最終章

第25話 再起

「あれ? ぼーっとしてどうしたの、あっきー?」




 隣に立った伊織が、心配そうに俺に声を掛けてきた。




「伊織……」




 ぼうっとした頭で、俺は彼女の呼びかけに答える。


 そして、言葉を発することが出来ることに気付き。




「うっ、おぇ……っ!」




 堪えきれない吐き気に襲われる。俺はその場に蹲って、吐いた。


 頭が、割れるように痛い。


 これから先に起こる最低の出来事の記憶の数々が、再び俺の頭に焼き付く。




 自らの愚かさが、脳内で鮮明に再生されている。


 痛みも苦しみも怒りも、喪失感も全てが、一斉に蘇り、俺の心が悲鳴を上げていた。


 狂えるものなら狂いたかった。




 那月の最期の表情が。


 最後に見た、今宵の表情が。


 頭から離れず、正気に引き留める。




「……ごめんなさい。那月、ごめんなさい……」




 謝罪をすべき相手はそこにいなくても、俺は繰り返し那月に謝る。


 胃の中が空っぽになって、胃液以外吐き出せなくなった頃に。




「ホントに大丈夫、あっきー!?」




 伊織の言葉に、気が付いた。


 心配そうに俺を見る伊織と、野次馬が集まっていた。




「……ちょっと、無理そうだ」




「とにかく、保健室行こ」




「……吐いたの、片付けないと」




 俺の的外れな呟きに、野次馬の中にいた女子生徒が「そんなの保健委員でやっとくから、早く保健室行ってください」と声を掛けてきた。




「ありがと! ほらあっきー行くよ、歩ける?」




 俺は無言のまま頷いてから、立ち上がる。


 胃液と吐しゃ物でどろどろになった手を、伊織は嫌な顔を見せずに握り、俺を保健室へ連れて行く。


 彼女に握られていない、反対側の手で俺は、自分の首を触った。




 当然のことだが、そこに自らの手で付けた傷はなかった。


 なのにどうしてか、確かに熱を持った痛みを感じていた。







「特に異常はなさそうだけど、出店で食べた物が当たったのかも。あんたたち、何か心当たりある?」




 保健室に着いた俺は、養護教諭に診てもらっていた。




「トワたちが食べたのはチュロスくらいだよね?」




 伊織の言葉に、俺は首肯する。




「それなら、寝不足? 受験勉強に根詰め過ぎてない?」




「あー、あっきー最近めっちゃ成績良いもんね、無理してるのかも」




 伊織の言葉に、俺は首肯する。




「今が頑張り時なのは分かってるけど、ほどほどに。体調崩したら元も子もないから。ベッド、空いてるから体調良くなるまで休んでなさい。あ、それと手は洗って、口の中気持ち悪かったらうがいもして良いから」




 養護教諭はそう言って、ベッドの方を指さした。




「汚しちゃった服は洗濯しておくから、脱いでおきなさい。ジャージがあるからそれに着替えて。……伊織さんも少し汚してるわね。一緒に洗濯しておくわよ」




「じゃあ、借りますねー。あっきーは一人で着替えられる?」




 俺は伊織の言葉に首肯する。




 手を洗い、口の中に残った胃液をゆすいでいると、養護教諭が二人分のジャージを用意していた。


 俺はそれを受け取り、ジャージに着替える。


 脱いだ制服は籠に入れ、養護教諭に渡す。


 俺は力なく、ベッドに倒れこむ。




 ……もう何も考えたくないのに、次々と記憶が思い返される。




 最悪だ。


 那月を死なせて、彼女の父を前科持ちにして、今宵に一生残るトラウマを植え付けた。


 繰り返しても良いことなんて何もない。


 自分の無能とクズさを突き付けられるだけだ。




 ――もう嫌だ。


 今回もどうせ失敗する、俺には何もできないんだから。




「吐しゃ物の後始末、私も見てくるから、ちょっと保健室から出て行くね」




「はーい」




 考えていると、養護教諭の言葉が聞こえた。


 それに、伊織は答えた。


 それから、いつの間にかジャージに着替え終えた伊織が、カーテンを引いてベッドに腰かけた。




「あのチュロス、まずかったもんね。残飯処理を押し付けちゃってごめんね、あっきー」




 お道化た調子で、彼女は言う。




「……迷惑かけて、ごめん」




 俺の言葉を聞いて、伊織は心配したように言う。




「また、謝ってる」




 俺は「ごめん」ともう一度呟いた。


 伊織は溜息を吐いてから、言う。




「……那月未来となんかあったの?」




 伊織は、不安な表情を浮かべている。


 俺は、何も知らない伊織のやさしさに縋りついた。




「俺は、あいつに酷いことをしてしまった。謝りたいけど……合わせる顔がない」




 俺は頭を抱えて蹲る。


 今の那月に謝っても、彼女にとっては何のことかも分からないはずだ。


 それでも、俺は那月から罰を受けたい。




 震えて蹲る俺を……伊織は抱きしめた。




「そっか。それじゃトワもあっきーと一緒に謝る」




「……え?」




 伊織はそう言って、俺の背を安心させるように優しく撫でる。




「トワもあの子に謝りたかったけどさ、今まできっかけがなかったから」




 彼女の言葉は、少しだけ震えていた。




「だけどあっきーが謝るって言うなら、トワも一緒に謝るよ。……てか、トワの方が先に謝るからね」




 伊織の言葉を聞いて、俺は頷いていた。




 もう何もしたくないのに。


 それでも――まだ、やり直せるのだ。


 前回は、伊織が那月に謝る気を無くさせてしまったが、今回は違う。




 未来はきっと、変えられる。


 ……那月の家族、今宵の進路、そして俺の最期が変わったことで、確信をしている。




「……あっ!」




 それから、俺は今さらになって、ようやく気付いた。


 ベッドから勢いよく立ち上がる。


 俺を優しく抱きしめてくれていた伊織が、驚いて後ずさった。




「わっ! 急にどうしたの、あっきー!?」




「今日は、文化祭だ……」




「え? そ、そうだよ……?」




 困惑する伊織の声にこたえる余裕はない。




 今日は、文化祭なのだ。


 那月と一緒に屋上で花火を見た日から、さらに時間が経過している。




 このタイムリープにはどんな法則性がある? それとも、全くのランダム? 


 参考となるケースが少ない、あと俺は何度やり直せる? 


 そもそもこのループに終わりはあるのか?




 ……違う、今考えるのはそうじゃない!


 文化祭初日、那月は今宵の言葉により、絶望をした。


 まずはそれを止めなくてはいけない!




「今日は、文化祭の何日目だ!?」 




「え? ……一日目だよ?」




 時計を見る。


 前回動き始めたのは夕方、その頃には全てが終わった後だった。


 今は――14時前。




 この時間でもまだ間に合うのか、分からない。


 それでも、ここで寝ている暇はない。




「伊織、図書室に那月がいないか見に行ってくれないか?」




「え、トワ一人で? つか、あっきーは?」




「俺は屋上にあいつがいないか見に行く! 那月が図書室にいたら、俺に連絡をくれ」




 俺は伊織を置き去りにして、保健室の出口にまで向かう。


 その背に、彼女が声を掛けてくる。




「え、屋上!? てかあっきー、元気になったの?」




 俺は振り返る。


 元気になんてなっていない。


 ただ、落ち込んでいる時間もないだけだ。


 だけど、一歩も動けなかった俺が、その一歩を踏み出せたのは――。 




「伊織のおかげで!」




 俺はそう言ってから、急いで屋上へと向かう。


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