第9話 課題

 今宵から気持ちを伝えられてから、数日後。




 俺はその間、補習を受けに行くことはなく、バイトに精を出していた。


 今宵からは『ちゃんと勉強もしろ』と連絡が一回あっただけで、補習に来いとは言われることはなかった。




 そんなわけで、今日も俺はこれからバイトだ。


 身支度を済ませたので自室から出ようとしたところ、携帯電話が着信を告げた。 




 着信画面を見ると、那月からだった。


 バイトが始まる時間にはまだ時間があるため、俺は電話に出る。




『あんたちゃんと勉強してる? 課題は?』




 いきなりだった。




「……やってない」




『やっぱりね』




 嘆息した彼女は、続けて問いかけてくる。




『バイト、次の休みっていつ?』




「次は……、今週の金曜」




『それじゃあ金曜、この間のファミレスに1時半。課題を持って集合ね』




 と、自分の言いたいことを言って、電話を切った那月。


 人の予定を確認せずに、勝手に予定を埋めやがって……と、少々腹は立ったが、一応は俺が勉強をしていないことを心配してくれていたのだろうし、無視をするのは忍びない。


 俺はおとなしく携帯電話のカレンダーに予定をメモして、バイトへと向かった。







 そして、金曜日。




「ん、来たな」




 俺がファミレスに到着すると、制服姿の那月が既に席に座っていた。


 当然だが、補習の帰りだったのだろう。




「あんた昼は食べたの?」




 俺に問いかける那月は、クリームパスタを食べているところだった。




「もう食べたよ」




 俺は店員さんを呼び止めて、ドリンクバーを頼む。




「そ。それじゃあこれ食べ終わったら、課題手伝ってあげる。ありがたく思うことね」




 パスタをフォークで口に運びながら、那月は偉そうに言った。




「はいはい、どうもありがとう」




 俺は適当にそう返事をしてから、彼女を横目で見る。


 多忙な受験生だ。本来ならば自分の勉強に時間を費やしたいはず。


 にもかかわらず、補習をサボるような不真面目な俺に、わざわざ時間を割いて課題を手伝おうとしているのだ。


 俺が思っていたよりもずっと、彼女はお人好しなのだろう。




「何よ?」




 俺の視線に気づいたのか、訝しんだ彼女は俺に問う。




「何か飲む?」




 那月の前のグラスを見ると、ほんのわずかに薄茶色の液体が残っているだけだった。




「アイスティー」




 彼女は憮然と答えた。


 俺はドリンクバーで自分と那月の分の飲み物をグラスに注ぐ。


 席に戻ってアイスティーを渡すと、




「ん、ありがと」




 と、彼女から素直にお礼を告げられた。


 それから、俺はウーロン茶を飲みながら、カバンから課題を取り出し始める。


 この時初めて、2周目の世界で課題の中身を見た。


 高校時代の勉強など、すっかり忘れてしまったものもあれば、意外と覚えているものもあった。


 俺は懐かしさを感じつつ、ぺラペラと課題を眺めていった。




「お待たせ」




 しばらくした後、那月は昼飯を食べ終えたようだった。


 彼女は店員さんに皿を下げてもらってから、お手拭きで机を拭いた。




「私も適当に課題やっとくから、分かんないことあったら何でも聞きなさい」




 と、言うことだったため、俺は一切遠慮せずにガンガン質問をしていく。




「いや、あんたマジで学年20位?」




「バイト漬けで頭から抜け落ちたのかもな」




「笑い事じゃないから……」




 俺の質問を聞く那月は、呆れを通り越して本気で心配そうな表情を浮かべていた。




 しかし、那月の教え方は本当に上手だった。


 忘れていたような問題も、驚くほど鮮明に思い出すことができた。




「……教えたらすぐに出来るようになったわね」




「那月の教え方が上手で、すぐに思い出したよ」




「そもそも、受験生のくせに勉強したことを忘れるほどバイト漬けになってるのがおかしいから」




 そう言ってから、那月は腕時計で時刻を確認した。


 俺も、店内の壁かけ時計で確認する。


 休憩を挟みつつ勉強をしていたが、時間は既に17時になっていた。


 真剣に勉強をしていたため、あっという間に感じた。




「朝から勉強しっぱなしだったから、疲れた。今日はおしまい、続きはまた今度ね」




「また課題手伝ってくれるのか? ……自分の勉強は良いのか?」




「あんたがそれ言う?」




 胡乱気な眼差しを俺に向ける那月。


 彼女はそれから、続けて言う。




「安心しなさい、何も慈善事業で勉強を見ている訳じゃないから」




「俺のバイト代が目当てなのか……?」




「違うわよ」




 彼女は頬杖をついてから、続けて俺に言う。




「私、この田舎町のこと全然知らないからさ。ちょっと案内してよ」







 ファミレスで会計を済ませてから、どこでも良いからおすすめのスポットに連れていけ、ということだったため、思い出の場所に彼女を連れてきていた。


 小学生のころ、よく男友達と遊びに来ていた川だ。




「へー、こんな綺麗な川があるなんて、知らなかったわ」




 夕方の5時過ぎ。周囲はまだ十分に明るい。


 太陽の光を反射した水面が、キラキラと照らされていた。


 俺も、随分と久しぶりにこの場所に来た。




「あれ、ここってなんか釣れるの?」




 那月の視線の先には、釣竿を持っているおっさんがいた。




「ここは鮎が釣れるって、有名だな」




「私も釣りたい!」




 楽しそうに笑みを浮かべて、那月は言った。




「釣竿は、俺も友達に借りてたから持っていないし、そもそも漁協組合の遊漁券も必要だし、無理だな」




 俺がきっぱりと言うと、「無理かぁ……」と残念そうに落ち込んだ那月。




「でも、せっかくだし入ってみよ」




 そう言って靴下と靴を脱いで素足になった那月は、川に入った。




「冷たーい!」




 何が面白いのか、那月はテンション高めにはしゃいでいる。




「あんたもこっち来なさいよ!」




 めんどくさいな、と思いつつも、俺はサンダルを脱いで川に入る。




「冷てー!」




 何が面白いのかと思ったが、俺も川の冷たさに何故かテンションが上がっていた。


 那月を見ると、目視できる鮎を掴み取ろうと、川に手を出し入れしているが、成果はなかった。




「指先に当たってる気はするんだけどなー」




 悔しそうに、彼女は言う。


 俺も試しにやってみるが、結果は那月と同じ。やはり手づかみ出来る気がしない。




 そうやってひとしきり遊んだ後、俺と那月は川に足を浸けながら、岩場に並んで腰かけた。




「私さ、鮎って食べたことないんだけど、美味しいの?」




「小骨が多いけど、塩焼きとか美味いよ」




「そっかー、それじゃあもうちょっと頑張ってみようかな」




 腕まくりをしてから、那月は言った。




「やめとけよ。獲れるわけないから黙ってたけど、手づかみも遊漁券ないとダメだから、ここ」




「それじゃあ、無駄な努力だったってこと!?」




 俺の言葉に、恨めしそうにこちらを見る那月。




「そういうことだ」




 がっかりする那月は、微笑ましく見えた。


 学校では常にむすっと押し黙っている姿しか見せないため、こんな無邪気にはしゃぐ姿は、非常に珍しい。




「私、東京で生まれて東京で育ったから、こういうことしたの初めて。……結構楽しかったかも」




 微笑みを浮かべて水面を眺めながら、那月はそう言った。


 俺は、気になったことを尋ねることにした。




「急に、この町のことを知りたがるなんてさ……どうしてなんだ?」




「来年、私は東京の大学に合格して、こんなクソ田舎とはおさらばする。多分、一生ここに戻ることはない」




 那月は、寂しそうな表情を浮かべるまでもなく、ただ淡々とそう言った。




「このクソ田舎には、良い思い出なんてないし。大人になって、この町を思い出した時、最悪な場所だったとしか、きっと思わないんだよね」




 どうしても、いじめられた高校時代の思い出をセットで思い出すことになるのだから、彼女が生きていたとしたら・・・・・・・・・、その予想はきっと的中したことだろう。




「でも……私はこの町のこと、知らないことばかりだから。何も知らないのに、クソみたいな場所だったって断言するのはさ、何か違うでしょ? ちゃんとこのクソ田舎のことを知ってから、クソみたいな場所だったって思いたいの」




「お前はクソ真面目だな。……よく知りもしないで無責任に叩くことなんて、言っちゃなんだが普通のことだろ?」




 那月の言葉を聞いて、俺は呆れつつもそう言った。


 無責任に人の悪口を言うなんて、この時代でもありふれていることだった。




「それじゃ、私のことよく知りもしないで悪口言うやつらとおんなじになる。私はそいつらなんかよりも、よっぽど上等な人間だから……そんなつまんないことはしないの」




 那月の言葉に、納得した。


 それは、彼女の意地のようなものも、あったのかもしれない。




 俺は、彼女の言葉を否定も肯定もしない。


 正しいとか、間違っているとかではなく、彼女の考えはただひたすらに生きづらそうだなと、そう思えた。




 無言でいる俺に、那月は視線を向けずに俯いたまま、呟いた。




「でも……あんたのおかげで、この場所のことは好きになれたかも」




 彼女の横顔を見て、いつの間にか日が傾いていることに気が付いた。




「また今度、別の場所を案内するよ」




 俺の言葉を聞いて、彼女はちらりとこちらを見た。




「そ、ありがと」




 そっけなく呟く那月の頬は――。


 夕暮れ方の太陽の光に照らされて、僅かに朱く染められていた。

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