第06話 お隣さんと夕食を①
街を案内したお礼に、美澄が夕食をご馳走してくれるということなので、俺は言葉に甘えることにした。
一度自宅に戻り、荷物を置く。
そして、微かな緊張感を胸に感じながら美澄の家のインターホンを鳴らすと、『開いてますよ』と返ってきたので、扉を開ける。
「お邪魔します」
知らない家の匂いがする。
ほんのりと甘く良い香りが広がっており、アロマでも置いてあるのだろうかと思ったが、それらしきものは見当たらない。
となると、これが美澄の…………
――と、それ以上は考えないようにした。
ただでさえ人生で初めて女子の家に入るという緊張感があるのに、別のことにも意識を割いていては、とても耐えられない。
何より、これ以上のことを考えるのは、流石に自分でもキモいなと思ってしまった。
「いらっしゃい、津城君。どうぞ入って来てください」
そんな美澄の声が、廊下の先の扉越しに聞こえてくる。
「ああ。鍵閉めとくぞ」
「え、何でですか?」
「へ?」
まさかそこで疑問を持たれるとは思ってなかったので、俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
「いや、鍵は閉めるもんだろ?」
「そ、そうなんですか? あまりそういう感覚はなかったといいますか……私の地元では、遠出しない限り鍵は閉めていなかったので」
「田舎あるあるってやつか?」
「う、うぅ……なんだか恥ずかしいです……」
玄関からは美澄の様子が窺えないが、何となく赤面している気がする。
「まぁ、これからはちゃんと閉めろよ? 一応このマンション、エントランスはオートロックになってるけど、万が一ってこともあるからな」
「……気を付けます」
俺は扉の鍵を閉め靴を脱ぐ。
間取りは俺の家と変わらない1LDKで、部屋を間違えるといった心配はなさそうだ。
廊下と部屋を隔てる扉を開けるとリビングになり、入るとキッチンに立って料理している美澄の姿が見えた。
「もうちょっと掛かるので、自由にくつろいでいてください」
「いや、俺も何か手伝……えることはないな、うん」
せめて配膳くらいはやるぞと伝え、俺はリビングに置かれているソファーにそっと腰掛ける。
ソファーの前に机、そしてテレビと、家具の配置が俺の家とほぼ同じなので親近感を覚えるが、違う点は、ここにはまだ荷解きの済んでいない段ボールがいくつか残っているところだ。
「まだ全部の荷解き終わってなかったんだな。手伝おうか?」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
「そうか? 遠慮はしなくていいんだぞ」
「えっと、そういうわけじゃなくて……」
何かをプレートに乗せて電子レンジに入れながら、美澄が若干気まずそうに言った。
「残りの段ボールは夏服とか、あと……下着とかなので……」
「あぁ……」
なるほどそれは手伝えない。
というか、この段ボールのどれかにソレが入ってるのか――って、別に入ってるモノまで教えてくれなくてもよかったのに。変に意識してしまうではないか。
気まずい沈黙の中、電子レンジのボタンを操作するピッという電子音が虚しく響く。
「あ、開けないでくださいよ!?」
「開けねぇよ!」
俺が変に無言になっていたから心配になったのだろうか。
というか、俺は美澄にそんなことをするかもしれない奴だと思われてしまっているのか?
いや、思われているも何も、まだ出会って二日。
俺だって美澄がどういう人間なのか完全に理解出来ているわけではないだろうし、それは美澄も同じのはずだ。
隣人としての付き合い。
同級生としての付き合い。
それらを通して、これから互いにどんな人間なのか、知っていくようになるのだろうか。
そんなことを漠然と考えながら、キッチンに視線を向ける。
そういえば今気付いたが、美澄が着ているのは今日出掛けたときに来ていた服ではない。
暖かそうな鼠色のニット生地のワンピースは膝上丈で軽く絞りがあり、そこから覗くしなやかな脚は、黒いタイツに包まれていた。
そして、上から黄色のエプロンを掛けている。
「ってか、料理姿が凄い様になってるな。目が見えないとは思えない手際の良さだ」
「へへ、ありがとうございます」
美澄はIHコンロに乗せた鍋を温め、お玉でゆっくりと中身を回しながら微笑む。
「視力がなくなってからしばらくは、結構苦労しましたけどね。慣れれば料理も問題なく出来るようになりました」
「いつからそうなったんだ?」
「えっと、ちょうど一年前くらいですかね」
「なるほど……それで、今のところ回復の兆しはないと」
「そうですね……」
俺は、病院で美澄の祖父が言っていたことを思い出していた。
『その抱えたストレスさえ緩和されれば紗夜の視力は戻ってくる』
……抱えたストレス。
その要因は実家の神社に関係あるのだろうか。
もしそうだとして、そこで一体何があったのか。
「気になりますか?」
美澄の抱えている問題について考えていたのを察したのだろう──美澄は食器を出しながらそんなことを聞いてきた。
気にならないと言えば、それは嘘だ。
そして、気になると言えば、美澄は間違いなく話してくれるのだろう。
だが、それは美澄が俺に教えたくて話すわけではなく、俺が聞いたから答えるということになってしまう。
それは、何か嫌だった。
「そうだな、気になる……けど、それは話してくれって言ってるワケじゃないぞ」
「え?」
「今じゃなくて良い。いつか、お前が我慢できない程に辛くなったとき、もう無理だって思ったとき……俺に頼りたくなったときに話してくれ」
俺はソファーを立ち上がり、キッチンへ向かうと、美澄の手から茶碗を取って炊飯器の蓋を開ける。
そして、しゃもじでご飯を混ぜて、適量を茶碗に盛っていく。
特に面白いことをしているわけでもないのに、美澄はそんな俺を目を丸くして見ていた。
「美澄?」
「は、はい」
美澄が呆然と立ち尽くしていたので声を掛けてみると、我に返ったのか、パチパチと目を瞬かせる。
「どうした? ボーっとして」
「あ……えっと、何だか津城君が――」
――ピーピー。
美澄の言葉を遮るように、そんな電子音が鳴った。
「あ、出来たようですね」
美澄は話を続けることなく、電子レンジの方へ足を運ぶ。
その先の言葉が少し気になったが、まぁいいかと思って、俺はご飯を盛った茶碗をダイニングテーブルに置く。
「……ありがとうございます」
「ん?」
「いえ、何でもありませんよ」
声が小さくてよく聞こえなかったし、電子レンジを開けた瞬間に立ち込めてきたジューシーな香りに意識が持っていかれてしまったのだ。
俺が「おぉ」と声を漏らしていると、皿に料理を盛る美澄がクスクスと可笑しそうに笑っていた――――
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