第5話1-5

<前書き>

 みさおは二年生の黒田真奈美、白瀬陽菜と出会い、早速空を飛ぶこととなった。

 準備を終えた真奈美は竜変化で体長8メートルほどの翼を持った竜へと変化した。いよいよ飛行の時であった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 大きな翼を持つ竜形態に変化した真奈美。それをみさおは感動した目で見上げる。竜変化自体はそれなりに目にしたことはあったが、やはり部活でとなると色々と新鮮なのだろう。そんなみさおに瑞希が声をかける。


「あー北条。これ部活で使ってる無線機ね。つけるところはメットにあるよね?」


「はい。大丈夫です」


 小型の無線機を受け取ったみさおは手早くそれをヘルメットの内側に取り付けた。飛行中はこれで地上の管制や相方のドラゴンとコミュニケーションをとる。

 取り付け終えたみさおがメットをかぶるとスピーカー部分から少々くぐもった真奈美の声が聞こえてきた。


『北条さん。どう?聞こえる?聞き取れる?』


「はい。聞こえます。OKです」


 みさおが声と親指を立てたグッドサインで返すと真奈美は満足そうに頷いた。ちなみにドラゴンである真奈美はチョーカーにつけているマイクでのどの振動を拾い、そしてこちらからの声は骨伝導で聞いているらしい。骨伝導とやらがどのように聞こえているのか想像できないが会話ができるということは問題なく伝わってはいるようだ。


『OK。こっちも良好。それじゃあ北条さん、背中に乗って。落ち着いてね』


「は、はいっ!失礼します!」


 みさおは興奮を抑えながら真奈美の背中に回った。みさおが無線機を取り付けている間に真奈美の方も別の装備――薄手のバックパックに似た騎乗用の装備を取り付けていた。

 竜に乗ると言ってもさすがに単純にその背中にしがみつくわけではない。馬に乗る時ですらくらが必要なのだ。同じように竜に乗るときも専用の装備が必要となる。真奈美が背負ったバックパックのような装備はまさにそれで、そこにはドラゴンとライダーを繋ぐための装置一式がまとめられていた。具体的に言えば飛行中にライダーが握るバーハンドル。命綱や安全帯のランヤードをかけるフック。足を引っかけるくぼみやクリッパー。さらにそこまで登るための突起まで付いている。

 みさおは興奮こそしていたが、そこはライセンス持ちというだけあってするすると騎乗ポジションまで登り各種安全装置をセッティングする。やがてそれを終えたみさおは手をバーハンドルから放し、両手をT字に広げてゆっくりと後ろに倒れた。二本のランヤードと一本の命綱がねじれることなくぴんと張る。これは竜走協会で規定されている安全装置をつけ終えたというジェスチャーで、そこから第三者による目視確認までが推奨事項だ。


「つけ終わりました!」


「どれどれ……うん、OK!さすがだね、完璧だ」


 確認した瑞希もまた公式のオフィシャル規定通りに親指を上げたグッドサインを出す。これでとうとう準備は整った。真奈美が首を曲げてみさおの方を向く。


『じゃあハンドル握ってね。飛ぶタイミングはこっちで見るから気を抜かないようにね』


「は、はいっ!」


 真奈美が背負う競技用のバックパック。そこには浅い穴が開いており中には金属製の棒が横に一本通っていた。これが騎乗中に握るバーハンドルである。みさおはそれを握り、体をピタリとドラゴンの――真奈美の体にくっつける。まるでへばりついたカエルのように不格好な姿だがこれが正しい騎乗ポジションであった。


(北条さんの体勢は整ったみたいだね。さすがに早いね)


 真奈美は重心の具合からみさおがポジションについたことを確認すると、頭を大きく下げた前傾姿勢を取った。大きな翼も空気抵抗にならないように水平に広げる。そして呼吸を整えるように息を一つふっと吐くと飛行への最後の合図を出した。


『行くよ……!』


 そう言うと真奈美はみさおの返事も待たずに力強く一歩目を踏み出した。


(ぐぅっ……!)


 力強い真奈美の急発進に背中のみさおは必死に踏ん張る。普通の生身の人間ならばまず出すことのできない、ちょっとした軽自動車並みの馬力。何度やってもこの瞬間ばかりは自分の矮小さを思い知らされる。

 だが心折れている暇などない。この先に極上の景色があるのだ。みさおはバーハンドルを握る手に力を込めて前を向く。ヘルメットのシールドに冷たい向かい風がぶち当たる。その先では今まさに真奈美がグラウンドの端から飛び出そうとしているところであった。


 なぜ竜走部の活動場所が学校の裏山中腹にある第三グラウンドなのか。その答えは簡単で、このグラウンドの一端より先は切り立った崖となっており飛び出すのにちょうどよかったからだ。高さは海抜約180m、崖の高低差は40mを超えている。普通の人間ならば落ちればただでは済まないであろうそんな崖を真奈美はためらうことなく飛び出した。


『ふっ……!』


 真奈美が大地を蹴って宙に飛び出す。それは同乗するみさおもまた宙に放り出されたということだ。地面という絶対的な存在を失い、内臓がふわりと無重力状態になり、そして落下する。

 落下。それは本来翼をもたぬ人間が味わっていい感覚ではない。必然本能からくる警告がみさおの体を強張らせる。しかしそれを鼻で笑うかのように真奈美はその巨大な翼で宙を打った。その力強い羽ばたきは真奈美を、そしてみさおを一気に空へと押し上げた。


「くっ……!」


 強烈な縦Gがみさおの体を、肺を押しつぶす。みさおはなす術もなくただ歯を食いしばってそれに耐える。あぁ、なんと無力な人の体だろうか。しかしやがてその強烈な圧が治まると、今度は自分が何とも言えぬ浮遊感を感じているのに気付いた。


『さぁ北条さん。安定飛行に入ったよ』


 真奈美の声にみさおが顔を上げる。するとそこにはいつもより近い青空が一面に広がっていた。


「うわぁ……!」


 青い空に白い雲。眼下には遠い水平線にミニチュアのような色とりどりの屋根。一般的な人間からすれば現実離れした光景であったが、そのことが逆にみさおに空を飛んでいるということを自覚させた。

 みさおは今、真奈美の背に乗って空を飛んでいた。


「本当に、飛んでるんですね……!」


 感慨深くつぶやくみさお。

 みさおが竜の背に乗って空を飛ぶのは今日が初めてというわけではない。しかしこれまでのそれは一種の飛行体験会のようなものばかりで、飛行高度が低かったりガチガチに安全のための装備で固めていたりとどこか解放感に欠けていた。

 だが今回のこれは違う。必要最低限の競技用装備に身を包み、やはり競技者である真奈美の背に乗って飛ぶ。言ってみればみさおはこれでようやく竜走競技者としてのスタートラインに立てたということだ。ただ空を飛ぶだけでは満足できなかったみさおが感極まったのも頷ける話だろう。

 みさおはしばらく感動から無言になっていたが、やがて折を見て真奈美が声をかけてきた。


『どうかな、北条さん。気持ちいいかい?』


「はいっ!もう最高です!」


 真奈美からみさおの顔は見えないが、満面の笑みを浮かべていることがわかる返事だった。それを聞いて真奈美の方もどこかうれしくなる。


『それはよかった。それじゃあ軽く飛んで回ろうか。しっかりつかまっててね』


「はいっ!」


 みさおの返事を聞くと真奈美はゆっくりと左にロール回転を行った。水平線が傾き、それまで下の方に見えていた小さな街並みは今度は視界の左側に位置するようになる。その左手側の街並みの中にはみさおたちが通う春風女子高等学校の校舎の姿もあった。


――――――――――――――――――――――――――――――


 同時刻。春風女子高等学校正門付近にて、偶然それに気づいた女生徒が何気なしにつぶやいた。


「あ。ドラゴンが飛んでる」


 それにつられて一人また一人と立ち止まり宙を見上げる。見上げた先にはそう遠くないところを飛ぶ一体の竜の姿があった。


「結構近いね」「2組の黒田さんじゃないかな?竜走部の」「へぇ。うちの学校竜走部あるんだ」「怖くないのかな?私高所恐怖症だから無理だわ」


 そんな思い思いの感想を漏らす一行の近くにドラゴンの翼をもつ少女、南谷百合の姿もあった。

 偶然その場に居合わせた彼女もまたつられて空を見上げ、そして空を駆ける竜の姿を見た。


「……」


 百合はしばらくそれを目で追っていたが、やがて興味なさげに顔をそらす。


(関係ない……もう私には関係のないことだ……)


 百合は背中を、翼を気持ち丸めて正門を後にした。

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