彼女の今の家

 やがて見えてきた家を見て、ルーサーは感銘を受けた。


「すごい。大きい。その上、植物が多い」

「そうね。この辺り、庭木にお金をかける家が多いから」

「庭が森みたいになっている家なんて、初めて見た」

「たしかに郊外にまで出ないと、この手の家は見ないわね。大きな街だったら、案外ここまでする家はないから」


 ルーサーが感嘆の声を上げてもおかしくないほど、雪が降ってもなお存在感を放つ緑に覆われているのがテルフォード邸だった。

 大きな扉の近くの鐘をアルマが鳴らす。


「ただいま戻りました。今日は幼馴染を連れ帰ってきたのだけれど」

「あらまあ、お嬢様! お帰りなさいませ! あら、まあ……!」


 パタパタと音を立ててやってきたのは、小さくふくよかな女性だった。アルマは会釈をする。


「ここの邸宅の管理人のマーヤよ。マーヤ。彼が……」

「あーあー、あなたがルーサーさんですね! ようこそおいでくださいました!」

「え、ええっと……お邪魔します」


 マーヤと呼ばれた女性は、ふくよかな体を揺らして「どうぞお入りください!」と招き入れてくれた。ルーサーは彼女の存在に呆気にとられていた。


「ええっと……」

「あの人、テルフォード教授の遠縁の方なの。教授がしょっちゅうフィールドワークに行って留守しがちだし、私も家庭教師についてもらってもなお、全然魔法がわからなくって泣いてたら、あの人がしょっちゅうやってきては『これがおいしい』『これを飲めば元気が出る』って世話をしてくれて。おかげで今の私があるの」

「そうなんだ。だったら、今のアルマの家族なんだね」

「そうね。あの人お節介だけれど、あの人が私を元気にしてくれたから、今があるのだから」


 そう言いながら中に入っていった。

 薪ストーブで温められた部屋はどこも温かく、通された食卓では、マーヤがうきうきしながらお茶の用意をしていた。


「お嬢様がもっと早くおっしゃってくださってたら、もっとお菓子を用意してたんですが!」

「まあ、マーヤ。そこまでいいわよ? ルーサーを呼んだのだって、私の勝手なんですから」

「そうはおっしゃってもですね。私もルーサーさんにお会いしとうございましたからね。はい、手作りで大したもんじゃごぜえませんが、どうぞどうぞ」

「いえ……むしろすごいですね?」


 ルーサーはマーヤがどっさりと用意してくれたお茶とお茶菓子を唖然とした顔で見つめていた。たっぷりのレモンカードに、ビスケット。スコーンにプディング。ヌガーやキャラメル、花やハーブの砂糖漬けまでどっさりと出してくれているのだから、これを手作りでたくさん出せるだけで恐れ入る。


「マーヤ、お客様がいらっしゃったらどっさりとお菓子を用意しておもてなしするから。遠慮せずにいただいてちょうだい」

「ええっと。じゃあいただきます……おいしい」


 ビスケットはさくさくとしており、レモンカードを少し塗って食べるとたまらない味になる。スコーンを割って用意されたジャムやクリームを塗って食べると、えも知れぬ幸せ感が溢れるし、ヌガーもキャラメルも既製品よりも柔らかい分いつまでも食べていられる。おまけに花とハーブの砂糖漬けはお茶と一緒にいただくと、真冬の寒さを忘れるのだ。


「おいしいです。ありがとうございます」

「いえいえ」

「それじゃあ、私の書斎に行きましょう」

「書斎? すごいね。魔法使いの?」

「ええ。マーヤ。危ないから入ってこないでちょうだいね」

「もちろんですとも。私は魔法ちっともわかりませんから!」


 マーヤは途中まで見送ってくれたものの、アルマはルーサーを伴って一階の最奥に位置する書斎にまでは入ってこなかった。

 書斎を見て、ルーサーは「わあああ」と声を上げた。

 ランプで照らされた部屋には薄っぺらい本棚がいくつも並び、そこにはびっしりと本が刺さっているのがわかる。どれもこれも稀少価値の高い本ばかりで、テルフォード親子だけで集めたにしては完成しきっている本棚にしばし茫然とする。


「すごいね、本当に」

「ええ……ここで泣きながらも本を読むのが好きだったから。私が最初に一生懸命読んでいたのはこの本ね」

「これは……」


 その本は魔女が迫害されていた時代のことを描いた本だった。

 今でこそ、魔法使いもある程度法律制定に参加する程度には、発言力を得ているが。一時期は迫害の対象であった。

 神を信仰している神殿にとって、神以外の奇跡はあってはいけないもの。魔に法律を押しつけて屈服させる魔法を使う魔法使いや魔女は、神の奇跡を勝手に簒奪する悪しきものとして、たびたび迫害の憂き目に遭っていたが。それでも魔法をきちんと知り、管理するものがいないと、この世界でたびたび起こる魔法に関する不条理な事件に対処する者はいなかったのだ。

 だからこそ、昔は迫害されていたが、今は違う。そのことを教える絵本は今でも必要だった。

 魔法がただの貴族や豪商の娯楽や嗜みにならぬよう。魔法が必要な人々に等しく行き渡るよう。よくも悪くも、禁術法が制定されたおかげで、国を挙げて追放しなければいけない魔法使いたちが立ち去ったおかげで、一般人に魔法普及の算段が整ったのだから、なにごとも悪いことばかりではない。

 ルーサーはそんなことを思いながら、アルマを眺めていた。

 アルマが絵本に視線を落としているのをじっと見る。彼女と過ごした日々をルーサーは妖精に奪い取られてしまい、それは勝手に妖精のものに置き換わってしまった。彼女のことを再会してもなお、思い出すことができなかった。

 それが彼女を悲しませてしまったが、今はちょうど手の届く範囲にいる。ルーサーはなにげなくチョン、と彼女のふっくらとした頬に触れると、アルマは驚いて翠の瞳を瞬かせた。


「なあに、どうしたのルーサー」

「……うん。少しだけ考えてたんだ」

「なにかしら」


 彼女は頬を薔薇色に染め上げる。

 ルーサーもまた、自分の頬が火照るのを感じていた。


「もし、君に再会することができないまま、君のことを忘れたままだったら、どうなっていたんだろうと」

「……そんなの許さないわ」

「僕のこと? ごめん」

「あなたを責めてどうするの。私から全てを奪った妖精のことよ」


 名前。行き道。故郷。

 なにもかもを奪い取られてしまった取り替え子だったアルマは、妖精を殺す術を会得するまで、どれだけ時間をかけたのか。彼女は元々が一般人なのだから、幼い頃から魔法の素養があり、魔法の行使方法も一般常識も教え込まれる魔法使いたちとは違い、全てイチから覚え直さなければいけなかったのだから、その道は並ならぬものだったが。

 アルマはじぃーっとルーサーを見た。


「あなたを奪ったら、私は私も、あの妖精も許せなくなってしまう。あなたが奪われなくって本当によかったと、今でも思っているわ」

「……アルマ」


 顔が近付く。互いの温度が近付く。先程マーヤにごちそうしてもらった紅茶の香りが漂う。あとちょっとだったが。

 ドサドサドサッと本棚の本が崩れてしまったせいで、我に返ってしまった。途端にふたりはパッと距離を離してしまった。


「ご、ごめん……!」

「い、いいえ! 私のほうこそ! あなたに私の今の家を見て欲しかっただけなのに! いきなりそういうのは駄目ね、ええ!」


 互いの気持ちはもうとっくの昔に知っていた。

 でもまだ、焦って先に進めるべきでもない。ふたりはまだ学生であり、まだ今を味わい尽くしてはいないのだから。

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