第6話


「……」


 男性に声をかけられてふと思い返してみると、如月は「椎名」という人物の名前は知っていたが、それ以外は何も知らなかった事に今になって気がついた。


「……」


 しかし、瑞樹からは「椎名」という名前自体聞いた事がなかったが、シスターは言っていたのは確か『椎名はその年にしては話し方が物腰柔らかく、とても子供には見えなかった』だったはずだ。


 ただ、身体的な特徴は聞いていないそれでもなぜか、目の前にいる人物を「椎名」だと思っている自分がいる。

 確信があるわけではない。

 でもそう思うのは多分、ついさっきまで「椎名」について話をしていたから為に、頭の中に自分で考えていた『椎名』という人物像が多少残っていたからとも言えるのだろう。


「あの?」

「はい、どうされましたか?」

「ああ、すみません。何やら考え事をされていた様なので」


 軽く「コホン」と咳払いをしながら尋ねると、男性はニコリとこちらに笑顔を向ける。


「?」


 男性はあまり芸能などに明るくない如月でも分かる程なかなかに整った顔つきをしている様に見え、特に目元が特徴的で随分とパッチリとしていた。


 それこそ「化粧でもしているんですか?」と尋ねたくなってしまうほどである。


「……何か様ですか。私も忙しいのですが」


 しかし、如月はそれよりも不信感の方が勝っていた。


 なぜなら、男性の笑顔はパッと見ると如月の方を見ている様に見えるが、視線の先に移っているのは如月ではない「別の何か」を見ている様に感じたからだ。


「あ、待って!」


 如月はその場を離れようとしたが、男性は必死に如月を呼び止める。


「はい?」

「実は俺。昨日ここに引っ越して来たんだけど」

「はぁ」


 それが一体どうしたのだろうか。ここに住んでいる人は、誰が引っ越して来ようと、引っ越そうと気にしない傾向が強いのだが。


「ほとんどの人には挨拶したんだけど、君は挨拶出来ていなくてさ」

「はぁ、それはご丁寧に」


 男性に対する警戒を崩さない如月に対しても向けられる男性の人懐っこそうな表情。


 たったコレだけで少し幼く如月よりも小さければ、ここに住んでいるマダムたちはいちコロになっていただろう。

 しかし、この時の顔はさっきとは違い、どことなく演技がかっている様にも如月には見えた。


「……」


 まぁ、悲しい事に如月は「誰がイケメン」とか「かっこいい」とかあまりピンと来ず、芸能関係にもかなり疎い。

 でもまぁ、礼儀正しいというところだけは好感が持てる。ただ、さっきの不信感を抜きにしての話だが。


「えと。じゃあ、改めて。俺の名前は『椎名しいな春彦はるひこ』と言います。呼び方は……君の好きに呼んでください」

「……ご丁寧にどうも」


 笑顔で言った彼に対し、如月は思わず「ああ、やっぱり」と自分の直感が正しかった事に気付かされた。


「ところで、君の名前は?」


 このまま去っても……と思ったが、さすがに相手が名乗ったのだからこうして名前を聞かれるのも当然の流れではあるだろう。


「――如月。如月優希です」


 そこで如月はまるで「何も知りません」と言わんばかりの様子でサラッと名乗り、そのままその場を後にしたのだった――。

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