第35話 出会い(未来視点)

 家族と世の中のために、どんなに忙しくても文句も言わずに一生懸命働くお父さんと、優しくて美人なお母さんのことが、自慢だった。


 だから私は、そんな二人の自慢の娘になりたかった。




 それだけだったのに……私は一体どこで間違えてしまったんだろう?







 小学生の頃は、毎日がすごく楽しかった。




 お父さんが家にいることは少なかったけど、たまの休みには旅行に連れて行ってくれた。


 普段一緒にいられない分、たくさんの愛情を注いでくれた。




『大変なことだけど、他人に流されないで、自分が正しいと思ったことを出来る人になってほしい』




 お父さんは口癖のようにそう言っていた。


 私はその言葉の通りにすれば、きっと自慢の子供になれると思って、頷いていた。




 お母さんはいつも優しかった。


 私は今でこそ成績優秀だけど、元々は勉強があんまり好きじゃなかった。


 だけど、私が学校で習ったことを、お母さんはいつも知りたがった。




『今日は学校でどんなことを勉強したのか、お母さんに教えて?』




 最初の内はめんどくさいなと思っていたけど、お母さんに勉強を教えると、すごく喜んでくれた。




『お母さんはあんまり頭が良くなかったから大学に行けなかったけど。未来は頭が良いから、将来どんな大学にだって行けそうだね』




 お母さんに喜んでもらいたくて、私はたくさん勉強をしていると、いつの間にか勉強をするのが苦じゃなくなっていた。




 学校も楽しかった。友達も、たくさんいた。


 勉強が苦手な友達に教えてあげると、いつも感謝の言葉を伝えられた。


 バカなことばっかりしている男子を注意したら、自分が悪かったと素直に謝ってくれた。




 勉強を頑張って、自分が正しいと思ったことを貫けば。


 きっと私は、お父さんとお母さんにとっての自慢の娘になれると信じていた。







 中学生になって、私は同級生からいじめられるようになっていた。




『未来ちゃんに『もっと勉強を頑張らなきゃだめだよ』って言われたけど、私は頑張ってるの。未来ちゃんは頭が良いから、勉強が出来ない子の気持ちがわかんないんだっ!』




『未来ちゃんは勉強が出来るのを誇らしげにして、他人を馬鹿にしているように見えるから嫌い』




 小学生の時のように勉強を教えていただけなのに。


 いつの間にか、私はそんな風に陰口を叩かれるようになっていた。




『那月って真面目過ぎて無理だわ』




『分かる! この間、ケータイ持ってきたこと先生にチクられて、没収されてさ。親にめちゃくちゃ怒られたんだよ、マジありえねぇ』




『内申点稼ぎのチクり屋だよね。顔は可愛いけど、性格ブスすぎてキモい』




 私は、間違っていることをしたらダメだよ、と言っているだけなのに。


 どうして誰も分かってくれないの?




 クラスメイト達は当然のように、私を無視し始めた。


 すごく辛くて、私は先生に助けを求めた。




『那月にも悪いところがあったんじゃないの?』




 でも、まともに取り合ってはくれなかった。


 クラスメイト達は先生に怒られることもなく、いじめ行為はエスカレートしていき、暴力を振るうようになっていた。




 心配を掛けさせたくなかったから、私はお父さんとお母さんには、何も言えなかった。


 だけどある日、傷だらけになって家に帰った私を見て、お父さんとお母さんがいじめに気付いた。




 二人は学校に乗り込んで、いじめっ子とその親、そして先生を呼び出して、これまでに見たことがないくらい怖い顔で怒っていた。




 その様子を見て少し怖いと思ったけど、二人は家に帰ってから私を力強く抱きしめてくれた。




『気づいてあげられなくてごめんね』




 それから、三人で私が好きな近所の洋食屋さんに行った。




 私へのいじめはなくなった。


 だけど、中学校を卒業するまでの間。友達は一人も出来なかった。







 都内でも有数の進学校を受験して、無事に合格をした。


 お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれていた。




 私も、中学までの人間関係が終わり、ホッとしていた。


 話をしても分からないバカが紛れていた中学時代とは違って、ここには真面目で、勉強ができる人しかいないはず。




 思っていた通り1学期の間は、何も問題なかった。


 ちゃんと勉強ができる人たちはいじめなんてしてる暇ないし、しっかりしている。


 私はそう思って、喜んでいた。




『那月未来さん、好きです!』




『俺たち結構いい感じだと思うんだけどさ、付き合ってみね?』




『お前には俺がいないとダメなんだよ』




 夏休みを過ぎたあたりから、私は次々と告白をされるようになっていた。


 嫌われてばかりで、『性格ブス』なんて馬鹿にされていた私を好きになる人がたくさんいて。


 正直嬉しかった。




 だけど、やっぱり今は勉強が一番大切だったから、私は告白を断り続けていた。


 ――それが、良くなかったようだ。




『あいつ最近調子乗ってない?』




『勉強が出来て、顔も良い。周囲の私らのことなんて、どうとも思ってないんだよ』




 いつのまにか、周囲には私を快く思わない人ばかりになっていた。


 私に告白をした男子のことが好きだった女子が言っているだけだと思った。




『顔が良いから告ったけど、性格はマジで無理だから!』




 だけど、私のことを好きだと言ってくれた男子までも、陰口を叩いて笑っていた。


 私はもう、誰のことも信じられなくなっていた。




 だから、お父さんとお母さんに、転校したいことを相談した。




『そうか……せっかく頑張って入ったけど、いじめられるのなんて嫌だよな』




 お父さんとお母さんは、すごく優しかった。




『今の学校から転校するなら、どこに行ってもレベルは下がるんだから……思い切って環境を変えてみるのはどう? 例えば――お父さんの出身高校とか?』




『環境を変えてみるのは良いかもしれないけど、お父さんの実家から通うつもり? 通学時間、結構かかるよ……?』




『未来一人をおばあちゃん家に預けて済ますつもりはないよ。田舎で家賃も安いだろうし、未来が大学受験に専念できるように、お母さんと二人で暮らしてみようよ』




 お母さんの提案に私が頷くと、二人はほっとしたような表情を浮かべた。


 二人は私を、気遣ってくれた。


 そして私は、二人を失望させてしまった。




 ――私が入学した時、すごく喜んでくれたのに。


 私が、いじめられるような性格をしていたから、余計な面倒ばかりを掛けてしまった。




 そのことが、たまらなく嫌だった。







 お父さんが卒業した高校だから、私は期待していた。




 だけど転入したこの学校は、これまでで最低の場所だった。




 私はここでも、いじめられた。


 早くこの学校に馴染みたくて訛り言葉を真似したことが、この学校の生徒の気に障ったようだった。




『俺たちのことを馬鹿にしている』




 勝手にそう思って、劣等感を抱いた馬鹿な田舎者たち。


 イジメられていることを、お父さんとお母さんに相談する気にはもうなれなかった。




 きっと、私の性格にこそ問題があるのだと疑われてしまう。


 私は二人の自慢の娘でいたい。これ以上、二人を失望させたくなかった。




 私はもう、何も気にしないことにした。


 田舎者の同級生にどんなに無視をされても。


 時代遅れの馬鹿そうなギャルグループに酷いいじめを受けても。


 何も気にしていないと装って、私は無視をし続けた。







 学校に行っている間、パートに出ているお母さんの様子が変だと気づいた。




『元気がないけど、どうしたの?』




『パート先で……酷いことを言われて。未来はどう? 友達できた?』




 本当のことなんて、言えるわけない。


 自分のことで弱ってるお母さんに、これ以上心配を掛けたくなかった。




『学校は……楽しいよ』




『未来が楽しいなら、良かった。……お母さんは、パート先変えなくちゃ』




 それからお母さんは、2回パート先を変えたけど、1度として長くは続かなかった。


 結局、お母さんは家事に専念することになった。




 家にいる時間が長くなって、暗い表情を浮かべることが多くなって心配をしていたけど。


 年明け位から、家を出ることが多くなった。




『仲良くなった人がいるの! お母さんね、今日はその人と飲んでくるから、帰り遅くなるよ』




 お母さんに友達が出来るのは、良いことだと思った。


 落ち込んでいたお母さんが、日に日に明るくなっていった。


 そして、どんどんお洒落に、綺麗になっていった。


 夜に家を空けることも、多くなって。


 家に帰ってくるのが、次の日の朝になるのが当たり前になって――。




 流石に、それが良くないことだと、私は気づいていた。


 お母さんは、多分浮気をしている。




 気づいた時に、すぐにお父さんに教えた方が良かったのかもしれない。


 でも……どうしても、言えなかった。




 お母さんがここに来たのは、私のせいだから。


 お母さんが浮気をしているのは……一時の気の迷いに違いないから。


 東京に戻れば、お母さんも目を覚ましてくれるはずだから。




 私は自分にそう言い聞かせて、見て見ぬふりをすることに決めた。







 高校3年生になっても、私は相変わらず最悪な日々を過ごしていた。


 教室にいても、イジメられてばかりだから、一人になれる安全な場所を、私は探した。




 屋上前の階段の踊り場。


 埃っぽくて暗くって、清潔感の一切ない場所。


 その場所にわざわざ来る人がほとんどいないと気づいてから、私は昼休みをここで過ごすようになっていた。




 私の世界は、この狭くて暗い場所で完結していた。


 だけど……本当は、誰か信頼できる人が現れるのを私は待っていた。




 屋上へ続く扉に鍵をかけている南京錠が視界に入った。




 この南京錠を開けたら、いつか誰かが私をこの閉ざされた世界から解き放って、日の光の当たる場所へと連れ出してくれないだろうか?




 そんなことはあり得ないと、自分の考えを鼻で笑ってから――私は、鍵を開けることにした。


 簡単な構造の南京錠は、あまり苦労せずに開けられるようになった。




 屋上へ踏み入る。


 空は広く、吹き抜ける風は頬を撫でる。


 少しだけ、自分の世界が広がった気がしたけど――ただ、それだけだった。




 ここには、私以外誰もいない。


 誰も、私の世界に踏み入ろうとはしない。


 ただ、孤独を実感するだけだった。







 日増しに、馬鹿ギャルたちのいじめがエスカレートしていた。


 その日は、雨だった。


 放課後、私はいつも逃げるように教室を出る。


 少しでも遅れて、馬鹿ギャルたちに絡まれるのが嫌だったから。




 でも……それも疲れた。


 私は、誰からも必要とされていない。


 生きる意味なんて、ない。


 そんな風に、この頃は思っていた。




 だから、雨が降りしきる中、私は屋上へと踏み入った。


 手すりを乗り越え、下を見る。


 死への恐怖と生への執着、どちらが上回るのか確かめたくて。


 足が竦んだ。


 私はまだ、死ぬのが怖い。


 そう思って、少しだけホッとした。




 相変わらず、私の世界に足を踏み入れる人間は誰もいない、孤独のままだ。


 ――そう思っていた。




「……那月なつき未来みく




 傘もささずにずぶ濡れになった玄野暁が、こうして私の世界に踏み入ってきた。

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