契約完了(於母鹿毛島海岸)
海人は手にしたチェックシートに記入し、弾太郎にかぶさった網を外した。
「弾太郎、ちょっとルキィ君と喋ってみてくれ」
「えっ、どうして?」
「生体情報交換に必要なのだよ。お前とルキィ君の間で意味のある会話が成立することで聴覚及び言語中枢交換データが生成される」
それを聞いた弾太郎は最初ポカンと口を開けていたが、とつぜん目を閉じ口をつぐんだ。
「さ、弾太郎、何でもいいから喋ってくれ」
「……」
「会話として成立する言葉ならなんでもいいんだ」
「……」
「おい、弾太郎」
「……」
「どうして黙っている?」
「……」
何を言っても弾太郎は一言も喋らない。
不機嫌そうな顔で黙りこんでいるだけだ。
「坊ちゃん、まさか……喋らなければ契約成立しないからですか?」
「呆れた強情者だ」
ゲンじいと海人は頭を困ってしまった。
弾太郎は『どうあっても契約なんぞ御免だ』という態度を崩そうとしない。
こうなると無理矢理喋らせるのは難しい。
「さて、どうしたもの……?」
海人の目が驚きで大きく見開かれていた。
弾太郎ではなく、背後の何かを見上げている。
「……?」
おかしな気配に弾太郎も目を開けて振りかえって背後を見ると……
「……ッッ?」
そこにルキィの顔があった。
というよりズラリと並んだ巨大な牙の列があった。
海人たちと揉めている間に、ルキィは音を立てないように身をかがめて顔を近づけてきていた。
びっくりして後ずさりしかけた弾太郎を、強烈で生暖かい突風が襲った。
グゥオウゥゥッ!
『ひょっとしてダンタロさん、女の子と口をきくの初めてですか?』
「馬鹿にするな!防衛学校じゃ、それなりに女の子とも……あ、しまった?」
「よし、会話成立。聴覚・言語認識シンクロナイズ完了」
笑いをこらえながら、海人はチェック蘭に記入した。
息子のマヌケぶりを少し楽しんでいたが、次の項目を見て眉を寄せる。
「ふむ、ここから先は注意せんといかんな」
「って、まだ何かする気なのか?」
息子の抗議は完璧に無視して海人はルキィに向かって大声を上げた。
「おーい、ルキィ君。ここからは細心の注意が必要だ、気をつけてくれ」
『はぁい。で、何をするんですか?』
「うむ、まずはうちの馬鹿息子をな」
『ダンタロさんを?』
「とっ捕まえてくれ」
ルキィはコクッとうなずいて、手を伸ばした。
驚いたのは弾太郎だ。
電信柱より太い五本の指が突然襲いかかってきたのだから。
「ウワァァァッ!放せ、放せ、放せェェェッ」
捕らえられた小鳥のように怪獣の手の中で絶叫し暴れる弾太郎だが、彼の腕力ではルキィの指一本押し返すこともできない。
『暴れないで下さい、落ちたら危ないですよ』
「放せ……って危ない?」
心配そうに忠告するルキィの言葉に、ふと下を見た。
島民も海人もゲンじいも心配そうにこっちを見上げている。
心配して当然だろう。弾太郎は今、人間が蟻くらいに小さく見える高さにいた。
落ちたら即死確実だ。
(こ、この怪獣の身長……八十メートルくらいか?この高さならビルの十二、三階分か?落ちたら死ぬ、とは限らないけど……死ぬような気が……死ぬかも……多分死ぬ)
そこまで考えたところで、弾太郎は暴れるのをやめた。
意味もなく墜落死してはたまったものではない。
気を落ちつけて距離二メートルに迫った怪獣の顔を観察してみる。
溶岩のような赤い皮膚、と先程から形容しているが、体温も溶岩ほどでないが高いらしい。
手の平はかなり暖かいし、皮膚のあちきちにあるひび割れのような隙間がかすかに赤く光っている。
顔立ちはやや丸っこく、大きな丸い瞳とあいまって狂暴さは感じられない。
落ちついて見てみれば、むしろ穏やかな印象すら受ける。
(意外と……愛嬌のある顔だよな)
相手も何か感じたのか低い唸り声を長くのばしている。
グルルル……
『地球の方とお会いするのは初めてなんで、よくわからなかったんですけど。ダンタロさんって』
「な、なんだ?僕がどうかした?」
『ダンタロさんって愛嬌のある顔してますね』
「余計なお世話だよ!」
グオゥッ!
ルキィの喉の奥から熱風のような吐息が噴き出した。
あまりの熱さに弾太郎は呼吸もできなくなった。
『ゴ、ゴメンナサイ!失礼なこといっちゃったみたいで!』
「わかったから、息吹きかけないでよ。熱すぎるよ」
『ああ、す、すいません』
「おーい、二人とも。イチャイチャしてる暇はないぞ」
地上からの海人の声に二人(一名と一匹?)はハッとした。
「あのね、これのどこがイチャイチャ……」
「二人とももっと顔を近づけて」
海人の言葉に従い、ルキィは弾太郎をつかんだ手を顔に近づけた。
さっきの熱風とは違う穏やかで暖かい温風が体を包みこむ。
春風のような暖かさの中に、ほんの少し甘い香りもする。
(花のような香りだ。こいつの体臭なのか?それとも香水?)
香りを装飾の一部とする種族は地球人だけではない。
香水にあたる化粧品は銀河文明圏では数多く存在する。
無論、匂いに関する反応は種族それぞれだから、地球人にとっての芳香が他星系人には猛烈な悪臭となる例もなくはない。
『いい、匂いがします』
「へっ?」
『ダンタロさんの匂い、とてもいいです。汗と血と爆薬の匂い』
いい匂いといわれて首をかしげた。
確かに毎日のように訓練を繰り返し汗を流し、怪我も数え切れなかった。
武器も小口径のピストルからレーザーライフルにいたるまで、何千発撃ったかわからない。
匂いが染み付くのは当然としても、あまりいい匂いとは思えない。
『一生懸命に戦いと鍛錬を重ねた人の匂いです』
いい匂いという言い方に納得できた。
目の前にいるのは戦闘生物、戦うことが価値観の全てという巨大怪獣の一匹なのだ。
(そのへんは僕たち防衛警察官と変わらないのか)
「よし、臭覚情報シンクロナイズ完了っと。次で最後なのだが」
海人は最後の項目を前に少し緊張した。最終行程は気をつけないと弾太郎の命が危ない。
「ルキィ君、あーんして」
『あーん?』
ルキィの口の中に並ぶ白い牙の列。
一本の欠けもない健康優良児的な牙の配列は壮観、というより恐怖を呼び起こす。
「ウ……恐……」
迫力に弾太郎は息を呑んだ。
つい口にしかけた『恐い』の一言を無理やり呑みこんだ。
防衛警官たるもの、怪獣を恐がっていては務まらない。
(それにしても僕なんか一口で食われちゃいそうだ)
「もっと大きく口をあけてくれたまえ」
『あ―――――ん』
更に大きく開かれた口は弾太郎など、簡単に一呑みにしてしまうであろう。
(まさか?本当に食う気?いくらなんでもそんなことは)
「はい、ルキィ君、弾太郎を口の中に入れて」
「ええっ。うそだろ、父さ……」
父の言葉に驚いている暇もなく弾太郎は口の中に放りこまれた。
牙の間を通って舌の上に転げ落ち、慌てて飛び出そうと立ちあがりかけて、また転んだ。
ざらつく舌の感触を頬に感じながら上を見ると牙の整列する天井が一気に降りてきた。
バクン。
ルキィが口を閉じると弾太郎は生暖かい闇の中に閉じ込められた。
「く、食われる?食われるのか、僕は」
丸呑みにされるのか、噛み砕かれて終わりか?
口の中に逃げ場はない。
閉じられた牙の隙間からかすかに父の声が聞こえてきた。
しかもとんでもないことを言ってる!
「いいかい、よーく味わうんだ」
弾太郎の顔色が真っ青になった。
まさかと思ったが、この怪獣娘に弾太郎を本当に食わせるつもりなのか?
「冗談じゃない!」
無駄とわかっていたが弾太郎は牙の隙間に腕をつっこみ、顎をこじ開けようとした。
もちろん非力な人間の腕力で開くはずもない。
「ワァァァッ?」
突然足元がグラグラと揺れ、続いて真上に持ち上げられた。
弾太郎を乗せた巨大な舌が動き始めたのだ。
必死の抵抗もまるで感じないように、舌先だけで上顎の裏に押しつけられた。
ツルリとした粘膜の感触と、ざらついた舌の感触にはさまれて身動きが全然とれない。
「ひぃぃぃぃィッッッッ?」
巨大な舌が再び動きだす。
何度も何度も顔を、手を、足を舌先で確かめるように味わっている。
ヌルヌルした唾液にまみれ、喉の奥から吹きつける熱風にさらされる。
ほんの少し舌の力が緩んで僅かに首を動かせるようになった。
しかしそうして見えたのは喉の奥、胃袋へと続く奈落の入り口だけ。
そこへ落ちれば生きては出られまい。
胃酸の海でドロドロに溶かされる自分の姿が、頭に浮かんで全身が恐怖で硬直する。
「たす、助、たッ……」
あまりに恐くて叫び声すらでない。
その時、奇妙な感覚がやってきた。
高速エレベータ―で下降するような感覚だ。
何が起きているのかもわからないうちに、強烈な陽光が差し込んだ。
「まぶし……わ?わぁっ!」
弾太郎は砂浜に放り出された、というより吐き出された。
砂にまみれてコロコロと転がり、海人の足元で止まった。
「た、助かった……」
「味覚情報シンクロ終わり……これで契約完了。ご苦労だったな、弾太郎」
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