第三章 芽生え行くもの

六月十八日

「ねえ石動いするぎさん」

 彼女に声を掛ける。

 放課後いつもの部室の向かい合った席。テーブルにはお茶菓子が並んでいる。


「まひろん。下の名前でって言ってるのに。どうして?」

「ごめん、つい。えっと……まなちゃん」


 ぱああと彼女の表情が一気に花開いたように明るくなる。


「まひろん……! お煎餅食べる、アイス食べる、どら焼き食べる? それとも全部? 抹茶、てる? コーヒー、豆からる?」

「ええ、ちょっと……? えっとね! 桂木君について話を聞きたいんだけど」

 そう言うと彼女は急激に目の光を失い、明らかに声のトーンが落ちた。


隼人はやとがなに……? もしかしてまひろん、あいつに脅されてる? 今すぐらしめるべき?」

 彼女は立ち上がると側に置かれていた、まるで鈍器のように分厚いラノベ本を手にして素振りを始める。

 その徹底した進入角度は危険なのではないか。ひとたび背後を取られればたやすく致命傷に至るような気がする。


「え、待って。そういうのじゃないから、一旦座ろうね?」

「そう?」

 石動さんはひとまず落ち着いた様子で椅子に腰掛けた。

 けれど、その凶器を体の側からは決して離そうとしない。話の展開によってはぶん殴りにでもいくつもりなのだろうか。彼女は小動物的な見た目に反して攻撃的な一面があるのかもしれない。


「ただ、二人はどういう風に出会ったのかを知りたくて」


***


「あれは中学に転入してすぐの頃やったな」


 翌日、石動さんがいないタイミングで同じように隼人君からも話を聞きだす。


「この言葉使いからもわかるやろ? 今はそうでもないけど、最初はめちゃ浮いとってな」

「もしかして、いじめられてた……?」

「いや、そこまではなかったとは思うけど。でもよくからかわれたり、いじられたりな。まあ、精神的に子供やったんやろうな。その時の俺はそれが耐えられなかったんやと思う」


 珍しく彼は沈んだような表情を見せる。その言葉以上に辛い思いをしていたのかもしれない。

 慎重に言葉を選ばなければ。そう考えていると彼は再び口を開いた。


「でもな。あいつ……まなだけはそういうの関係なく接してくれてな。それが多分、俺、めちゃくちゃ嬉しかったんやと思う」

「それで気になり始めた?」

「まあ……あいつもあいつでな? 冬月はもう分かってるやろけど、なかなかの変わり者や。影ではなに言われてるかもわからん。だから今度は俺が、お前はおかしないってさ……。はは。あかん、やっぱり俺キモいな?」


 自嘲じちょう気味に笑うと彼はペットボトルのお茶を一気に飲み干し、ここから見える窓の外を物憂げに見つめる。


「そんなことないよ。隼人君は優しいんだね」

 そう言うと彼は視線をこちらに戻す。


「別にそんなんやないと思うけどな。ただ……付き合うとかそういうんじゃなくてもええから、守ってやれればって思うてる」

「でも本当は側にいたいんじゃないの?」

「ん、まあ……そうやけどさ。でもなぁ。まず、あいつに嫌われてるんやないかと思うとってな」

「ああ、そういうこと。石動さんはね。君がどうして自分にこだわるのかが、わからないんだって言ってたよ」


 その時彼は目を大きく見開いたように思えた。


「それマジでか?」

「マジマジ。だからさ、ちゃんと思いを伝えるのがいいと思うよ。ほら……この間言った作戦、やってみようよ?」

「言うてもそんなん、上手くいくんやろか……?」

「それは君次第だと思うけど」

 そう言って僕は勢いよく立ち上がる。ここは一気に畳み掛ける時なのかもしれない。


「六月が終わって七月に入るとすぐに夏休みだよ。そこから九月まで顔を合わせることもなくなる。それってどういうことを意味しているのかな?」

「どういうって……ただ休みを挟むだけやろ?」

「もしも、その間にまなちゃんに大きな変化があったとしたらどうする? 取り返しがつかないことになるよ」

「いや……さっきから、冬月が何を言いたいのかようわからんのやけど」


 大げさに溜息をついて、ガックリと肩を落とすような素振りをしてみせる。


「どうしてわからないかな。まなちゃんに彼氏が出来てたらどうするのって聞いてるの!」

「い、いや! さすがにそれはないやろ……?」

「まあ、それでもいいなら九月まで待ったら……? あーあ、隼人君がその気なら、夏休みの間にプールとか海とかお祭りとか一緒にいけるのになぁ……。あーあー」


 あおり過ぎた感じは否めないけれど、これでダメなら仕方がない。

 それから十分余り。彼は一切言葉を発しなかった。

 そうこうしているうちに外の夕日は落ち始めている。


「うん、まあ。無理にとは言ってないからさ……。じゃあ私は帰るね」

 そう言ってこの部屋から出ていこうとする。


「ええい、やるわ! やればええんやろ!?」

 これまでにないくらいの大声が室内を満たすように響いた。

 彼の方に振り返り返答する。


「いやそれ、仕方なく感が出てないかな?」

「あ、確かにな……。冬月頼む、協力してくれへんか!」

「お安い御用!」

 僕は二回胸を叩いて返事をした。

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