを貴方達は、遊び半分で見て楽しんでいたんですか? 颯太君が本気で相手を思い遣っている姿を見て、ほくそ笑んでいたのですか?」


 紗夜は一度視線をこの場の全員に巡らせてから、目の前の金髪女子で止める。


「貴女は颯太君をと呼んで蔑んでいましたが、私から言わせれば、そんな下劣なことをして楽しんで颯太君を傷付けた貴方達の方が、よっぽど蔑むべき人間だと思いますけどね」


「あ、アンタいちいち大袈裟! さっきから悩むとか傷付くとかっ……今更中学んときのことを! いつまで引きずってんのよ!」


「中学のときのことを、ここまで引きずらせたのは誰ですか……ッ!」


 相手を威圧するものではなく、心の底からの怒りを純粋に訴えたいがために細められた瞳。


 その目尻には、うっすらと光るものが浮かんでいた。


 その真剣な訴えに、皆が黙り込む。


 しばらくの沈黙が流れ、初めに動いたのは、意外にも河合だった。


 皆の不思議そうな視線の中、河合は俺と紗夜の前まで来ると、そこで立ち止まる。


「まだ反論があるなら、とことん付き合い――」


「――ごめんなさいッ!」


 紗夜の言葉を遮って、河合が深く頭を下げた。


 てっきり反論してくるのだろうと思っていた紗夜も、この河合の行動には驚き、他の人も戸惑いの色を見せている。


「ちょ、華!? 別にこっちが謝ることじゃないっしょ!?」


 自分の隣で急に頭を下げた河合に、金髪女子が焦ったように言う。


 しかし――――


「謝ることだよッ!」


 このグループでは、恐らく河合はあまり自分の意見をハッキリ言わない方。


 他の人間の言うことに頷いて、空気を読み、場の安定を保つ――そういう役回りのはずだ。


 それが、ここにきてこうもハッキリと自分の意見を口にしたので、俺や紗夜も含めて皆が驚いている。


「私、あのときからずっと後悔してたの! そりゃ、被害者の津城の方が私なんかよりよっぽど悩んだだはずだけど、そう言う意味では、私もあのときのことをずっと今日まで引きずってきた……」


 河合は下げていた顔を真っ直ぐ俺に向けると、ギュッと拳を握り込みながら言葉を続ける。


「騙して裏切った私に、今更謝られても腹立つと思う。でも、それでもやっぱり謝らせてほしい!」


 河合がそう言って改めて深く頭を下げてきた。


「ごめんなさいっ!」


 出任せじゃない、本心での謝罪だとわかる。


 俺がそんな河合の謝罪の言葉に戸惑っていると、隣から紗夜が「どうするんですか?」と尋ねてくる。


 正直、河合本人が言っていたように、今更謝られても過去がなかったことになるわけじゃないし、腹が立つ。


 罪悪感を感じるくらいなら、初めからやるなという話だ。


 しかし、そう考えていると、俺の脳裏にもしあの出来事がなかったらどうなっていたかというイメージが過った。


 だから、俺は後ろ頭を掻いて、大きくため息を吐いてから河合に「頭を上げてくれ」と言った。


「許してくれるの……?」


「勘違いしないでくれ。許すとか許さないとかそういう話じゃない。ただ、互いに気にしないようにしようってことだ」


「気にしない?」


 俺は肯定の意味を込めて大きく頷く。


「正直、あのときのことを許したくない。それが素直な俺の気持ちだ。だが、あの出来事がなかったら、俺はお前らや、出来事を知って俺をからかってきたような奴らから逃げるために今の高校に行くことなく、普通に地元の高校に――それこそお前らと同じ高校に行ってただろう」


 どうやら紗夜は、ここまでの俺の話で、俺の言いたいことがわかったらしく、「まったく、颯太君は……」と少し恥ずかしそうに微笑んでいた。


「もしそうなってたら、俺は紗夜と出会えてなかった。紗夜が引っ越してくることになるマンションの隣の部屋に俺はいなかったし、目の見えない紗夜を助けることもなかった」


 もしそんな世界線があるなら、俺は紗夜という人間を知らないわけだから別に悲しんだりはしないのだろうが、少なくとも今こうして紗夜と付き合っている俺は、紗夜と出会えない世界なんて考えられないし、考えたくもない。


「だから、そう言う点では感謝――はおかしいな。でも、そのお陰でこうして紗夜と出会えたのは事実だ。だから、許す許さないの話じゃなくて、もう起こってしまったことは仕方がないということで、気にしないことにする」


「……そっか」


 河合は今何を思っているのか、複雑な感情が入り混じったような笑みを浮かべていた。


 もしかすると河合は、抱いた罪悪感から解放されたいために、俺に許されたかったのかもしれない。


 それか、いっそのことありったけの怒りをぶつけてもらいたかったのかもしれない。


 その真意は俺にはわからないが、河合は最後に一度何も言わず頭を下げてから、グループの人達に「行こ」と短く言って、俺の横を通り過ぎて行った。


 どこか不満が残ってそうな金髪女子や、特に何とも思ってなさそうな緑髪女子、男子三人達も、その後を追って歩き出す。


 あとに残された俺と紗夜。


 俺はそっと紗夜に右手を差し出した。


「帰ろっか」


「はい、颯太君」


 紗夜の手が、俺の差し出した右手に優しく添えられた――――

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