何か臭くて、あまり近づきたくない物【連載中】
モグラ研二
第1話 状況に応じて判断すべき
池袋駅の構内にて、褐色の肌をしたズングリ体型、目のぱっちりした、黒髪短髪の男性が、通り過ぎる人に声を掛けていく。
男性は中年。40歳は過ぎているように、見える。
彼は手に日本語の書かれた小さなプレートを、持っている。そこには「私の手作りお菓子買ってください」と書かれている。
「あのーいいですか?あの」とその男性は、体格のいい男性だけ避けて、男女問わず、声を掛けていく。
もちろん、それは殴られてしまう可能性を極力なくすための防衛策。
しかし、無視されてしまう。
自分よりも弱いであろうと目星を付けた奴らに無視されるのは、かなりの屈辱。
「雑魚のくせに生意気」そういう感想が浮かんでも仕方なかろう。
鉄パイプ等でめった打ちにしてやりたい、血祭りにあげてやりたい、苦痛に歪む顔を笑いながら見てやりたい。
そういう感情が沸き起こるのは、普通のことだ。
彼は下唇を噛み、悲しみに満ちた顔つきになる。やがて、通過する人々は、彼を見ることもなくなる。
「日本好きです。買ってください」
立ち止まる人も、本当にたまにだがいる。
一様に、死んだ魚のような目で、数秒間、彼のことを見て、去って行く。
「なぜ?洗練の国、美しいサムライ魂の国、日本好きですよ?」
声は、むなしく、群衆のなかに掻き消える。
「わざわざ来ました。日本好きだから、こんな東の果ての島に」
誰の心も、動かすことのない言葉。
言葉として機能していない言葉。
だが、だいたいの他人の言葉なんて、そんなものじゃないのか、とも思える言葉。
彼がずんぐりしたおっさんの見た目だから、というのも、原因だろうか。彼が、可愛い美少女だったら違ったのか。「美少女の手作り」ならば、売れただろうか。
「買ってください……日本人なんでこんな冷たい?いいの?私、日本嫌いになるけど、いいのか?なあ、国際機関に言うけど、週刊誌にもリークする、酷い奴らだって、言うよ?なあ、いいのか?ムカつくから抗議のための銅像も設置」
声は、むなしく、群衆のなかに掻き消える。
死んだ魚のような目をした青年が、たまに立ち止まるが、すぐに去って行く。
「日本人ごとき、何様なのか、アギャーと叫びながら、爆発すればいい。マジムカつく。買えよ。なんで買わない。表情のない機械。ムカつく、イカつく……」
誰も、彼の言葉によって心を動かされることはなかった。無だった。何も伝えることのない言葉が、連呼されていた。
私は、常日頃、思いやりの精神を大事にしているので、可哀想な彼に声を掛け、どうしてそんなにお菓子を売りたいのか尋ねた。
「お金を貯めて、日本で、桜を見る会を開きたい、たくさん有名人、芸能人、セレブリティを招待して、それで、ツーショット撮影したいですね、もちろん政治世界の人々とも、仲良くなりたい、それで、私は下々の人々に対し、マウンティングして気持ちよくなりたいね。承認欲求満たす」
彼は言った。
私は話を聞いた時点で自分の責務を果たしたと判断して「失礼」と小声で言ってその場を去ったのだった。
さっさといなくならず、お菓子を売る手伝いをすればいいのに、という声もあろうが、金が貰えるわけでもないのに、そんな面倒かつ恥ずかしいことなどしたくない。
なんで?思いやり溢れる人間なんでしょ?手伝いくらいしてあげなよ。
嫌だ。私は断固拒否だ。
他人にそういうことを強要したり、罪悪感を抱かせようとする人物は、だいたいにおいてクズなので死んだ方がいいんだ、というのは、私の人生哲学。
《他人に善行を強要する奴は絶対に信用しない。地獄に落ちるべき。》
ならばお前がやればいい、としか言いようがない。
話によればまだ3245円しか貯まっていないということだが、彼がいつか盛大に、彼自身の名前を冠した「桜を見る会」を開催できることを、思いやりの精神に溢れる私は、心から祈る次第だ。
腐らずに努力し続ければその誠意はきっと伝わる。夢を諦めないで欲しい。
「死ね!殺す!ムカつく日本人!好きだっつってんだろ!ボケ!!本気で死ね!」
次に見た時、彼はそう叫びながら、「手作りお菓子」を通りすがりの華奢な女性に投げつけていた。彼に追い回され、お菓子をぶつけられている女性は涙を流し、悲鳴をあげながら逃げていた。
なぜ、熱心でありピュアな夢を持つ彼の話を聞いて、お菓子を買ってあげないのだろうか。女性の態度は大変不誠実で、何かしらの処罰を受けるべきでは、と不満に思ったが、そんなことにも、彼は腐ることなく、夢を諦めず、努力を続けているようだ。
そういえば、彼が売っていたお菓子は、ドーナッツに見ようと思えば見えた。
ドーナッツというお菓子は、小麦粉に水、砂糖、バター、卵などを加え、油で揚げたお菓子のことを、一般的には言う。
ミスタードーナッツ、というお店が、日本では有名だろうか。よく駅前なんかにある。ドーナッツ以外に小籠包なども売っていて、それが肉汁たっぷりで意外に美味しい。
ドーナッツは日本では比較的親しまれている洋菓子。
私自身、たまに、ドーナッツを食べる。
私は、コンビニで買ったドーナッツを齧りながら、何となく電信柱の横にいた。
無表情で、電信柱の横に立ち、ドーナッツを齧っていただけだったのだが、そのときに通りかかった知らない頭髪の欠如した肥満体の男性が「俺のフルヌードを想像してんだろ!この変態野郎!」と私に対して宣言。
「そんなことありえない」と私が言っても、頭髪の欠如した肥満体の男性は納得しない。
「俺は40年前に天使と評判の可愛い男の子だった。髪は茶色く、カールしていて、色も白くて。今もそうだ。パピーポコやマミーポコは俺を天使だと言って俺の全身にキスするよ」
「隅々までですか?」
「当たり前だ!」叫び、上半身裸になる頭髪の欠如した肥満体の男性。
「可愛いだろうが!見ろや!」
意外にも乳首は綺麗なピンク。やや毛が生えていた。
うおーと叫びながら、頭髪の欠如した肥満体の男性が、私を突き飛ばした。
突き飛ばされた私は道路の真ん中に移動。すみやかに2トントラックに轢かれた。私の赤黒いハラワタが路上にぶち撒かれた。
私の生首は吹き飛んでしばらく浮遊。
血溜まりにドーナッツが落ちているのが、見えた。あのドーナッツはもう誰も食べない。それは残念。
《食べ物を粗末にしてはいけない。それは、何より大切な教えではないだろうか。》
「血、内臓、全部集めてくれ!こいつ、俺をいやらしい目で見てた奴!」頭髪の欠如した肥満体の男性が宣言。
犯罪を許せない熱い正義に燃えた市民が、手を血みどろにしながら、私のハラワタを回収。ボランティア活動。血を顔に塗り合い、フェイスペイントみたいで、楽しいね、と和やかな雰囲気。カップルはお互いの顔に血で、ハートマークを書いている。
熱心に集めた血や臓物を箱に詰める。
「犯罪者は逮捕」と伝票に記載して警察署に郵送。
「私」が死んだので、受験生の貴美子が登場する。貴美子は、黒髪ロング、色白で、清楚なお嬢さん、という印象。
塾の帰りに、貴美子は池袋の駅構内でドーナッツを購入。
ミスタードーナッツなどの店ではなく、階段のところに佇んでいる、褐色の肌をした外国人っぽい男の人から1個220円で購入した。
「私の手作りだからとても美味しい」
男の人は言っていた。目が、とてもぱっちりしていて大きかった。
お爺さんも目が大きくて、晩年、朝起きたら目玉が枕元に落ちていて、それを飼い犬が誤って食ってしまい、お爺さんは失明したのだという。
「とても悲惨でした。お爺さんは大好きな濃厚なポルノグラフィーも見られなかった。エッチな気分になれない。俺はもう死ぬと、毎日のように言っていました」
神妙な面持ちでその人は言っていた。
「それまでは毎日、全裸でバナナの木に抱きついて股間を擦り付けて、白目を剥きながら、イグーイグイグー、と元気に叫んでいたのですが、可哀想に、お爺さんはずっと椅子に座って泣いていましたよ」
その人はドーナッツをたくさん売って、お金をためて自身の名前を冠した「桜を見る会」をいつか開きたいと言っていた。
「お金を貯めて、日本で、桜を見る会を開きたい、たくさん有名人、芸能人、セレブリティを招待して、それで、ツーショット撮影したいですね、もちろん政治世界の人々とも、仲良くなりたい、それで、私は下々の人々に対し、マウンティングして気持ちよくなりたいね。承認欲求満たす」
その外国人っぽい人は言っていた。
優しい心根の貴美子は「あはは」という感じの愛想笑いを浮かべていた。
愛想笑いは、社会で生きていくための、重要なスキル。愛想笑いができず、その場でぶん殴られ、運悪く後頭部を強打、以後40年間植物状態の人物も、実在する。愛想笑いは、出来た方がいいし、上手くできないなら、鏡の前で、練習をした方がいい。
「貴美子が帰宅したわよー」
貴美子は宣言し、紙袋に入ったドーナッツを取り出してテーブルに並べた。
「みんな、おみやげ、食べてね」
弟のヨネオが走ってきて、バクバクと、馬鹿みたいに3つも、ドーナッツを食べた。
「ヨネオ!みんなの分もとっておいて!思いやりの精神を持ちなさい!」
貴美子は怒る。お母さんとお父さんも怒る。貴美子の家は、思いやり精神を何より大事にしている。
ヨネオは反省して、自分の口に指を三本突っ込んで、飲み込んだドーナッツをその場にゲロゲロと吐き出した。
「ごめんよ。返すよ」
でも、そんなものみんな食べるわけない。汚い。ヨネオは常識があまりない。
貴美子はドーナッツをたくさん買っていたから、一人1個ずつは、食べることができた。
ドーナッツは特別美味しいわけではなかった。むしろ、香辛料みたいな臭いものが振りかけられていて、場合によっては不味くさえ感じられた。それは残念。
その日の夜、寝ていると、いきなり同じ部屋に寝ているヨネオがケダモノみたいに叫びだした。声帯が心配になるほどのデスボイス。
「ヨネオ!うるさい!」
貴美子は怒る。電気をつけるとヨネオのお腹が物凄く膨らんでいて今にも弾けそう。
「ヨネオ!どうしたの!」
「僕死にそう。何か産まれそう……やばいよ……お姉ちゃん、僕、やばい……」
ヨネオは虚ろな目、真っ青な顔をしていた。
《ヨネオが、最愛の弟が死んじゃう!》
貴美子はドタバタと慌ただしい足音をたてて、お母さんとお父さんを呼びに行く。
2人は、ちょうど、五十嵐伯爵夫人の夜会に出かけるところだった。
綺麗なドレス、綺麗なスーツ。
「ヨネオがやばい!大変なの!夜会に行かないで!」
貴美子の言葉に、お母さんは怒る。
「ヨネオの生命力を信じているからこそ出かけます。きっと、ヨネオは死なないで生還することでしょう」
貴美子に対して、お父さんが、目を吊り上げ、歯茎を剥き出しにして、殴りかかるようなポーズを取っていた。
お父さんは普段は物を言わない静かで優しいお父さんだけど、キレると手がつけられなかった。「俺はゴリラの末裔だ」と延々叫び続け、手当たり次第に物を破壊した。
破壊行為について、冷静になっても、お父さんは反省しない。
「ゴリラの末裔ならばある程度の破壊行為は想定されてしかるべきだ」
「破壊する者ではなく破壊されることを想定できなかった者こそが悪いと自覚せよ」
「あらゆるパターンを想定し、防衛体制は盤石なものにすべき」
お父さんは理解を求める。
理解をしない場合、お父さんはまた、「俺はゴリラの末裔。だから破壊活動をするのは仕方がない」と連呼しながら暴れ始める。
だから、みんな理解するしかない。選択肢などないのだ。
二階、ヨネオがいる部屋から凄絶な「アギャー!」という叫び声と、大きな爆発音がした。
お母さんとお父さんはそれらを無視して、五十嵐伯爵夫人の夜会に出かけた。
玄関口でしばらく、愛想笑いを浮かべながら、貴美子は懸命に手を振っていた。
愛想笑いは、社会で生きていくための、重要なスキル。愛想笑いができず、その場でぶん殴られ、運悪く後頭部を強打、以後40年間植物状態の人物も、実在する。愛想笑いは、出来た方がいいし、上手くできないなら、鏡の前で、練習をした方がいい。だが、その姿を第三者に見られた場合、笑顔が素敵な人として認定され、トイレや風呂も含め、四六時中、ストーキングされるリスクがある。その可能性も考慮した上で、各自、状況に応じて、判断して欲しい。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます