第3章 心中

第11話 変化と点火

 夏休みが明けた。




 クラスメイト達が1学期に比べて、全体的に青白くなっているのは気のせいではないだろう。


 まともに外にも出ずに、勉強漬けの毎日を送っていたのだから当然だ。




 それに比べ、炎天下の中ほぼ毎日原付でピザをお届けに伺っていた俺の肌は、いつの間にかすっかりと日に焼けていて、明らかに周囲から浮いていた。


 クラスメイトの多くは、そんな俺を哀れむように見る。


 ……失恋で受験勉強すら手が付けられなくなったのだ、とでも思っているのだろう。


 誰からも直接言われることはなかったため、俺は弁明もしなかった。




 受験は目前に迫っているのだ。


 他人のことを気にする余裕は、どうせすぐになくなるだろうしな。







「お前は中途半端なんだよ。だから成績も落ちるんだ」




 夏休みが明け、一週間。


 職員室に呼び出された俺は、担任の教師から叱咤されていた。俺が夏の間補習をサボって遊びまわっていたのだと、日焼け跡を見てそう判断したのだろう。




 夏休み明けの実力テスト。


 その結果が学年23位と、一学期の期末テストの16位からわずかに順位が下がっていた。


 俺からしてみれば、10年ぶりに受けた高校のテストであり、予想以上の出来に満足していた。この結果はもちろん、那月が勉強を見てくれたのも大きいだろう。




「大学受験は団体戦だ。お前のようにやる気のない人間がクラスにいると、全体の士気にかかわる。まだそれなりの点数を取っているが、ここから落ちるのはあっという間だぞ。2学期は、心して勉学に励むように」




 現状の成績でも、第一志望の大学に合格するのに十分だとは思うのだが、俺が補習をサボって和を乱したことを非常にお怒りのようだった。


 俺は一度会釈してから、職員室を後にした。




「お、あっきー戻ってきた!」




 教室に戻ると、伊織が声を掛けてきた。


 既に放課後であり、残っているのは彼女だけ。


 どういうわけかは知らないが、俺が戻るのを待っていたようだ。




「センセーに呼び出されてたけどさ……どうだった!?」




 楽しそうに、瞳を輝かせて問いかけてくる。




「成績が下がったから、怒られたんだよ」




「やっぱそーなんだー!」




 嬉しそうに、伊織は言う。




「それでさ、どのくらい下がったのー? この間のテスト、何位だったわけー??」




「……23位」




「そっかー、23位かー」




 俺が答えると、伊織は朗らかに笑いながら、俺に中指を突き立てた。




「全然成績良いじゃん! 何それ、うっざー!」




 伊織は俺を睨みつけながら、続けて言う。




「ていうか、夏休み結局トワのことデートに誘わなかったのって、バイトが忙しかったからじゃなくって、時間があれば勉強してたからだ!」




 俺は無言のまま首肯した。




「あっきーはトワと一緒に落ちこぼれてくれると思ってたんだけどな。この裏切り者……」




 落ち込んだ様子でため息を吐いた伊織。




「リカリノも最近は結構まじめに勉強してるし、なんだかなー」




 つまらなさそうに、伊織は呟く。


 その様子を気の毒に思い、俺は彼女に声を掛ける。




「今日は怒られてイライラしてるから、この後時間あるならさ、ちょっと付き合ってくれよ」




 俺が言うと、彼女はポカンとした表情を浮かべてから、




「アッキーにとってトワは都合の良い女ってこと……?」




 と、泣きまねをしながら言った。


 俺はそれを無視して言う。




「駅前のカラオケ行こう。ストレス解消にはちょうど良いし」




「お、良いじゃ~ん! あっきー愛唄歌ってよ」




 カラオケと聞いて、あからさまに機嫌を良くした伊織。


 そして、彼女の言葉を聞いて、とてつもなく懐かしい気持ちになった俺は、




「おう、任せろ」




 と、快活に答えた。







「あのさ……最近トワちゃんと仲良くない?」




 2学期も既に、1か月ほどが経過した頃。


 突然俺の部屋を訪れ、ベッドの上に腰かける今宵が、椅子に座る俺を睨みながら、問い詰めるようにそう言った。




「あー、そうかも」




 カラオケに行ったあの日以降、俺は伊織になつかれているように思う。


 受験モードに切り替わった他のクラスメイト達よりも、俺の方が気軽に話せるのだろう。




「そうかもって……」




 責めるような視線を俺に向けて、今宵は呟く。




「……二人でカラオケ行ったって、本当なの?」




「本当だけど」




「何それっ!」




 今宵は俺の言葉を聞いて、憤慨した。


 俺ににじり寄り、胸倉をつかんだ今宵は、いつもよりずっと低い声音で俺に言う。




「あたしと約束したよね? お互いに志望校合格したら、付き合おうって。なのに暁は勉強もせずにトワちゃんと二人っきりでカラオケ? ねぇどういうこと? 浮気?」




「とりあえず落ち着けよ」




 俺はそう言って、今宵の肩を押し、俺の胸倉から手を離させた。




「勉強はやってるよ。その息抜きにカラオケ行くにしても、受験勉強頑張ってる奴は誘いにくいから、伊織に声を掛けただけ。それで少し仲良くなったのかもしれないけど、それ以上でもそれ以下でもない」




 俺の言葉に、納得がいっていない様子の今宵。




「不安にさせて悪かったな」




 俺は今宵の頭を撫でながら、そう謝った。


 彼女は照れ臭そうに頬を赤く染め、視線を背けた。




「トワちゃんのことは分かった、信じる」




 どうやら今宵の不満は収まったようだ。正直ちょろいと思った。




「あとさ……もしかしてだけど。那月未来と、仲良い?」




「……なんで?」




 夏休み中、週一ペースで会っていた那月だが、教室では特に会話をすることはなかった。


 校外で一緒にいるのを見られたのだろうかと思ったのだが……。




「だってさ、毎朝挨拶してるじゃん」




「……そんだけ?」




 俺は肩透かしを食らった。


 その程度のことを言っているのであれば、否定することは何もない。




「それだけ? 暁、あいつのこと嫌ってたじゃん。一言も口きかないように、無視してた。あたしがあいつの悪口言っても、笑って同調してた。そんなだったのに、普通に挨拶するっておかしいでしょ。何があったの?」




 今宵にとっては、非常に重要なことらしかった。


 確かに今宵の言う通り、俺は那月のことを嫌っていたから、彼女が疑問に思うのは不思議ではないだろう。




 ただ、伊織とのことを問い詰めていた時よりも、さらに切羽詰まっているように見えるのが、俺には気になった。




「……なんで黙ってるの?」




 余裕のない表情で、俺の答えを聞き出そうとする今宵。




「いい加減にしろよ」




 俺は……少しだけうんざりして言う。




「高3にもなって、気に食わないってだけの相手を無視するなんて陰険だ。普通に挨拶したって、何も問題ないだろ」




 説得するつもりはなかった。


 ただ、こんなくだらないことで問い詰められるのが、無性に苛立たしかった。




「……うん、分かった」




 俺の表情を見て、機嫌が悪いことを察したのか、意外なほど素直に今宵は引き下がった。




「ただね……」




 そう呟いてから、今宵は俺に抱き着いた。


 鼻腔をくすぐる、甘い香り。彼女の体温と、俺の体温と混じりあうように錯覚した。


 今宵の胸の鼓動が伝わる。




 彼女は俺を見つめ……そして、首筋に口づけをした。




「……こういうのは、お互いが志望校に合格してからじゃなかったのか?」




「その自覚が薄いみたいだから、強硬手段」




 悪戯っぽく笑ってから、今宵は立ち上がる。


 そして、俺を見下ろしてから、彼女は今しがた口づけした首筋に指を這わせながら、言う。




「浮気は絶対、許さないから」




 彼女の笑みは、妖艶さを帯びていて。


 その瞳には、仄暗い嫉妬の炎が宿っていた。




 過去はもちろん、未来でも、ただの一度も見たことのない狛江今宵を目の前にして――。


 俺はただ、彼女の年齢不相応な美しさに見惚れて、何も言えなくなっていた。

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