第9話


 そうして今朝も何気なく後にしたマンションに辿り着いた。


 いつもであれば、この場所はあまり人がいる事はない。それなのに、今はありえない程の人が来ており、人混みが出来ている。


「まっ、まさか……」


 その様子を見た如月は思わずそう声を零す。その言葉には「時すでに遅しだったか……」というもはや諦めの様なモノも含まれていたが、如月は瑞樹に引かれるように何とか人混みをかき分けて進んで行くと……。


「あ、如月ちゃん!」

「……大家さん」


 如月の声をかけたのは、このマンションの大家の女性だった。


「あの、何かあったんですか?」

「ああそうそう! ついさっきね、あなたのお母さんが病院に搬送されたのよ!」

「え!」


 大家さん曰く、タイミング良く救急隊の人が来て救助してくれたので命には別状はないらしい。


「そう……だったんですか。良かった」

「ええ、本当に良かったわよ」

「あれ、それなら母は……」

「ああ」


 だが、落ちないように転落防止用の柵に掴まっていた事もあり、治療の為に運ばれて行ったそうだ。


「もう本当にびっくりしちゃった! ものすごい叫び声だったんだから!」

「それは……すみません」

「あら、如月ちゃんが謝る事じゃないでしょう? それにしても、タイミング良く救助が来てくれて良かったわぁ」


 大家さんはそう言って安堵していたが、瑞樹とシスターは何やら辺りをキョロキョロと見渡している。多分、椎名を探しているのだろう。


「……?」


 そんな時、ふいに視線を感じた如月は屋上を見上げると……そこには椎名の姿があった――。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「椎名!」


 椎名に気がついた如月は、瑞樹にその事を伝え、大家さんから屋上に上がる方法を教えてもらった。

 ただ、屋上に行くためには屋上に続くマンションの中で一つしかない階段を使うしかなかった。


 しかも、その階段は点検などをする業者しか使っておらず、如月が聞いた時、大家さんは不思議そうな顔をされてしまったが。


「お久しぶりです。瑞樹」


 そうして急いで駆け上がった先に椎名はいた。


 如月が椎名の姿を発見して大家さんから屋上に上がる方法を教えてもらい、ここまで登るのにはそれ相応に時間がかかった。


 それはつまり「逃げようとすれば、逃げられた」という事を意味する。


 しかし、椎名は逃げる事もせずここで待ち構えていた。それはつまり、椎名は逃げるつもりは毛頭なかったという事なのだろう。


「この一件。お前が……焚きつけたのか。あの時の様に」

「おや、人聞きが悪いですね。僕はただ『今なら事故に見せかけられますよ』と言っただけです」

「言った……だけ?」

「ええ、ですので行動に移すのは自己責任です」


 椎名はニコリと笑う。


「ハッ! 自己責任? 他にも言ったんでしょ?」

「他? ああ、そういえば『ここで手を出さないと娘さんの将来の邪魔をするかも知れません』とは言いましたが」


 悪びれる様子もなく言う椎名に、如月は思わず身震いをした。


 なぜなら、彼は自分がそう言ったところで行動をするのは、あくまでその人の自己責任と思って疑っていないからだ。


「そんな言い方をして、行動を起こさないと思ったんですか?」

「……うん。でも、それは恨まれる方にも問題があるとは思いませんか?」


 サラリと返されたその言葉に、如月は思わず固まった。


 確かに『怪異』に襲われるのはいつだって世間的に見ても悪い人だ。死んでも晴らしきれなかったから、彼らは『怪異』になったと言っても過言ではない。


「……で、その『怪異』はどうなった」

「ああ、消えました」

「……」

「でも、不思議だったんですよね。自分の娘を苦しめている存在の彼女を追い詰めてすぐに消えてしまったんですから」


 椎名はそう言って「はて?」と不思議そうに首をひねる。


「……」


 でも、如月には何となくその理由が分かる様な気がした。


 結局、父は最後まで悪人にはなれなかった……という事なのだろう。しかし、如月は「それで良かった」と心の底から安堵した。


「椎名、お前の言い分は分かった。でもよ。だからと言って自分が犯した殺人まで『怪異』のせいにするのは頂けねぇな」

「何?」


 この時、初めて椎名の穏やかな笑顔が崩れた……様な気がした。


「おやっさんに調べてもらっていた『怪異』絡みと思われる事件の中にあった一件の火災事件があったんだが。それが少しおかしくてな」


 被害者は市議会議員を長年勤めてきた人物だった。当初はタバコの不始末が原因とされていた。


「だが、おやっさんが事件現場に調書を持って行ったら、そこから数々の不審な点が出て来たんだよなぁ」

「……」


 瑞樹が椎名に話しかけながら詰め寄る。


「一つに包丁が一つもなかった事だ。しかも被害者は料理を作るのを趣味としていたにも関わらずだ」

「そっ、それが何か?」


「いやいや、そうじゃなくても一本もないのはおかしいだろ。後は、火元となったところに不自然に置かれた洗濯物だな」

「あっ、雨が降っていたので取り入れたのでしょう? それの何がおかしいのですか?」


「ははは、残念ながら事件当日は晴れだ。一瞬雨が降ったらしいが、取り込んだのは被害者の奥さんで、雨が降る前に取り込んでいる」

「……」


「だからタバコなんてつけるはずがない。しかも、被害者は以前。ヘビースモーカーだったらしいが、今は禁煙している。まぁ、それがきっかけで料理に目覚めたらしいが」

「……」


 ちなみに、奥さんは洗濯物を取り込んだ後に買い物に出ている。その最中に通り雨が降ったそうだ。


「火災が起きたのはその通り雨の後って事になっているんだけどな。どうして椎名は雨が降っていた事を知っているんだ?」

「それは……僕もちょうど外にいたからですよ」


 椎名はそう言って瑞樹から視線を外す。


「……まぁいい。で、こうなると浮かび上がるのが、一つに彼がヘビースモーカーだった事を知っていて、なおかつ最近の被害者を知らない人物。そして、彼に恨みを持つ人間が多い事を知っている人物による犯行となるワケだ」

「それでしたら、僕を疑うのは違うのでは?」

「残念ながら、それが立証出来ちまうんだよ。証拠隠滅の為におまえがけしかけた『怪異』によってな」

「どっ、どういう事ですか? 瑞樹さん」


 椎名はグッと拳を握りしめていたが、それ以上に驚いたのが如月だ。


「火災の班員はその議員の秘書だった。こいつがけしかけた『怪異』に驚いて自分が持っていたタバコを洗濯物に入れちまったんだと」


 瑞樹は如月の質問に答える。


「……ハハ、全部バレていましたか」


 その答えを聞いた瞬間、椎名は握りしめていた拳の力を抜いた。それはまるで「もう、言い逃れ出来ない」と観念した様にも見える。


「ちょっと調べればすぐに分かった事だ。おやっさんには手伝ってもらったけどな」


 瑞樹がそう言って「はぁ」とため息をところで、おやっさんが数人の警察官を連れて現れた――。

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