珈琲色の初恋
三宅天斗
プロローグ
大学一年、春。家から大学までの道。隣では、僕の彼女の飛鳥が本を開きながら小さな歩幅でゆっくりと歩いている。そんないつも通りの飛鳥を見つめた後、視線を少し上の方に外すと、薄ピンク色の花びらを付けた桜が美しく、そして力強く咲いていた。その花びらが、春の柔らかい風に揺られてひらひらと儚げに舞い落ちてくる。春の風情のある光景に目を奪われていると、
「ママ。おはな、すっごくきれいだね」
可愛らしい声が聞こえてきた。見ると、黄色い帽子をかぶった男の子が短い腕をめいっぱいに伸ばして、小さな手で桜を指さしている。
「そうね。きれいだね」
お母さんの方もすごく楽しそうに表情を綻ばせて、桜の木を見上げている。
そんなほほえましい光景から、難しそうな顔をして本とにらめっこしている飛鳥に視線を戻す。彼女の目にはかわいらしい男の子も、優しそうなお母さんも、美しく咲き誇る桜の花さえも入っていないようで、ただひたすらに自分だけの世界に没入していた。
「飛鳥。歩きながらの読書は危ないよ」
「……」
いつも通り飛鳥からの返事はない。本を読んでいるときの飛鳥には、僕の声は届いていない。そう思っていたのだけれど、
「あ、そうだ」
と突然、飛鳥が本から目を離して思い立ったように口を開いた。
「どうしたの?」
「喉乾いた。何か買ってきて」
本を開いたまま、顔だけこちらに向けて飛鳥はそう言った。
「わかったよ」
少しぶっきらぼうな飛鳥に、優しく返事をして、僕は近くに会った青色の自動販売機でアイスコーヒーを買った。
「はい、アイスコーヒー」
小走りで飛鳥の隣に並んで、さっき買ったアイスコーヒーを手渡した。
「ありがと……。って、空いてないじゃん」
「あ、ごめん」
飛鳥の絶望的な握力では、缶の蓋を開けることも困難なようで、再び手の中に戻って来たコーヒーの缶の蓋を開けて、再度、飛鳥に手渡した。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
今度はちゃんとお礼の言葉を言った飛鳥は、読んでいた本を僕に渡してくる。僕はいつも通り飛鳥の後ろに回って、その本を飛鳥の背負っているリュックサックの中にしまって、飛鳥の隣に戻った。
「苦い……」
飛鳥は、両手で包んだ缶を睨みつけてボソッと呟いた。
「あ、ごめん。ブラックにしちゃった」
「絶対にわざとだろ」
飛鳥の強い視線が僕に向けられる。昔は怖いと感じていたのに、今は普通に受け止められる。
「違うよ」
否定しても依然つづけられるその鋭い視線に「ごめん」と小さく謝った。すると飛鳥は、「はぁ」と大きく息を吐いて、正面を向いた。
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