第26話 嫌悪

 身体も怠く、頭も未だ明瞭とはしていなかったが、何とか走ることはできた。


 文化祭を楽しんでいる生徒たちは、必死に階段を上る俺を見て不思議そうに首を傾げていたが、声を掛ける者はいない。




 屋上の扉の前に到着し、扉を見る。


 ――既に、鍵は開けられていた。




 最悪な状況が頭をよぎる。


 俺は勢いよく扉を開き、屋上へと踏み入る。




 そこには那月と――今宵がいた。


 動悸が激しくなる。


 那月に何か話しかけている今宵を見て、吐き気が込み上げてくる。


 俺は大きく息を吐いて、なんとか堪える。




「今宵っ!」




 俺の声に、今宵が振り返る。




「暁? 何でここに?」




 動揺した様子の今宵。


 俺は彼女の傍に歩み寄り、それから腕を掴んだ。




「来いっ!」




「ちょっと、痛いよ暁」




 今宵の言葉に反応することなく、俺は今宵の手を強引に引く。


 那月は、「何なの……?」と呆然とした様子で呟いていたが、応えている余裕はなかった。




 俺は屋上から出て、扉を閉める。


 それから、今宵の肩を押して乱暴に壁に叩きつけ、彼女を睨みつける。




「い……痛いよ、暁。何を怒ってるの?」




 今宵は俺の顔をまっすぐに見つめ返してきた。


 怒りを押し殺している俺の表情を見ても、彼女は……微笑みを崩さない。




「那月に……何を言った?」




「……あたしと暁が、付き合う約束してるって教えてあげただけだよ」




「本当に、それだけか?」




「うん、まだ話し始めたばっかりだったから。……言いたいことは、色々あったんだけどね」




 今宵の言うことが本当であれば……まだ、間に合うはずだ。


 こいつのことはさっさと放り出して、今すぐにでも那月の傍に駆け寄りたい。




 だけど……ダメだ。


 俺はどうしても、今宵のことが許せない。


 自分勝手な独占欲と嫉妬心で、那月を苦しめた。


 ……彼女をそんな風に狂わせたのは、俺自身だと分かってはいたけど。




「誰がお前みたいな歪んだ性根のクソ女と付き合うんだよ」




 最後に今宵の心にトラウマを植え付けたことが、最低だと分かってはいたけど。




「お前の歪んだ性根そのままの醜い顔も、気味の悪い視線も、不快な声も。髪も身体も存在全ても! 見るに堪えないんだよ」




 それでも俺はどうしても、狛江今宵を許すことが出来ない。




「あ、暁……? 変な冗談やめてよ、あたしたち付き合うって約束したし。那月未来にちょっかい出したこと、そんなに怒ったのなら謝るから……ね?」




 怯えた様子で、俺に問いかける今宵。




「お前と交わした約束なんて、俺にとってはどうでも良いんだよ。何より、お前は誰に謝るつもりなんだよ?」




「誰って、暁にだよ」




 俺のジャージの裾を掴んで、涙を流しながら今宵は言った。


 那月ではなく、俺に・・・・・・・・・謝りたいのだと。




「消えてくれ。何があっても、もう二度と。俺にも、那月にも話しかけるな」




 俺はそう言って、今宵を突き放した。




「暁! あ、あたしは……」




「二度と話しかけるなって言っただろ?」




 俺は今宵に、軽蔑の眼差しを向けて言った。


 今宵はその言葉に驚いてから……俺の頬を勢い良く平手打ちした。


 彼女は大粒の涙を零しながら、俺を睨みつけてくる。




「消えろ」




 今宵の視線から目を逸らさずに、俺はもう一度そう呟いた。


 彼女は再び手を振り上げ、ギュッと拳を握り……結局はそれを振るうことなく拳を下ろした。


 それから俺に背を向けて、階段を駆け下りていった。


 すぐに、彼女の背中は見えなくなった。




「……クソッ!」




 俺はやりきれなくなって、壁を思い切りぶん殴った。


 拳が酷く痛んだが、気分は一つも紛れない。




 ダメだ、もう何も考えるな。


 俺は自分にそう言い聞かせて、唇を噛みしめた。




 一つ深呼吸をしてから再度屋上へ入ると、那月が不審そうにこちらを見てきた。




「何、あんたたち喧嘩してるの?」




「……ああ」




「はぁ、下らないケンカに巻き込まないで欲しいんだけど」




 那月は大げさに肩をすくめて、溜め息を吐いて言った。




「……ちなみに、今宵にどんな話を聞いた?」




「あんたとあいつが付き合う約束してるって言われたけど……、みんなの前でフッておいて、何言ってんのって感じよね。あんな嘘で私が騙されるって思われたのが、普通にムカつく。というか、そもそも何であんな嘘吐いたんだろ? 意味不明すぎ」




 はぁ、と大きく溜め息を吐いた那月。


 那月が気分を害しているところ申し訳ないが、俺は一先ずホッとしていた。




 ここで今宵の言葉を聞くことが、那月が死に至る一つの大きなきっかけのはずだから。


 ようやく、一歩進むことが出来た。




 ……だから、間に合って嬉しいはずなのに。


 気分は一つも晴れなかった。




「うわっ、屋上ホントに開いてる……」




 その声に振り返ると、伊織が今まさに来たようだった。


 伊織は那月の姿を見て、少しだけ躊躇ったようだったが、いつもと同じ調子で俺に声をかけてきた。




「あっきー、さっきめっちゃ泣いてる今宵ちゃんとすれ違ったけど、あれなんだったの? 大丈夫なの?」




 伊織の姿を見た那月が驚愕を浮かべた。




「……は? なんであのバカギャルがここにいるわけ?」




 那月が低い声で俺に問いかけた。


 伊織の質問は無視して、俺は那月に答える。




「伊織がこれまでのこと、那月に謝りたいんだってさ」




 伊織は俺の言葉を聞いて、緊張した様子だった。


 それでも彼女は、那月のことを真剣な表情で、まっすぐに見つめていた。


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