第17話 理由

「終わったぁー!!」




 3周目の夏休み、最終日前日。


 俺はファミレスで、伊織に勉強を教えていた。


 今日まで毎日のように、バイト後の時間を利用し、こうして伊織の課題を手伝っていた。




 勉強漬けの日々は嫌がられると思っていたのだが、俺がわざわざバイトの後に時間を作って教えていたことに恩義を感じた伊織は、驚くほど真面目に付き合ってくれていた。




「お疲れ様。よく頑張ったな」




 課題の問題を解き終えた伊織が、大きく伸びをしてから、俺に向かって問いかける。




「それで、あっきー明日は暇!?」




「バイトは入れてないけど……もう課題は終わっただろ。何すんの?」




 俺の言葉に、伊織は『何言ってんだこいつ?』と馬鹿にしたような目を向けてから、大きく溜め息を吐いて、言う。




「トワの夏休みが勉強漬けで終わるなんてありえない……明日こそ、普通にデートっしょ!?」




「あ、そういうことか……」




 伊織の迫力に押されつつ、俺は納得する。




「どこか行きたいところ、あるのか?」




 俺の言葉に伊織は頷き、それから言った。







「水族館! 着いた!」




 夏休み最終日。


 伊織のリクエストに応え、今日は市内の水族館に来ていた。




「あっきー、水族館ってよく来る?」




 笑顔を浮かべて問いかける伊織。




「そういえば、めちゃくちゃ久しぶりだ」




 この水族館に来たのは、中学時代に一度だけ。


 その時に一緒に来ていたのは、今宵だった。




「へー、ちなみにトワは年パス持ち!」




 そう言って、伊織は定期入れから年間パスポートを取り出す。




「あっきーも年パス買えば? 代金は普通の入場券2回分だから、めちゃくちゃお得だよ」




 多分来ないだろうな、と思いつつ、もしかしたら伊織とまた来る機会があるかもしれない。


 なにより、伊織に対して暗にそういう意思表示もできる。




「そうだな」




 俺は窓口で、伊織におすすめされた通り、年パスを購入した。




「伊織はよく水族館来るのか?」




「何を隠そうトワは……この年パスを購入してから、来たのはなんと2回目!」




 vサインを見せながら、ドヤッと不敵に笑う伊織。


 どうやら年パスで損をしたくないから俺を誘ったようだ。


 俺は無駄に1回分の入場料を多く払ってしまったのかもしれない。




「……とりあえず、順路に沿って館内見て回るか?」




 俺の言葉に頷いてから、伊織は言う。




「イルカショーの時間が決まってて……」




 伊織の言葉を聞き、館内の案内板を見る。


 イルカショーは、日に3回開催され、次回は15時30分からのスタートだ。




「まだ時間は十分あるし、館内見て回ってから、イルカのショーを観ようか」




「そうだね、賛成!」




 笑顔を浮かべた伊織に手を引かれ、俺たちは館内の見学を始めた。




 水族館を見ていると、意外なほどに楽しめた。


 発電中のデンキウナギ、幻想的なクラゲ、不細工な見た目の深海魚、とにかくキモいグソクムシ……。


 伊織も随分と楽しんでいるようで、テンション高めに楽しんでいた。




 時計を見ると、時刻はいつの間にか15時10分となっている。




「そろそろ、イルカショーが始まるから会場に移動しようか」




 俺の言葉に伊織は頷き、「もうそんな時間になったかー」と楽しそうに笑っていた。




 それから、イルカショーの会場内に移動した。


 場内はそれなりに混雑をしていたが、場所取りに困るほどではなかった。




 全体の動きが見れるように、俺たちは最上段の場所をとった。


 それからすぐに、ウェットスーツを纏った、ショーの担当スタッフ3人が、舞台に現れた。


 愉快な音楽が流れ、スタッフがホイッスルを鳴らすと、水面からイルカがジャンプをして現れた。




「おー、すっご!」




 隣の伊織は、目を輝かせてショーを食い入るように見ている。


 それからも、人を背に乗せて泳いだり、フラフープをくぐったり、様々な芸を披露するイルカ。


 俺も、思わずそのすごさに目を奪われていた。




 それから、気付けばショーの終了時間が訪れた。


 観客は皆、満足そうに惜しみなく拍手を送っていた。


 周囲の客は立ち上がり、出口へと向かっていた。


 混雑が落ち着くまで、俺と伊織は座ったまま話をする。




「楽しかったね! てか、すっごいよね、人間の言うことあんなに聞いてくれるなんて、頭いいよねー」




 今日一番の笑顔を浮かべながら、伊織は興奮した様子で言う。




「イルカ、好きなのか?」




「うん、好きだよ。頭が良くて、愛嬌もあって可愛いし」




「確かに、イルカって頭が良くて、人懐っこい、穏やかな生き物ってイメージあるよな」




「大体トワとおんなじってことじゃん……?」




 ふざけた様子で、伊織は呟いた。


 俺は、複雑な心境で、言う。




「実際は、同種や小型のイルカをいじめるような、凶暴性も持っているんだってさ」




 俺の空気を読まない言葉に、伊織は当然冷めた態度で答える。




「……へー、あんなに可愛いのに。そゆとこ、人と変わんないんだね」




 間を開けてから、声のトーンを下げて、伊織はそう言った。


 これ以上その話をしてくれるなという態度を露わにする伊織に、またしても空気を読まずに俺は問いかける。




「伊織は何で、那月をイジメてたんだ?」




 俺の言葉に、彼女は「はぁ」と、大げさにため息を吐いてから答える。




「やっぱあっきーさ。トワたちに那月未来のこと虐めるなって言ったあの時から、あいつと仲良かったわけ?」




「確かに今は仲良くしてる。でも、あの時は滅茶苦茶嫌われていた」




 この夏休みに接して、伊織が進んで他人を虐めるような人間ではないことは分かっていた。


 今さら、夏休み明けに再びちょっかいを掛け始めるとも思えない。


 だから俺は、ここで彼女と仲良くしていることを、伊織に告げた。




「……それで、トワがあいつのことイジメめる理由を聞いて、どうするの?」




「俺にどうこうできる話なのか?」




 俺の言葉に、伊織はまたしても溜め息を吐いた。


 それから、うんざりするように、自嘲しながら彼女は口を開く。




「トワってさ、可愛さだけが取り柄じゃん?」




 彼女の言葉の意味が良く分からずに、俺は「はぁ……」と、間の抜けた返事をする。


 それを見た彼女は、苦笑してから続ける。




「そんなトワに比べて、那月未来は美人で、頭良くて、その上お洒落な都会育ち。つまりはトワの完全上位互換。嫉妬で意地悪したくもなるでしょ」




 そんな理由で……と思った。


 でも、十分な理由だとも思った。




 人が他者を貶めるのに足る、立派な理由なんてものはない。


 特に、思春期の少年少女の未成熟な精神では、嫉妬心というのは重大で、しかもコントロールが難しい部分でもある。




 それに……伊織は自ら言わないが、那月はプライドが高く、口調もキツイ。


 本人が意図してか、せずかは分からないが、確実に余計なことも言ったのだろう。


 そうして、いじめが始まってしまった。




「それで、あっきーはこの理由を聞いて、どうするつもりなの?」




「さっきも言ったけど、俺はどうしようとも思っていない。でも、もし。伊織がこれまでのことを後悔して、謝りたいって思っているんだったら。その時は、俺もあいつに、ただいじめを傍観していたことを、謝りたいと思ってる」




 伊織トワは、近い将来必ず、那月を虐めたことを後悔する。


 俺は、未来の彼女がどうなっているのか知っている。


 優しい彼女が、どうして罪を犯して捕まってしまったのか?




 それはきっと、那月が死んだことを自分に原因があると思いつめ、自暴自棄になって、悪い大人にいいように利用されてしまったからだろう。




「……どうしてあっきーは、あいつと仲直りできたの?」




 俺の言葉を聞いて、伊織は瞳を伏せたまま、尋ねてきた。




「あいつが一人で弱っている時に声を掛けたのが、たまたま俺だったから心を開いてくれただけで――それ以上の理由はない」




 俺の言葉を聞いた伊織は、一瞬口を開いて、それから唇を噛んだ。


 たったそれだけのことで許されるのかと、不満を抱いたのかもしれない。


 しかし、彼女はその思いを吐き出したりはしなかった。 




「トワは謝りたい、って思ってない。だけど今さらまた、あいつを虐めようなんて思ってない」




「それで、良いんだと思う。無理に仲良くなる必要なんてないんだし、1クラス30人以上の集団で、嫌いな相手がいない方が不健全だ」




 伊織は、那月が死んだら後悔し、罪の意識に苛まれるのかもしれない。


 だけど、今回は……俺があいつが死ぬのを止めるから、二人の関係を清算する必要はない。




 俺の言葉を聞いた伊織は、その場で立ち上がり、出口へ向かって歩いて行った。




「……もう良いよね! 折角、夏休み最後の日にデートに来たんだから、もっと楽しまなくっちゃ!」




「そうだな、今の話は、忘れてくれ」




 俺は彼女の後を歩きながら言う。




「……忘れないよ」




 伊織が、俺の言葉に呟きを返す。


 その言葉には、どんな感情が込められていたかは分からない。


 だけど俺は、聞こえないふりをした。




 そうしてこの後も、何事もなかったように伊織と共に水族館を楽しんで見て回った。


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