がたん、と一つ大きく車体を揺さぶってから、列車が動き出す。

 エンジン音がうわーんと、妙に甲高い音を立てる。

「――幌倉鉄道、だよな……」

 今はもう廃線になったはずの列車に乗っている。

 車両のことまでは詳しくないけど――この古めかしい雰囲気は、現代の電車とはちょっと思えない。新しいレトロ調のなんとかというのも世の中には結構あるけど、それにしてはちょっと傷んでいる。現に、僕の目の前の木の窓枠(――うん、窓枠が木製!)は、古びた黒ずんでいる中の一部だけが欠けてしまって、そこだけ白く目立っている。

 窓の向こうに流れていく川の流れ。所々で岩にぶつかり小さな飛沫を作りながら、線路沿いを流れて行く。その流れを遡るように、電車は大きく揺れながらゆっくりと走って行く。

 さっき列車に乗ったはずの――自分が見たのと同じ駅のはずだ、だとしたら――弥沢駅。その駅名にもなっている弥沢渓谷が、ロングシートの向こうの車窓に広がっている。

 斜め前では、さっきの2人の女の子が窓の外を指差している。

「あ、なんかあの岩かえるっぽい」

 背の高い女の子が無邪気に声を上げる。

「――むしろ土下座する人っぽくない?」

 背の低い子が冷めた口調で言った。

 そう言われてみると土下座にしか見えなくなる。超土下座。足蹴にされても文句が言えない感じ。

 その岩をじっと見ようとした瞬間、短いトンネルが視界を遮る。

 その時初めて気付いた。この車両に蛍光灯は付いていない。その代わり、電球が天井からぶら下がっていて、少し淡い感じの光を放っていた。

 列車が空気を切る音が、ごぉっ、と響き渡る。

 轟音が去って再び車内が明るくなると、今度は鉄橋。スピードを落として急なカーブを曲がると、がたん、がたん、とレールの刻みの音を立てて、渓谷を渡っていく。

 再びさっきと逆方向にカーブを切ると、今度は僕が座っている側の窓の向こうに渓谷が広がる。

 僕は首を思いっきり後ろに回して、その景色を眺める。昔のことだからなるべく地形に沿うよう線路を敷いたんだろう。渓谷の眺めは驚くほど近い。

「良い眺めですね」

 その時、背後から声を掛けられて、僕は首を元に戻す。

 そこにいたのは、無邪気な声を上げていた女の子。――確かさっき、ユキナと呼ばれていた気がする。

「……ですね」

 色々な言葉を呑み込んで、取り敢えずそう簡単に答える。

 いったいこの電車は何なのか。そしてユキナは、シオリは何者なのか。聞きたいことはあまりにも沢山ある。

だけど、それを聞くことは出来ずに、当たり障りのないセリフを口にする。

「友だちと一緒にいなくていいんですか?」

「大丈夫ですよ」

 そう言いながらシオリの方を見る。

 ロングシートの端で、シオリは何やら携帯をいじっていた。

「シオリ、マイペースですから」

 ――さっきからのやり取りを見てると、どっちもどっちだ、という言葉は飲み込んでおく。

 小さなカーブで、電車が揺れる。すこしふらついたユキナは、そのまま僕の横に座った。

「そう言えば眠そうでしたけど、目は覚めましたか?」

 一瞬考えてから、ホームで寝てしまっていたことを思い出す。

「もう眠気吹っ飛んだみたいです」

「良かったです。……びっくりしましたもん、ホームで人が寝てて」

「単なる睡眠不足だと思います。……お二人は旅行ですか?」

 そう言いながら、話を少し逸らす。これ以上聞かれても説明ができない。

「……うーん」

 少し考えるようにしてユキナが窓の外を見てから、ちょっと首を傾げる。

「旅行、でいいのかな」

 何やらもって回った言い方。――謎はますます深まる。

「どこまで行くんですか?」

「終点までです」

 終点に何があるのか、と訊こうとした時、ユキナが先に言葉を続ける。

「強いて言えば、約束のため、ですね」

「約束?」

「もう一度会いたい人が、いるんです」

「……その人が、終点の町で待ってるの?」

「分かりません」

 そう言ってから、ちょっと遠い目をした。

「約束をすっぽかされているかも、しれないんです?」

「いえ」

 首を少し振る。

「約束をすっぽかされるのなら、まだマシだと思うんです」

 ユキナの思いがけない言葉。

 僕は思わずユキナの顔をじっと見る。

「だって、約束をすっぽかすってことは――その人は、ちゃんと約束を覚えているってことじゃないですか」

 そう言ってから、彼女は窓の向こうを見た。

 少し向こうに流れる川、その間には青々とした草が茂っている。その向こうには、さっきより大分迫ってきた山々。

「覚えているからこそ、すっぽかすんです。それならまだいいと思うんです」

 僕の方を見ないまま――半ば自分に言い聞かせるように言う。

「本当に悲しいのは。約束を忘れられてることだと思うんです」

「――ユキナさんは、誰かに忘れられたの?」

 問いかけるともなく、僕は言った。

「まだ、分かりません」

 そう言うと、ユキナは不思議な笑みを浮かべた。――柔らかで、そしてどこか寂しさが混じったような表情。

「でも、きっと忘れていないと私は信じてます」

 そう言うユキナの視線は、どこか遠くを見ているかのようで。

「大切な約束なんだね」

「そうですね」

 もう一度にっこりと笑う。

「だからシオリも付いてきてくれたんです」


 その時、列車のスピードが落ち始めた。

 それほど急減速をしているわけでもないのに、ブレーキが甲高いきしみを立てる。

 バランスを崩したらしいユキナの肩が、僕の肩にちょっと触れた。

 ちらっと見ると、少し恥ずかしそうな顔が視線を逸らした。


 列車がゆっくりと、ホームに飛び込む。

 ――少し錆の浮いた古い駅名標には、「南平木」と書かれている。

「終点まであと3駅ですね」

 ドアの上を見上げながら、ユキナが言った。

 ふと見ると、そこには路線図が掲示されていた。――と言っても一本道の、この路線だけの路線図。さっき乗ったのが弥沢駅で、そこから順に、南平木、北平木、星越、夢見ヶ丘。

 ……夢見ヶ丘?

 この鉄道の終点は、そんな名前だったっけ?

 首を傾げる僕の前で、誰も乗らないまま扉はすぐに閉じる。

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