愛してるから殺させて【連載版】

星ノ芽 ルナ

第1話 殺す少女と殺される少女


―――私は不死身で、不死身だとバレたのはつい四日前の事だ。


「ん? 今日は―――溺死?」


部室に響いた質問に、答えてくれるのはいちちゃん。


「……そう」

「どうやってするの?」

「……両手と両足を縄で縛って、溺れさせる」

「お手軽だね」

「……そうかな」


たいして綺麗でもないパイプ椅子に座ったまま、私に返事をしてくれた。

文化研究部。

そんな、特徴も彩りも無いこの部屋は、本棚と机と、埃をかぶったストープで、既に手狭だった。


「あ、でも壱ちゃん」


ガタッ、とパイプ椅子を手で引き寄せて座りながら、一つ、壱ちゃんに質問をした。


「両手両足縛った状態にまで持ち込めるって言うなら、普通に馬乗りになって首絞めたほうが楽じゃない?」


その提案と一緒に、自分の首を絞める真似事してあげると、壱ちゃんは少し困ったような顔をした。


「……私は非力だから、それだと多分、殺し切れない。あ、でも、もちろん、そこから刺しちゃっても楽かもしれないけど、飛び出る血は処理が面倒だって、、分かったから」

「あぁ、成程。いろいろ考えててえらいね」

「……いろいろ考えて、山のように準備しないと、上手くいかないから」

「チャンスは一回だっけ?」

「……うん」


壱ちゃんは頷いた。

その時、顔面に浮かんでいたのは決意、あるいは、悲しみ。


―――可愛いなぁ。

―――そんな顔も、可愛いよ、壱ちゃん。


「じゃ、早速やろっか。時間が勿体ないし」

「……うん。ありがとう、なる

「どういたしまして。ま、こんなの余裕だよ」


―――壱ちゃんの為なら、余裕なんだよ。


「……じゃあ、これで縛るから」


その時、壱ちゃんは自分の鞄の中から、ビニールひもの塊を取り出して、机の上に置いた。その机の上には、多分ビニールひもを切るためのハサミと、本が二冊。

一つは、『溺死のプロセス 法医学的見地からの解説』

もう一つは、『他殺百科』

それは全くもって女子高生に似合わないラインナップであり、二冊目にいたっては、それを鈍器に出来るであろうぐらいに分厚かった。

でも、その両方には溢れんばかりに付箋が貼られていて、再度、壱ちゃんの決意を感じる。

感じて、そして、覚悟する。


「うん、いいよ」


両手を手首でくっつけて、手錠をかけられた時のような形に変える。


すると、壱ちゃんはビニールひもで手首を縛りあげる。


「もっと、きつくした方が良いんじゃない?」


そう言えば、ギュッ、と、ギュウッ、と、白いひもで作られた輪が締まる。


きつい。

きつくて、痛くて、血が止まって、手の甲と指先が青く、あるいは、白くなる。


「うん、良い感じ」


だけどそんなこと気にせずに、壱ちゃんに両手を見せてあげる。

笑顔で、紐が千切れないことを、どう頑張っても外せないことを示す。


「でも本番はもっときつい方が良いかな。だって、相手は大人でしょ」


そう言って、縛られた両手から壱ちゃんの顔を見て、


―――ゾクゾクした。


私と違って整った、壱ちゃんの美貌が……冷たく凍っていた。

瞳、口唇、呼吸。

その全部が、最小限と最低限の動きだった。


集中してる。

壱ちゃんが、ただ私を殺すことに集中している。


……可愛いなぁ。


きっと今の壱ちゃんの頭の中は、真っ赤でどす黒い脳みそは、どうやって殺すかで埋め尽くされているんだ。

どうやって殺して、どうやって殺して、殺して、殺して殺すか。

それだけでいっぱいなんだろう。

それだけで……いっぱいいっぱいなんだろう。


可愛い―――もう四回も私を殺しているのに、まだ殺人に慣れてないのがとても可愛くてしょうがない。


「……足、縛るから」

「いいよ」


そう答えると、テンションが上がってきたのか、あるいは―――もうやめられないって決断したのか、あっという間に両足まとめて縛られる。

その縛り方は自己流で、右足にぐるりぐるりと紐を通したら、それを、もう片足にやって、その後、両足をまとめるように紐を巻いた。


「あっ、スカート覗かないでね……今日、可愛いの着てないから」

「……そこ、気にするの」

「気にするよ! 乙女の大切な大切な一枚布でしょ?」

「……何その言い方」

「パンツって言うの、なんか恥ずかしくない?」

「……いつも思うんだけど……よく、そんなにヘラヘラしていられるよね」


―――これから、死ぬのに。


その一言はどこまでも冷え切ってた。

でも、だからこそ―――落胆した。


だって、今の壱ちゃんは私を見てない。


私じゃなくて―――殺したい人を見ている。


勝手に、身勝手に、私を通して―――恨みつのった男を思い浮かべてる。

ちょっと……残念だなぁ。

どっちかって言うと、『私』を殺すって思ってて欲しいのに。


と、そう思ってるといつのまにか作業は終了したみたいで―――


「……できた。ちょっと、動いてみて」


―――そんな、振袖の着付けみたいなことを言われた。


「うん、大丈夫そうだよ。無理やり動かそうとしても、動かない」

「……分かった」


そう壱ちゃんが返事をした辺りで―――私には一つ、大切な質問が浮かんできた。


「あ、でも、一ついい? 壱ちゃん」

「? なに?」

「今日の殺害計画だけどさ、両手両足縛るまでは良いけどさ、その後をどうやって実験するの? どうやって―――私を溺死させるの?」


そう問いかけたら、「……それは」だなんて一言呟いて、壱ちゃんは部屋の奥に行って、その奥に置いてあったビニール袋を手に取った


「ビニール袋じゃ、ちょっと弱すぎない? 水を入れたら破けちゃうよね」

「……違うよ。これ、バケツ」


その一言と同時に、袋の中から青い大きめのバケツがスルリと出てきた。


「そのバケツに水を張ってってこと?」

「うん」


バケツ容器の直径は、多分、私の顔と首が収まるサイズ。


成程。

確かにこれなら十分、私を殺せるね。


「……これから、ちょっと水入れてくるから少し待ってて」

「なるべくたくさん入れてきなよ。頭がしっかり沈む様に」


そう言って、壱ちゃんは部室から出て行った。

縛られた私が外から見えないように、扉の開閉を最小限にして。


「……どれぐらいで帰ってくるかな、壱ちゃん」


この部室がある学棟には、水汲み場が一階にしかない。

そして、この部屋があるのは三階。

つまり、壱ちゃんがこの部屋に帰ってくるまでには二階分の階段を上らないといけない。少なくとも軽くは無い、たんまり水の入ったバケツを運びながら、だ。


「途中で転んで、制服濡らさないといいけど」


それだけ呟いて、私は目を閉じた。

両手両足縛られて出来る事なんか、対してない。

なら、仮眠でもとっていよう。

どうせ、これから疲れるんだから。


  2


壱ちゃんには、一目惚れだった。

一目惚れなんて言葉があることを知った日が、四日前だった。


「あっ」


多分、壱ちゃんは学年が下だったから、これまで出会う事が無かったんだと思う。

二階と三階。

たった一階層分違うだけで―――私は運命の人を見逃すところだった。


そして、壱ちゃんを一目見たのは―――階段の踊り場。

その瞬間は放課後で、夕陽の光が窓から差し込むぐらいの時間だった。


私は見たんだ。

少し急な階段の上階に―――夕日すら打ち負かす程の美貌を持った少女を。

どうして今まで平凡な人間の中に埋もれていたのか分からないぐらいの、美人が、そこにいた。


視線が吸い寄せられる。

目線が吸い付いてしまって仕方が無い。


だから、気づけなかった。

驚いている顔も焦っている顔すら、美人だったから。


だから、反応が遅れた。

その少女が机を運んでいて、今、まさに今―――転びかけて、

机を、

階段に、

落とした、

ことに、


―――ガズンッッ!!! 


と、音がした。

重く、鈍い音が。


それは後で思い返して、やっと分かったことだけれど、その音は―――私に階段を転がり落ちた机が当たる音―――ではなく、

転がってきた机に突き飛ばされた私が……後ろの壁に、頭を、ぶつけた音だった。

そして、頭の一か所がバカみたいに痛んで、皮膚から、血が零れて噴き出るのを感じて、生まれた熱が、体を動かすのを止めて……


そして、私の体は、踊り場の床に、頭から落ちて、


そして、

そして、

そして、


―――再び目を覚ました時には、痛みなんかなくなってた。


「……あ、の、大丈夫、ですか」


半階層分上に立っていたはずの美人が、私に話しかけてきた。


「……え、っと、あの」


うつ伏せに倒れた私に、そう話しかけてくるんだ。

その声も、『鈴を転がした』なんて言葉が似合うほどに可愛らしい声だった。


「……あの、私が見えますか?」

「うん、見えてるよ」


少女は、驚いた顔をしていた。

なんで、って三文字が、脳内で踊っていそうな、その顔。

……可愛いな。


「……あの、大丈夫ですか」

「大丈夫」

「でも―――壁に、頭ぶつけてましたよね。私が落としちゃった机にも当たってましたし―――」


―――血も、噴き出てましたよね。


どうやら私が思っていた以上に、私に与えられた怪我は大きいものだったみたい


―――だけど、そんなのどうでもいい。


「……だから、その血が、今も出ているんじゃないかって。頭からの出血は、その量が多いって……あれ」


―――まずい、気づかれる。


「……血が、出てない」

「!!」

「……頭からの血も、壁についてた血も……なくなってる」


……それだけのヒントじゃ、察せることは無いんだろう。

『不死身』ってことに辿り着くには、無理があるだろう。


けど―――少なくとも私が、普通じゃない事には、気づくだろう。


「……怪我が治る? 再生能力?」

「いや、えっと……血は、見間違いじゃないかな」


少女は考える。その美貌に、疑問を写して考える。

私の言葉なんか聞かずに考える。

けれど―――


「どうなんですか?」


―――多分、答えが出なかったんだろう。


「体についた傷も、血も、まるで最初かな何もなかったように、消えてしまってる」


だから、無理やりにでも聞き出そうとして、仰向けに倒れたままの私に乗っかってくるんだろう。体重をかけて、逃がさないようにするんだろう。


「どういうことですか? どう言う事なんですか?」


普通なら答えないんだろう。

こんな質問、返事はしないんだろう。


「まるで、その―――不死鳥みたいな現象は何なんですか?」


そもそも彼女が、この事にここまで注目して、執着する理由が分からない。

なんで、なんでそんなに―――美貌にひびを入れてまで私に執着するの―――


とか思うのかもしれない。


普通ならそんなことを思うのかもしれない。


「……不死身、とか」


でも、私はそうじゃない。

今は、一目惚れした美貌に、答えを教えてしまいたい。

彼女の信用を得るために、

彼女の注目を浴びるために、

彼女に執着してもらうために、


だから、返事をした。


「そう、だよ」


瞬間だった。

瞬間の、変化だった。


―――私の目には焼き付いている。


壱ちゃんは笑ったんだ。

神が造ったと言われても信じるぐらいの


―――浅ましく、醜く、汚い人間のように笑ったんだ。


笑って、その神々しい美貌を―――平然と、歪めたんだ。


ただ、これが、私が『堕ちた』瞬間。

私が、『一ノ宮 壱』の事しか考えられなくなった瞬間だった。


―――だから、その次に告げられた質問に、無条件で答えた。


「……なるほど、不死身だと、言うんですね?」


―――だから、その次に告げられた願いに、無条件で応じた。


「……それなら―――練習させてくれませんか?」


  3


人を殺す練習を、させてくれませんか?


  4


ふとガラリと、部室の扉が再び開いた。


「……ただいま」


敬語は止めてと私が言ったからタメ口になった、世界一明媚な声が聞こえてきた。


「ん。おかえり、壱ちゃん」


そして、目を開けば、右手にバケツを持った壱ちゃんの姿があった。


「大丈夫? 転ばなかった?」

「……大丈夫。ちょっとこぼしかけたのはあったけど」


そう言って壱ちゃんは三歩、私に近づいてきた。

ぴちゃり、ぴちゃ、ぴちゃりと、水の音をこぼしながら。


「……んっ、しょ」


そして、壱ちゃんはバケツを机の上に置いた。


「ごめんね、手伝えなくて」

「……階段をのぼりながら、先に水を汲んでくればよかったって思ってた」

「私も紐千切ってでも手伝いに行きたかったけど……やっぱりこんな風に縛られたら何もできなかった」


そう返事をすると、壱ちゃんは良かったって返事をした。

その意味は、問い返さなくても分かる。


「じゃあ、始める?」

「……うん」


会話の後に、壱ちゃんが私を立ち上がらせた。

そして、腋に腕を通して支えられたから、前に、前に、体を動かして、両足同時にぴょこぴょこ情けなく歩いて―――


―――辿り着いた。


机の上に置かれた、バケツの前に。

これから私を殺す―――凶器の前に。


―――慣れないなぁ。


何度虐待されても、何度不注意で死んでしまっても、何度車にはねられても、自分から望んでギロチンの前に立つのは……慣れることが出来そうにない。

……別に、良いんだけどね。

恋した人に殺されるのは、私が望んだ事だから。

触れあい関わる価値があると、思わせるための行動だから。


『都合がいい女』―――壱ちゃんの関心を得られるなら、私はそれでもいいと思う。


「……じゃ、始める」

「うん。躊躇しないでね」

「……そんなことしないよ。今は鳴が―――」


―――お父さんに見えるから。


……それは、一番嫌な言葉だ。

殺されることも、苦しみながら死ぬことよりも嫌な言葉。

……せっかく殺されてあげるんだから、私を見て欲しいと思うのは、傲慢でも何でもないと思うんだけど、壱ちゃんは大体いつも、そんなことを言う。

そんなことを言って、私から注目を外す―――


と、

思っていた、

瞬間、


ガシッ、と、壱ちゃんが、痛いぐらいに、私の髪を引っ張り上げて、


壱ちゃんが―――感情の封を、解いた。


「―――うぁあああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


『来る』、そう思った瞬間には―――言葉が聞こえた。

自分の内側を焼きこがす感情を、無理やり言葉にした、シンプルで、単純な、怨嗟が聞こえて、そして―――


「―――死ねぇええええええええええええええええええええええええええッッ!!」


いつも通り、全く同じ叫びをあげながら、

私の顔面を、

バケツの水面に、

突っ込んだ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!」


準備は出来ていた。

覚悟も出来ていた。

ただ―――水の冷たさに、驚いてしまった。


けれど、をしている時間は無い。

こうやって息を止めてちゃいけない。

だって―――今回の想定は、壱ちゃんが殺したい相手を、私と同じように両手両足縛りあげてから、こうやって水の中に突っ込んで殺す様な計画だと思うから、こうやって、水に遮られて壱ちゃんの声が聞こえない状態で考えごとしながら息を止めている状態なんて、壱ちゃんの計画通りじゃないはずで、それじゃ練習にもシュミレーションにもなりやしないから―――


―――私は、口を、開いた。


「がぼぁあっ」

「死ねッ! 死ねッッ!! 死ねぇええええええええッッッ!!!」


瞬間、流れ込んでくるのは、いつも飲んでいる水道水の味。

ただ、もちろん、水分補給をしたいわけじゃない。

だから、吐き出した息と交換に、水が、口の奥に喉に這入りこむ。

這入りこんで、呼吸を止めて、塞ぐ。


バケツから頭を引き抜くことは出来ない。

体を持ち上げて、口を空気に触れさせることは叶わない。

―――苦しい。


水が鼻の奥に入り込んで聞こえが悪くなって、そのせいで顔が―――痛い。


―――苦しい。


練習のために抵抗しようと決めていた体が、私の意志以上に無理やりに、無茶苦茶に暴れていた。

机に打ち付けた腕や腹が、痛くて痛くて仕方が無い。

死にたくない。きっとそうなんだろう。身体は死にたくないんだろう。

生き返れるってことをまだ覚えられてない体は、きっとそうなんだ。


だから、苦しい。

けど、それだけじゃない。


「ゴボッ、ゴボッッ……ッ!」


這入りこんだ水と入れ替わるように、胸の奥からこれまた液体が、酸味が浮き上がってくる。

多分それは、昼間に食べた白米と、肉との胃酸融解混合物。

それが、流れ込む水を、喉ってパイプの中で混ざり合って、混じり合って、大層気持ちが悪い。

水の中で呼吸をするだけでも、狂おしくて苦しいのに―――ゲロの味にも顔をしかめないといけない。


「…………」


そして、いつの間にか―――声が出なくなっていた。

空気が無いから、酸素が足りないからなのか知らないけど……もう声は出ない。


「    」


暴れていた体も、動かなくなっていた。

命令を出しても、指先一つ動かなかった。


「          」


『呼吸』

水の中で、息を吸ってありもしない酸素を求めたから―――だから、こうなる。

当たり前だ。

逆にこうなってもらわないと困る。

体が動かなくなってもらわないと、壱ちゃんの練習相手にならない。

ちゃんと溺死しないと、シュミレーションにもならない、

から、

よかった。


暗く青いバケツの底が、見えなくなってくる。

視界が黒い影に、

かげに、

のまれる。


ちゃんと、れんしゅうになったかな。

がんばってあばれたけど、どう、だった、かな?


どう?

わたしって、『つかえる』でしょ?

そうだよね?

壱ちゃん。


  5


『不死身』ってことの良い所は、目覚めれば、何もかもきれいさっぱりなくなっているということ。喉と胃と肺を埋め尽くして、満たしているはずの水が、体の中には一ミリも残っていないんだ。

それはまるで、セーブとロードの関係によく似ているけど、少し違う。


「……あ、『還って』きた。おはよう、鳴」


私の不思議な力では、時間は元に戻らない。

私が死んでいる間にも、現実はドンドン進み続けている。

それはまるで、『私』が死んだ後に、新しい『私』が現実に入るようなもので―――


―――どっちかって言うと、『残基』って言ったほうがあっているのかもしれない。


ま……その残りがいくつあるのかは分からないけど。

99なのか、1000ぐらいあるのか……もう、あと1しかないのか。

分かりっこないことだ。

だから―――どうでもいいことだ。

少なくとも、目の前でこうして生きている壱ちゃんより、優先することじゃない。

今日もこうして、生き還ることが出来たのだから。


「あぁ、うん……おはよう、壱ちゃん」


それに私にはもう一つ、『死』と引き換えに得られる幸福があるのだから。

『死』と『Homicide』を受け入れた報酬を、今この瞬間にも私は受けている―――


「……もう、苦しくない?」


―――膝枕だった。


見惚れた人にされる膝枕だった。


「うん、大丈夫」

「……良かった」


目線の先にあるのは、ぼやけた天井と、私を覗き込む壱ちゃんの瞳。

うなじに伝わるのはスカート越しの体温。

壱ちゃんの暖かさだった。

……これが、欲しいんだ。

私は、この安心する温度が欲しくて欲しくてたまらないんだ。

だから、努力する。

望みを叶えるために、努力する。

たとえそれが『命』差し出して、ジャグリングした後に、私の中に還すような行為だとしても、別に構わない。

それに世の中には、死ぬ気で努力するって言葉もある。

手に入れたいモノの為に努力するのは、間違いなく褒められるべきことだから、私は迷いなく努力できる。

命を差し出し、壱ちゃんの為に努力する。


それが―――私に、とっての幸福だ。


「……それで」

「ん?」

「……どうだったかな、今日の」


そう壱ちゃんが、不安げに聞いてくる。

『これなら殺し切れるかな』って、殺した張本人に質問をしてくる。


「……そうだね、大体は良かったと思うんだけど……まず、本当にバケツで溺死させるのが良いのかって疑問が出てくるかな」


そう返事をしていくと、壱ちゃんはスマホと手に取って、私の意見をメモする。

……そうなると、膝枕された状態じゃ、壱ちゃんの顔が見れなくなっちゃうのがちょっと嫌だよね。


「家の中で殺すなら、洗面台とか、水張った浴槽とかもあるから、何もバケツにこだわる必要はないと思う。まぁ、今回はバケツ以外用意できなかったって話だとは思うけど……後は、水の中に頭を突っ込む時、もっと体重かけてやった方が良いと思う。それこそ、私の首が折れ曲がってボキリといっちゃうぐらいに。そうしないと多分、男相手だと……両手両足縛ってるから大丈夫だとは思うけど、そうやった方が安全かな。力が多分、壱ちゃんよりは強いはずだから、全体重かけて、やらないと多分、難しいんじゃないかな。後は、もう浴槽に沈めて、体が横になったところの腹とか、背中に乗っかるほうが確実……かな、多分ね。あと―――」

「……?」

「―――手と足を縛るって言うけど、どうやるの?」

「……どう、って?」

「男の人の両手と足を無理やり縛るのって、多分無理だよね、私達には。当然そんなことしようとしたら、暴れられるのは確かだろうし。それでこっちが転んだりバランス崩したタイミングで、逆に殺されちゃうって言うのも十分にあり得ると思うから、そこを何とかしないと」

「……うん、でも、それについては大丈夫―――明日、睡眠薬を試すから」


それは、嬉しい言葉だった。

だってそれは、明日も私と喋ってくれるって事実を示す言葉だったから。


「なるほどね、それなら大丈夫そうだね」

「……うん。薬の種類とかでも効果が違うみたいだから、それも試したい。あと、眠っている間にどれぐらいの事をしても大丈夫なのかも調べたい」

「了解、了解。全然大丈夫だよ」

「……ありがとう」


そう言ったところで壱ちゃんはスマホを床に置いて―――私の方に、微笑んだ。

鬼のような叫びをあげていた壱ちゃんからは想像もできないぐらいの優しい笑みを。


「どういたしまして。こんなのお安い御用だよ」

「……そうかな」

「そうなんだよ」

「……でも、私がお願いするたびに、毎回毎回死んでるし……今日のも、苦しかったでしょ」

「……まぁね、でも苦しくないと、練習にならないから」

「…………でも」


壱ちゃんから微笑みは消えて、悲しみが浮かぶ。

……気にしないでいいのになぁ。

これは壱ちゃんの望みを叶える為の行為で―――そして同時に、私の願いを、叶えるための行為なんだから。


「気にしなくて良いって言っても……ダメなんだよね」

「…………」


困ったなぁ。

壱ちゃんに、悲しい顔なんかしてほしくないんだけどなぁ。

……あっ、そうだ、良いこと、思いついちゃった。


「ならさ、いつもの言ってよ」

「……いつものって」


壱ちゃんは優しい子だから、殺人を悪いことだって感じちゃうんだよね。

私に負担をかけていると感じてしまって、申し訳ないって思うんだよね。


それじゃ、『お父さん』を殺した時にも、後悔しちゃうのにね。


「いつものは、いつものだよ」

「?」

「私を殺す代わりに、言ってほしいって教えた言葉、あるでしょ?」

「……あ」


このままだと、こんなに優しい壱ちゃんに恨まれるような、犬の糞も及ばないほどのゴミを殺してしまった時にも、謝らないといけなくなってしまう。

だから、私が変えてあげないといけないんだ。

ゴミを、ヒトを扱えるぐらいの優しさと慈愛を持っている壱ちゃんを、変えてあげないといけないんだ。


「……本当に、こんなことでいいの? なら……うん―――」


父親ゴミを殺しても、罪悪感も、何もかも感じないように。

父親ゴミの死体を見ても、涙なんか流さないように。

そして最終的には―――


「―――愛してるよ、鳴」


―――愛している私に依存するように、仕立て上げないといけないんだ。


「うん。私も」


そう返事をすると、壱ちゃんの顔から、憂いが晴れた。

ほんのちょっと照れくさそうで、恥ずかしそうな、普通の女の子の顔に変わった。


「じゃあ、まだ私は―――必要だね」

「……うん。また明日、お願い―――愛してるから、お願い」


これが、これが唯一、壱ちゃんに求めた、報酬。

『殺される』代わりに『愛して』。

それだけを、その一つだけを、私は壱ちゃんに望んでいた。


どっかの誰かからすれば、『偽り』かもしれない。

私達以外のゴミからすれば、『偽物』に見えるかもしれない。


でもこれは、この愛は『偽り』なんかじゃない。

『偽物』なんかじゃない。

壱ちゃんが私を必要としてくれる限りは―――永遠の真実なんだ。


だから、だから私は―――


「そういえば、昨日はお父さん帰ってきた?」

「……ううん。帰ってきてないし―――帰ってこなくていい」

「ごめん…………いやな事聞いちゃったね」

「……いい。重要なことだから―――殺したい相手の動向は重要だから」

「帰ってこなくていいけど、帰ってきてくれないと殺せない―――難しいね。本当」


―――いや、やめておこう。


今は、これだけで、十分だ。

壱ちゃんの『殺意のぞみ』を蹴っ飛ばすとしても、

―――今、この瞬間が幸せなら、

それで、

いいんだ。

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