第5話 約束

 那月と熱田先生相手に黒歴史を晒した翌朝。




 学校へ登校した俺は、教室に入ってクラスメイト達と挨拶を交わし、自分の席へと向かった。


 しかしその途中、読書中の那月の横を通ることになる。


 無言で通り過ぎるか迷ったものの、那月からは「これからは無視をするな」と言われていたため、俺は一応、彼女に声を掛けることにした。




「おはよう、那月」




 しかし、彼女はこちらを一瞥もせずに、無言のまま読書を続けた。


 だが、聞こえていないわけではないのだろう、確かに反応はあった。


 彼女の本を持つ手が、小刻みに震えているのだ。




 ……どうやら昨日の屋上の出来事で、恐怖心を植え付けてしまったようだ。


 無理もない、交友関係のない男子生徒から一緒に死のうと言われてしまえば、ヤバい奴だと誰でも思う。




 俺は苦笑してから那月の隣を通り過ぎ、それから自席に座った。


 カバンを開いて、荷物の整理をしていたところ、前の席に人が座った気配があった。




「東京の人は挨拶も出来ないんだねー」




 俺の挨拶が無視されているのを聞いたのだろうクラスメイトが、嫌味っぽくそう話しかけてきた。




「あんまそういうこと言ってやんなよ」




 荷物の整理が終わった俺は、顔を上げて答えた。


 俺に話しかけていたのは、幼馴染の今宵だった。




「……おはよう、今宵」




「うん、おはよう」




 俺の挨拶に返事をするものの、今宵は、俺が那月を庇うような発言をしたためか、訝しんだような表情を浮かべていた。


 話を変えるために、俺は彼女に問いかける。




「……何か用か?」




「学校一の美少女に無視をされて落ち込んでいる幼馴染を元気づけようとしたんだけど?」




 今宵は不機嫌そうに言った。


 彼女も那月のことを嫌ってはいるが、その容姿が人並み外れて優れていることは、認めているのだ。




「てかさ、何で昨日逃げたの? ……つーか、私のこと最近ずっと避けてるよね?」




 彼女への告白をしてから、1週間以上が経過しているが、俺は未だに気まずくてまともに話せていなかった。


 ……しかし、それも改めないといけないだろう。


 今宵は何も悪いことをしていないのに、避け続けるのは確かに失礼だ。




「悪かったな」




 俺が謝ると、彼女は驚いたような表情を浮かべた。俺が素直に謝るとは思っていなかったのだろう。




「大好きな今宵ちゃんにフラれて傷心中の俺は、お前と話すのが気まずかったんだよ」




 真顔で俺が言うと、今宵は「はぁ?」と言いながら、照れ臭そうに頬を赤らめた。


 それから、「ばーか」と言って、彼女は立ち上がる。




「……これからは、無視しないでよね」




 そう言った後、今宵は逃げるように自分の席へ戻ろうとした。


 その背中を見ていると、視界の端で那月がこちらの様子を伺っていることに気が付いた。


 俺が視線を那月へと向けると、彼女はそっと視線を逸らした。




 どうしたのだろうか? と思っていると、




「ようやく吹っ切れたか、あっきー」




「受験生に恋愛は不要、フラれてよかったと思う日がすぐに来るさ」




 今宵との話に聞き耳を立てていた周囲の男子が、俺の肩を叩き、優し気に語り掛けてきた。


 ……ように見せているが、彼らの表情は笑いをこらえているように見える。




「うるせーよ」




 俺はその後、朝のHRが始まるまでの間、クラスメイト達にいじられ続けるのだった。







 今宵と普通に話すようになったが、相変わらず那月とは全く話さないまま、日々は過ぎていった。


 この二周目の高校三年生活も、気づけば明日から夏休みだ。




 終業式も終わり、今日は帰宅をするだけ。しかし、クラスメイトの大半は、憂鬱な表情をしている。


 明日以降も、補講や夏期講習のせいで、勉強漬けとなるのだ。受験生にとっての勝負の夏、能天気に休むことは、ほとんどの人には出来ないだろう。


 ――なんてことを考えながら、俺は席を立つ。




 帰ろう、そう思い出口へ向かって歩くのだが、その途中で、那月が席を立った。


 そして彼女は俺を見て、




「この後、屋上で」




 とだけ言って、教室を出て行った。




 ……反応することもできないような、わずかな時間でのやり取り。


 何なら聞き間違いを疑ってしまいそうだったが……念のため、屋上へ寄ってみることにした。







 屋上へ続く扉の前に来ると、南京錠が開けられていた。


 どうやら、聞き間違いではなかったようだ。


 そう思い、俺は扉を開き、屋上へ足を踏み入れた。




 以前来た時とは違い、今は梅雨も明け、眩い太陽が空には見えている。


 そして、屋上の中央には那月がいた。


 扉が開いたことに気付いた彼女が、こちらを振り向いた。




 俺は彼女の目前まで歩み寄り、それから問いかけた。




「……何の用だよ?」




「あの頭の悪いギャルどもに、なんか言ったでしょ?」




 質問には答えずに、那月は逆に俺へ質問をしてきた。




「教師に目を付けられる前に、いやがらせをするのはやめておけって言っただけだ」




「……あんた、性格悪いわね」




 俺の回答を聞いてニヤリと笑みを浮かべた那月が、そう言った。




「今のやり取りで、どうしてそんな結論になるんだよ?」




「頭の悪いギャルで通じたみたいだったから」




「……一理あるな」




 俺の答えに、那月は満足そうに頷いた。




「あんたと屋上で話をした次の日から、あいつらから悪口を言われたり、嫌がらせを受けたりすることがなくなったから、タイミング的にあんただってわかったんだけどさ。……なんでそんなことしたわけ?」




 俺の行動に、疑問を感じているようだ。




「急に一緒に死んでくれって言ったせいで、那月を怖がらせただろ? だから、そのことにたいする、ちょっとした償いのつもりだ」




「あれは普通にキモかったし、本当に怖かったわ」




「……誠に申し訳ございません」




 両腕で自分の身体を抱きしめる那月に、俺は頭を下げた。




「良いよ。あんたのおかげで学校生活のストレスが、多少はマシになったし。それはもう気にしてない」




 那月はそう言ってくれたが、俺は疑問を抱いた。




「そうは言っても、授業中や休み時間、結構な頻度でちらちら見て、様子を伺ってたけど……あれは俺のこと警戒してたからだろ?」




 最初は、今宵との会話の後にこちらを見ていた。


 授業中や休み時間でも同じようにちらちらと見られることが多く、俺は内心那月にトラウマを植え付けてしまったと反省をしていたのだが……。




「それは……警戒していたからじゃない。違和感があったから」




「……違和感?」




 俺は、今度こそタイムリープに気付かれてしまったか、と焦る。


 やはりアラサーが高校生活を送るのには、無理があったか……。


 彼女は、俺の目をまっすぐ見てから、口を開いた。




「イントネーション」




「……イントネーションがどうしたんだ?」




 彼女が何を言いたいのか分からず、俺は問いかけていた。




「授業中やクラスの連中と話す時、あんた結構訛ってるわね」




「は、はぁ……」




 相変わらず彼女が何を言いたいかが分からず、俺はそう相槌を打った。


 確かに、俺を含めてこの学校の生徒・教師は皆、地方の言葉や特徴的な語尾自体はないものの、かなり独特のイントネーションをしている。


 元の世界で東京の大学に入ってから標準語に慣れるまでの間は、普通に話をしていても、聞き返されることが多かった。




「でも、私と話すときは――、訛ってない」




「それは――」




 那月が訛っていないから標準語で話してしまうからなのだが、自然と話せる理由にはなっておらず、俺は口をつぐんだ。


 無言でいる俺を見て、那月は優しく微笑みを浮かべる。




「いつから勉強してたかは知らないけどさ。それって結局、この間あんたが言ってた通りなんでしょ?」




 那月に問われてから、俺は自分が何を言っていたかを思い出す。


 訛りを真似した那月に対し、『本当は早くみんなと馴染みたかっただけなんだろ?』と。


 そう言っていたのだ。




「田舎者のくせに、私と仲良くなりたくて頑張ったわけね? 殊勝な心掛けじゃない」




 揶揄うように、那月は俺に問いかけてくる。




「……東京の大学に行ったときに、田舎者だと馬鹿にされたくなくて隠れて練習してたんだよ」




「ふーん。それじゃあ、そう言うことにしておくわね?」




 俺の答えに、那月はにやけた笑いを隠しもせずにそう言った。


 中身アラサーの俺が女子高生に揶揄われることに、どうしても抵抗があるが……俺が彼女に与えた精神的なショックが随分と薄れているようなので、良しとしよう。


 俺が自身をそう納得させていると、彼女はふと真顔になった。




「良いよ」




 唐突に、彼女はそう呟いた。


 ……また、何のことか分からなかった俺は、彼女の言葉の続きを待つ。




「約束する」




 これまでとは打って変わり、真剣な声音で彼女は言う。




「私が死ぬときは――あんたと一緒に、死んであげる」




 前回屋上で話した時から、どんな心変わりがあったのか、俺には分からない。


 だけどその言葉を聞いて俺は――歓喜していた。




 彼女と一緒ならば、俺はこの無意味な2周目の人生を終えられるのだ。




「ありがとう」




 俺が答えると、




「どういたしまして」




 彼女はそう言って、これまで見たことがないような、美しい笑みを浮かべた。


 その美しさは、儚げで、触れてしまえば崩れ去りそうで――どこか『死』を想起させた。




 ☆




 こうして、俺は那月未来と心中する約束をすることとなり。  


 ――その約束が果たされるのは、そう遠い未来の話ではなかった。 

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