流血の結末((於母鹿毛島海岸)
「父さん!なんのつもりだよ!」
怪獣に喰われる。
そんな恐怖から解き放たれた反動の怒りで、弾太郎は海人の胸ぐらをつかんだ。
「なんのつもりって……契約手続きだよ」
「食われそうになるののどこがだよッ?」
胸ぐらをつかむ息子の手を気にかけることもなく払いのけ、海人はチェックシートを再確認を続けた。
別に弾太郎を怒らせるつもりはなかっただろうが、怒らせないはずはない。
それでも、エキサイトする息子の方を見もせずに海人は淡々と説明を始めた。
「契約といっても、中身は現地環境への調整作業なのだ。現地で生まれ育った契約者と感覚同調を行うのが目的なのだよ」
「だから!なんなんだよ、えっと……感覚同調って」
「考えても見ろ、地球と他星系の惑星では重力、大気組成、気温、気圧、湿度、日照などが全く異なる。そんな条件下では強靭な怪獣の肉体といえど本領を発揮できん」
「そ、そうなの?」
『はい、そうなんです』
答えたのはルキィだ。
説明の続きも彼女が引き継いだ。
『ついさっきまではホントに体、重くて大変だったんですよ。でも今はホラ……』
ドシーン、ドシーン!
「ワワワッ?」
「おっと、坊ちゃん?危ないですぞ」
軽快なステップを踏むルキィのリズムにあわせて島が揺れた。
またしても転びそうになる弾太郎をゲン爺が支えてくれた。
『ホラ、こんなに体が軽いんです!』
嬉しそうに小躍りする怪獣、というものを弾太郎は生まれて初めて見た。
防衛学校の膨大なビデオライブラリにも『はしゃいでる怪獣』の映像記録はなかった。
「では仕上げだ。ゲンさん、キーを渡してあげなさい」
「へい。ルキィお嬢ちゃん、これを」
ゲン爺が手にした物を見て、弾太郎は目を丸くした。
「な、なんだい、そりゃ?」
ゲン爺の手にある物はこの場には似つかわしくない代物だった。
薄い赤に塗られた棒状の物体で長さは五十センチほどだろうか。
先端にはハート型のフレームが獲りつけられ、その内側に金色の鈴がシャンシャンときれいな音を響かせてる。
全体に黒と銀の複雑な文様が施されているさまなど、まるで……
「魔法のステッキ……とか?」
『うふふふ、銀パトマンともあろうものがそんな非科学的なコトいってると笑われますよ?』
怪獣に笑われた。
当分立ち直れそうにないくらいの精神的ダメージを弾太郎は食らった。
在学中に三科目同時の赤点食らった時と同じだ。
「馬鹿息子は放っておいて。ルキィさんキーを受け取って」
ゲン爺は差し出された巨大な手に怯えることもなく、魔法のステッキもどきを渡す。
ルキィからしてみれば爪楊枝以下の棒切れを慎重につまんで高々と差し上げた。
そして厳かに宣言する。
『キーワード入力します』
―キーワード記録開始します―
宣言に答えるように『魔法のステッキもどき』はウィン、と震えて応答メッセージを返してきた。
『……勇気と、希望と、正義と、愛よ!私に悪を討つパワーを下さい!入力終了!』
聞いているだけでも恥ずかしい決め台詞に、ずっこけたのはやっぱり弾太郎ひとりだけ。
島民は皆拍手喝采を送っている。
―「パスワード記録。確認のためもう一度入力して下さい―
『勇気と、希望と、正義と、愛よ!私に悪を討つパワーを下さい!』
―確認しました。設定を有効にするため再起動します―
なんとか立ち直ろうとした弾太郎は、またしてもずっこけた。
テレビの中でヒーローが口にすれば自然な単語も、現実に耳にすればここまで破壊力があるのだと思い知った。
「で、父さん、結局なんなの?アレは」
「アレはな異星人が環境適応に使う補助アイテムなのだ。今の地球は異星人の来訪者も増えているが、それでも彼女のような巨大知的生命体の活動には問題があるだろう?」
「うん、確かに。怪獣が歩けるような道路や寝泊りできる施設なんて全然ないね」
地球にある建造物は全て人間を基準に造られている。
どこの惑星でも身長は基本2メートル以下、体重は100キロ以下が平均だろう。
だが怪獣のサイズは人間の10~100倍以上!
道を歩けばアスファルトの道路を陥没させ、ちょっと鼻先をぶつけただけで巨大ビルを崩壊させる。
生活圏を共有できる環境にはないのだ。
「そのため滞在中はできるだけ地球人に近い姿と大きさに肉体を擬態させる義務が法律で定められているのだ」
「じゃあ、あのステッキで変身を?」
「いや、変身自体はアイテムなしでも可能なのだ。ただ慣れていない者は一時間くらいかかるし、失敗することもある。それではいざという時に間にあわんだろう」
しゃべっている間にルキィの手にしたステッキが再びしゃべりだす。
―システム起動しました。このたびはマックロチェンジング社の製品をお買い上げいただきありがとうございます。ガイダンスを表示しますか?―
『けっこーです。ガイダンスはスキップしてください』
―ユーザーサポートと使用許諾……―
『スキップ!』
―擬態パターンを入力してください―
『地球人、パターン№2でお願いします』
―地球人、№2。擬態促進シーケンス開始します―
機械メッセージ音声がブン……と小さな振動音に変わった。
瞬間、ルキィの巨体が湖面に映る姿がさざなみに揺れるように霞んだ。
輪郭は歪み、色彩は混じりあい、その大きさまでもがゆっくりと縮み出した。
「な、何が起きてるんだ?」
「怪獣が変身するのを見るのは初めてか?彼女は地球人の女性の姿に変わろうとしているのだ」
動揺する弾太郎を暖かな眼差しで見る海人。
出来の悪い子供を見守る、優しい父親の気分を満喫している、というところか。
「そんなことができるの?質量とかは……」
「その質問に答えるにはまず、仮想質量と多次元断層構造論を講義せねばならんが?」
「遠慮しとく……」
学科試験ギリギリ通過の戦士は敵を前にしただけで降伏した。
テスト前、一夜漬けの責め苦をまた味わいたくはない。
そんな会話を続けている間に、ルキィの大きさは弾太郎と変わらないくらいに小さくなった。
輪郭も地球人らしくなってきている。
「変身完了しました!」
元気のよい女の子の声、しかも日本語であった。
さきほどまで翻訳機から聞こえていた機械経由の声よりも生き生きとした可愛い声だ。
同時に色彩の混沌が正常化し、輪郭もピシッと固まった。
「ふむ、形態変化は異常なし。言語中枢シンクロも完璧のようだ」
「どうせ怪獣の化けた姿だろ、きっと……?」
きっと怪獣ばりの恐ーい顔をしてる、といいかけて弾太郎は息を呑んだ。
岩のようだった皮膚はどこへやら、すべすべした張りのある日焼けした肌。
少し釣り目気味だが大きなぱっちりした目。
燃えるような真っ赤な髪は櫛を入れていないため少々ボサボサだが。
唯一地球人らしくないのは真紅の瞳だけだ。
「ちきゅーじんの体って妙な感じですねー。尻尾とかもないし」
「……あ」
はっきりいって可愛い娘だ。見つめる弾太郎の顔もほんのり赤く……。
「ダンタロさんも思いませんか?尻尾ないと歩きにくいって」
「……あ、あの」
鈴を転がすような声などというが、きっと彼女のような声をいうのだろう。
話しかけてくる彼女に対して、弾太郎は目をそらすこともできずに、ますます赤く……。
「それに皮、っていうか皮膚?も、フニュッて柔らかくて、とっても変な感じですよね」
「……あの、その……ウウッ」
「きゃあ?ダンタロさん、どうしたんです!」
弾太郎は口元を押さえてうずくまった。
そして指の間から滴り落ちる赤い血。
それも尋常な出血量ではない。
「病気ですか?ハッ?まさか何者かが攻撃を!」
ルキィはうずくまる弾太郎を守るように抱かかえ、とたんに出血量が倍増した。
ルキィは緊張した眼差しを周囲に向けた。
「みなさん、動かないで!近くに敵が潜んでいる可能性があります。安全が確認されるまで銀河パトロール権限において……」
「あー、ルキィさん。その必要はないと思う」
海人は落ちついた、少し悪戯っぽい声で告げた。
「でも、ダンタロさんが!」
「それなら心配ない、そのくらいの鼻血ならすぐに止まる。君が服を着てくれればね」
地球到着時、ルキィは衣類を持ってこなかった。
そもそも怪獣族に服を着るという習慣を持つ民族は少ない。
丈夫な皮膚や外骨格は服による保護を必要としないからだ。
付け加えるなら変身アイテムであるキーにも『着せ替え機能』はついていなかった。
(これはオプションとして別売になっている)
すなわち、ルキィは現在、一糸まとわぬ見事な肢体が与える感動の美を、弾太郎に惜しげもなく提供しているのである。
だから一気に脳天まで上った熱き青春の血潮が、体の外までほとばしった……
(興奮しすぎて鼻血を出したといえばそれまで)
(あー、なんか目の前が真っ暗にぃー)
大量出血が過ぎて今度は貧血だ。とうとう立っていられなくなり、バタリとその場に倒れてしまった。
「大変です!ダンタロさんが……」
「我が息子ながら情けない、家出同然の二年間で少しは免疫ができたかと思えば……」
海人は憂いに満ちたため息をついて、ひっくり返った弾太郎を肩に担いだ。
ダラダラと流れ落ち続ける鼻血はもはや、生命の危機を通り越してギャグの領域だ。
「もう少し女に慣れてもらわねば、真榊家の血脈が絶えてしまうではないか」
「そうとはいえませんぞ、海人様。これだけ興奮するということは、裏を返せば女好きということ。ひとたび慣れてしまえばお孫様の十人や二十人は」
「おお、ゲン爺。確かにそうかもしれんな!では耐性をつける特訓を今夜から……」
勝手なことをほざく関係者一同を、意識が闇に呑みこまれるまで弾太郎は精一杯呪った。
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