第05話 お隣さんに街案内④

 喫茶店を後にした俺達は、しばらく街を散策してから、帰りのバスに乗っていた―――――


 行きのときもそうだったが、俺がICカードを使ってピッという電子音が鳴ったときに、美澄が少しビクッとするのが面白い。


 どうやら美澄の地元の田舎では、ICカードは見掛けないらしい。


 その話題を振ったら、「わ、私もICカードデビューします」と言っていたので、もしかすると近いうちに美澄もピッと出来るようになるかもしれない。


 ほとんど目が見えない分、いちいち乗車券を取って料金を現金で支払うより、ICカードの方が楽だろうしな。


「ってか、出入り口に近い優先席じゃなくて良かったのか? この席少し階段あるし……」


「一人ならそうしたかもしれませんが……津城君と座るなら、普通席の方が良いでしょう?」


「それもそうか」


「……でも、あれですね」


「ん?」


 美澄はちょっぴり恥ずかしそうに、横に垂れる髪を指で巻き取りながら横目に視線を向けてきた。


「えっと……こうして並んで座っていると、やはり周りの人からは、私達がお付き合いしているように見えるんでしょうかね」


 美澄自身、その言葉に何か特別な意味を含めているつもりはないだろう。


 ただ普通に言葉通り、客観的に見て、こうして若い男女が並んで座っていれば恋仲に見えるのではないか、という話だ。


 だが、そうとわかっていても、そんな恥ずかしそうに言われれば、誰だってドキッとしてしまう。


 まったく……こういうことを無自覚にやってくるあたり、本当に質の悪い奴だ。


「いや、ないかな」


 俺は高鳴りつつあった鼓動を何とか静める。


「確かにパッと見たらそう勘違いする奴もいるかもしれんが、俺なんかじゃ美澄の相手になりえないよ」


「ど、どうしてですか?」


「美澄は美人で可愛いが、俺はそうじゃない。ただそれだけの話だ」


 自分で言ってて悲しくなってくるが、それが事実。


 もし周囲の人が俺達を見て何か思ったなら、それは「釣り合ってない」だろう。


「美澄……?」


 なぜか黙ってしまった美澄。


 視線を向けると、顔を真っ赤に染め上げて固まってしまっている姿があった。


「か、可愛いとかっ……と、突然変なこと言わないでください。恥ずかしいです」


「……あぁ、無自覚系か」


「む、無自覚とかではなくて、単に私が可愛くないだけです」


「いや、それを無自覚というんだと思うぞ? まぁ、自分では自分自身の価値を測れんものだからな」


「そ、それは津城君だって同じじゃないですか」


「何が?」


「さっき、『俺はそうじゃない』って……津城君だって自分の価値を自分で測れないんですから、自分が美形かそうじゃないかなんてわからないのではないですか?」


「フッ……俺は客観的に自分を見詰めることが出来るんだよ」


 美澄には、今俺が渾身のドヤ顔をしているのはわからないだろう。


「では、私が確かめてあげます」


「は? ……え、ちょっ、ま――」


 美澄が突然顔をグッと至近距離まで近付けてきたのだ。

 そして、片手で俺の前髪をサッと持ち上げる。


 互いの吐息すら感じられる距離。

 美澄の楚々と整った顔がすぐそこにあり、仄かな甘い匂いが俺の鼻腔をくすぐる。


 そんな状態の中、美澄は若干目を細めてしばらく俺の顔を凝視し続けている。


「ううん……凄くイケメンってわけではないですね」


「……わかってたけど、こうして言われると心にくるな」


 思わず苦笑いが零れ出てしまった。


 だが、そんなことよりも今はこの状況から早く逃れたい。


 恋愛感情抜きにしても、こうして可愛い女子と間近で見詰め合っているせいで、俺の心臓は激しく鳴りっぱなしだ。


「もういいだろ、離れてくれ……この体勢はちょっと、恥ずい」


「え? ……あっ」


 俺の言葉を受けて、美澄は初めて自分が俺と間近で見詰め合っていたことを自覚したようだ。


 美澄は大きく榛色の瞳を見開くと、慌てたように「ごめんなさいっ」と言って距離を取り、前を向いた。


 俺も相当恥ずかしかったが、横目に美澄の様子を盗み見てみれば、その横顔は火を噴く勢いで紅潮していた。


 俺と美澄の間に気まずい沈黙が流れる。


 しかし、赤信号でバスが停車したとき、静かに美澄が呟いた。


「でも、普通に整った顔だと思いましたよ……?」


「そりゃどうも。お世辞として受け取っとくぞ」


「別にお世辞なんて言ってません。素直にそう思っただけです……津城君の顔、私は良いと思いますよ?」


「……お前な、あんまりそういうこと言わない方がいいぞ。変な勘違いされるかもしれんからな」


「津城君でも勘違いしてしまいますか?」


「いや、俺はしないな。恋愛なんて信じてないし」


「恋愛を、信じてない?」


「ああ……」


 少し、身体が寒くなった気がする。


 俺が前を向くと、美澄はこれ以上の詮索をしてくることはなかった。


 そして、再び動き始めたバスは、もうすぐ俺たちが住む街へと到着する――――



◇◇◇



 バス停に到着し、俺と美澄は下車した。


「あー、美澄。こっから一人で大丈夫か?」


「えっと、大丈夫ですけど……どこかへ寄られるんですか?」


「ああ。夕食を調達しないとだからな」


「どこへ?」


「コンビニ」


「……え?」


「え?」


 なぜだか美澄がありえないものを見るような視線を向けてくる――とはいっても、俺の姿はほとんど映っていないだろうが。


 しかし、その瞳は確かに俺に向けられており、さらに言えば、徐々に呆れたようなものに変わっていく。


「はぁ……」


「な、何だよ」


「そういえば、カフェで料理は苦手だと言っていましたもんね」


 そう言って美澄は少し腕を組んで考え込む様子を見せると、改めて俺の方を向いた。


「あの、今日色々と案内していただいたお礼もしたいですし、夕食ご一緒しませんか?」


 俺は一瞬美澄が何を言っているのか理解出来ずに固まってしまったが、それがどこかへ食べに行こうという誘いではないことはすぐに理解した。


「……え、まさか作ってくれるのか?」


「はい。普通の家庭料理ですけど」


「い、良いのか?」


「良いから誘っているんですよ」


 まさかお隣さんに食事を作ってもらえるときが来るとは思ってもいなかったが、実際今俺はその状況にあるということだ。


 だが、本当に良いのだろうか。


 俺と美澄はただの隣人。


 だが、その前に年頃の男女であって、互いに一人暮らし。


 その家に上がり込むというのは少し気兼ねしてしまうところがある。


 しかし、密かにコンビニ弁当やスーパーの総菜にうんざりしてきていたのは事実。


 それに、美澄が礼をしたいということだし、何より美澄は男女と二人きりだからどうとかあまり気にしなさそうだ。


「で、どうしますか?」


 美澄が僅かに首を傾けて尋ねてくるので、俺はまぁいっかと思って後ろ頭を掻く。


「んじゃ、ご馳走になろうかな」


「はい。任せてください」


 そういうわけで、俺は美澄の家にお邪魔することになった――――

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