3
がたん、と一つ大きく車体を揺さぶってから、列車が動き出す。
エンジン音がうわーんと、妙に甲高い音を立てる。
「――幌倉鉄道、だよな……」
今はもう廃線になったはずの列車に乗っている。
車両のことまでは詳しくないけど――この古めかしい雰囲気は、現代の電車とはちょっと思えない。新しいレトロ調のなんとかというのも世の中には結構あるけど、それにしてはちょっと傷んでいる。現に、僕の目の前の木の窓枠(――うん、窓枠が木製!)は、古びた黒ずんでいる中の一部だけが欠けてしまって、そこだけ白く目立っている。
窓の向こうに流れていく川の流れ。所々で岩にぶつかり小さな飛沫を作りながら、線路沿いを流れて行く。その流れを遡るように、電車は大きく揺れながらゆっくりと走って行く。
さっき列車に乗ったはずの――自分が見たのと同じ駅のはずだ、だとしたら――弥沢駅。その駅名にもなっている弥沢渓谷が、ロングシートの向こうの車窓に広がっている。
斜め前では、さっきの2人の女の子が窓の外を指差している。
「あ、なんかあの岩かえるっぽい」
背の高い女の子が無邪気に声を上げる。
「――むしろ土下座する人っぽくない?」
背の低い子が冷めた口調で言った。
そう言われてみると土下座にしか見えなくなる。超土下座。足蹴にされても文句が言えない感じ。
その岩をじっと見ようとした瞬間、短いトンネルが視界を遮る。
その時初めて気付いた。この車両に蛍光灯は付いていない。その代わり、電球が天井からぶら下がっていて、少し淡い感じの光を放っていた。
列車が空気を切る音が、ごぉっ、と響き渡る。
轟音が去って再び車内が明るくなると、今度は鉄橋。スピードを落として急なカーブを曲がると、がたん、がたん、とレールの刻みの音を立てて、渓谷を渡っていく。
再びさっきと逆方向にカーブを切ると、今度は僕が座っている側の窓の向こうに渓谷が広がる。
僕は首を思いっきり後ろに回して、その景色を眺める。昔のことだからなるべく地形に沿うよう線路を敷いたんだろう。渓谷の眺めは驚くほど近い。
「良い眺めですね」
その時、背後から声を掛けられて、僕は首を元に戻す。
そこにいたのは、無邪気な声を上げていた女の子。――確かさっき、ユキナと呼ばれていた気がする。
「……ですね」
色々な言葉を呑み込んで、取り敢えずそう簡単に答える。
いったいこの電車は何なのか。そしてユキナは、シオリは何者なのか。聞きたいことはあまりにも沢山ある。
だけど、それを聞くことは出来ずに、当たり障りのないセリフを口にする。
「友だちと一緒にいなくていいんですか?」
「大丈夫ですよ」
そう言いながらシオリの方を見る。
ロングシートの端で、シオリは何やら携帯をいじっていた。
「シオリ、マイペースですから」
――さっきからのやり取りを見てると、どっちもどっちだ、という言葉は飲み込んでおく。
小さなカーブで、電車が揺れる。すこしふらついたユキナは、そのまま僕の横に座った。
「そう言えば眠そうでしたけど、目は覚めましたか?」
一瞬考えてから、ホームで寝てしまっていたことを思い出す。
「もう眠気吹っ飛んだみたいです」
「良かったです。……びっくりしましたもん、ホームで人が寝てて」
「単なる睡眠不足だと思います。……お二人は旅行ですか?」
そう言いながら、話を少し逸らす。これ以上聞かれても説明ができない。
「……うーん」
少し考えるようにしてユキナが窓の外を見てから、ちょっと首を傾げる。
「旅行、でいいのかな」
何やらもって回った言い方。――謎はますます深まる。
「どこまで行くんですか?」
「終点までです」
終点に何があるのか、と訊こうとした時、ユキナが先に言葉を続ける。
「強いて言えば、約束のため、ですね」
「約束?」
「もう一度会いたい人が、いるんです」
「……その人が、終点の町で待ってるの?」
「分かりません」
そう言ってから、ちょっと遠い目をした。
「約束をすっぽかされているかも、しれないんです?」
「いえ」
首を少し振る。
「約束をすっぽかされるのなら、まだマシだと思うんです」
ユキナの思いがけない言葉。
僕は思わずユキナの顔をじっと見る。
「だって、約束をすっぽかすってことは――その人は、ちゃんと約束を覚えているってことじゃないですか」
そう言ってから、彼女は窓の向こうを見た。
少し向こうに流れる川、その間には青々とした草が茂っている。その向こうには、さっきより大分迫ってきた山々。
「覚えているからこそ、すっぽかすんです。それならまだいいと思うんです」
僕の方を見ないまま――半ば自分に言い聞かせるように言う。
「本当に悲しいのは。約束を忘れられてることだと思うんです」
「――ユキナさんは、誰かに忘れられたの?」
問いかけるともなく、僕は言った。
「まだ、分かりません」
そう言うと、ユキナは不思議な笑みを浮かべた。――柔らかで、そしてどこか寂しさが混じったような表情。
「でも、きっと忘れていないと私は信じてます」
そう言うユキナの視線は、どこか遠くを見ているかのようで。
「大切な約束なんだね」
「そうですね」
もう一度にっこりと笑う。
「だからシオリも付いてきてくれたんです」
その時、列車のスピードが落ち始めた。
それほど急減速をしているわけでもないのに、ブレーキが甲高いきしみを立てる。
バランスを崩したらしいユキナの肩が、僕の肩にちょっと触れた。
ちらっと見ると、少し恥ずかしそうな顔が視線を逸らした。
列車がゆっくりと、ホームに飛び込む。
――少し錆の浮いた古い駅名標には、「南平木」と書かれている。
「終点まであと3駅ですね」
ドアの上を見上げながら、ユキナが言った。
ふと見ると、そこには路線図が掲示されていた。――と言っても一本道の、この路線だけの路線図。さっき乗ったのが弥沢駅で、そこから順に、南平木、北平木、星越、夢見ヶ丘。
……夢見ヶ丘?
この鉄道の終点は、そんな名前だったっけ?
首を傾げる僕の前で、誰も乗らないまま扉はすぐに閉じる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます