初顔合わせ(於母鹿毛島海岸)

海人は先に立って、波止場へと続くなだらかな坂道を下りていった。

まとわりつくガキどもを振り払うようにして、弾太郎も後を追う。


「この島にもう一人来るっていうの?」

「ああ、くるとも。しかもお前と同い年のお嬢さんだぞ」


この時、海人は少し悪戯っぽい微笑を浮かべていた。

だが、後姿しか見えない弾太郎は気づかない。


「女の子?そいつも、その……なんか問題起こして、ここへ配属されたヤツなの?」

「失礼なことをいうんじゃない。お前と違って成績優秀な娘さんだぞ」

「……なんで成績優秀なのが、何の施設もない離島に着任するんだよ」

「彼女は自ら志願したんだ、もっとも過酷な最前線の職場をな」


のどかな島のどこが過酷なの?とつっこみたい弾太郎だが、あえて口にしなかった。

そんな……のどかな島に配属された自分も惨めになってくるからだ。

ボソボソと愚痴りながら歩いているうちに小さな漁港についた。


「辰さんの船だけがないな。出迎えにもきてなかったし……何かあったの?」


漁港にはほとんどの漁船が停泊していた。

どれもこれも見覚えのある漁船だが、一隻だけ見当たらない。


「うむ、新任のお嬢さんが途中で迷子になってな。辰さんに迎えに行ってもらった。そろそろ着く頃なんだが」


島民全員で水平線を監視すること数分。やがて小さな船影が見えてきた。


「あ、父さん。あれじゃないか?」

「そのようだな。おーい、誰か無線機持ってきとらんか?」


ゲンじいちゃんがサッとばかでかい無線機を手渡すと、海人はスイッチを入れて呼びかけた。


「あー、こちら於母鹿毛島。島に近づいてくるのは辰さんかい?」

『おう、こちらは辰!その声は神主さんか』

「例の娘さんは見つかったのかね?」

『ちゃーんと見つけました。船の後を泳いできてますぜ』


泳いできている、という言葉に弾太郎は怪訝な顔をした。

この島に泳いでやってくるなど、考えられないことだったからだ。


「泳いできてる……って冗談だろ?」

「どうしてそう思うのだ、弾太郎?」

「この島へ泳いでこれるわけないだろ。人が住んでる一番近い島でも百キロ以上離れてるんだよ?」

「フフフ、確かにそうだな。まあ、いいではないか」


やがて漁船は島に接近し、運転席の辰さんの顔も認識できるまで近づいてきた。


「???辰さん以外は誰も乗ってないみたいだけど」

「当然だろうな、彼女があの船に乗るのは無理だろうからな」


弾太郎の目はますます不思議そうな……を通り越して完全な疑いのまなこになった。

まるで島ぐるみでからかわれているような気がする。


(でも……)


背後の島民たちをチラッと見て、ますます分からなくなった。

誰一人として弾太郎に注意を向けていない。

彼を騙しているのなら密かに反応を見て楽しむ奴がいるはずだ。

大人はともかく子供たちまで弾太郎を無視して沖の方ばかり見ている。


(あ、あれ?あの垂れ幕の名前は)


さっきまで弾太郎の名を書いた垂れ幕を持っていたおばちゃんたち、今度は別の名前の垂れ幕を高く掲げている。


「『ようこそおもかげじまへ!ルキィちゃん』って、その娘は日本人じゃないのか?」

「ん?ああ、確かに日本人ではないな」


こともなげにいう父親の言葉に弾太郎は頭を抱えた。

もう一人この孤島に着任するというのはどうやら嘘ではないらしい。

しかも外人ということは……

自国の防衛警察学校で問題を起こして追い出され、この島の駐在勤務を押しつけられたとしか考えられない。

だが、さっき海人は『成績優秀なお嬢さん』と言っていたはずだ。


「父さん……」

「何の用だ、これから忙しくなるから後にしてくれんか」

「その、着任するお嬢さんって、そのつまり、本当に優秀なのかい?」

「お前と一緒にしてはいけないな。成績はトップクラス、養成所でも評判の優等生なのだぞ」

「じゃあ、なんでこんな島に?」

「だから話は後にしなさい。さあ、到着だ」


辰さんの船が接岸した。

日焼けした笑顔が手を振りながら下船してくる。


「お元気そうでなによりです、弾太郎坊ちゃん。出迎えに間に合わなくてすんませんでした」

「気にしなくていーよ。それより辰さんこそ元気そうでよかった」


弾太郎の言葉に逞しい漁師は一気に破顔した。


「はっはっはっ、俺は健康だけが取り柄ですからねェ」

「で、お客さんは。えっとルキィさんだっけ、外国の」

「おお、どうやら泳ぎついたようですぜ」

「いや、泳ぎついたって……」

「もーいーぞ、お嬢ちゃん上陸しておいで」

「あ、あの……なんだ?」


海に異変が起こった。

海中で赤い光が明滅していた。

漁船より遥かに大きな赤い光だ。

波静かだった入り江がコポコポと泡立った。

泡は見る間に量を増し、白い小山ように海面を盛り上がらせ、続いて白い水柱が入り江に立った。


「何かがくる。何か、とてつもなくでかいヤツ!海から……出てくる?」


最初驚くばかりだった弾太郎は、とてつもない恐怖を感じた。

巨大な水柱の中の中に蠢く巨大な影。

時折赤く発光するその影は高さ推定八十メートル以上。

姿は熊に似ているが、体長八十メートルの生物など地球には存在しない。


「なぜ……こんなところに……怪獣が?」


弾太郎は腰の銃に手を伸ばしかけて舌打ちした。

銃器類どころか装備一式がまだ届いていないのだ。

島にある武器といえば包丁か鉈くらいだ。


「みんな、すぐに裏山に避難して!父さんも早く!」

「弾太郎、さっきからおまえ何を騒いでおるのだ?」

「はぁっ?」


海人も村の衆も呆れたような目で弾太郎を見ていた。

それこそ何を騒ぎ立てているのか分からないという表情で。


「何を騒いでって……怪獣が」


弾太郎はハッとして海に目を向けなおした。

水柱が消えた跡にそいつはいた。

ずんぐりした体型に太く強力そうな手足、まるで岩場か固まった溶岩を思わせる赤く硬い皮膚、細く長い尻尾をくねらせて。

全身から雨のように海水をしたたらせ、燃え上がるように輝く赤い瞳でこちらを見下ろしていた。


「遅かった……」


この怪獣がどれほどのスピードで動けるのか、どれほど強いのか、どんな能力を持っているのかは分からない。

しかし島民を避難させるには手遅れになったのは確かだ。


「父さん、僕がヤツを引きつけるからその間に……」

「だからさっきから何の話をしとるのだ?」

「そっちこそ状況がわかってないの!」


いつ怪獣に踏み潰されるかも分からない状況でとぼけたことを言ってる父親に、弾太郎は怒りを爆発させた。


「見えないのか、あの怪獣が!島民全員の命が……」

「あー、ちょっと失礼、海人様。ぼっちゃんも少しは落ちついてくださいやし」


二人の間にゲン爺が割り込んできた。この老人も落ちつきはらっている。


「海人様、ひょっとしてルキィ嬢ちゃんのことを説明しとらんのではありゃあせんか?」

「とんでもない!ちゃんと説明したとも。電話に出てくれないから、このように手紙に」


懐から取り出した手紙を見せて、反論する海人。


「で?その手紙とやらを何故まだ持っとられるんで?」

「…………あ?」


手の中にある手紙を海人はマジマジと見つめた。

確か、一週間ほど前に弾太郎宛てに書いた手紙だ。

それがまだ手元にあるということは?

頭をポリポリ掻いて海人は空を見上げた。


「すまない、船便に出すのを忘れていた。いや、歓迎会の準備やらなにやらで忙しかったものだから」


息子、および島民の全員の、吹雪よりも冷たい視線が海人に集中した。


ガァァァッ!


気まずい沈黙を破る巨大な咆哮、海面から飛沫が舞いあがり係留していた漁船が激しく揺れる。

一瞬で真顔に戻った弾太郎は海人を守るように前に出た。


「お喋りしてる場合じゃない、みんな早く逃げて!」


身を守る突撃装甲服もなく武器もなく、そびえたつ巨大な怪物と対峙する。

足元から這い登ってくる恐怖を押さえつけ、巨大生物の両眼を睨み返す。


グルルルルル……


喉を鳴らすだけでも地面がかすかに揺れているのがわかる。

しかも赤い怪獣の目は弾太郎にだけ向けられていた。

最初の獲物に選ばれた、ということだろうか。


「すまん、すまん。連絡不行き届きだったな」


静かに睨み合う弾太郎と怪獣の間に、海人は割って入ってきた。


「父さん!危ないから……」

「びっくりさせてしまったようだね。こいつが君の相棒になる我が愚息だよ、ルキィちゃん」

「下がってて……え?」


弾太郎は呆然とした、海人が話しかけた相手は弾太郎ではなかった。

なんと目の前の大怪獣に話しかけているのだ。


「名前は弾太郎という、私の最愛の息子だ」

「父さん……」

「少々あわて者でうっかり者だが、優しい子だ。恐がることはない」

「父さん?」

「仲良くしてやってくれたまえ」

「父さんッ!」


ここでようやく海人は弾太郎の方へ向き直った。

肩に手を置き気軽に一言。


「ホレ、お前も挨拶せんか。お前の相棒になるルキィちゃんだ、失礼のないように」

「あ、あ、相棒って?なんで?どうして?どう見たって怪獣……」

ガオォォォッ!


頭上から本日最大音量の咆哮が落ちてきた。

怪獣の巨大な顎から吐き出された空気は、弾太郎の体を埃のように吹き飛ばした。


「おお、これはこれはご丁寧な。年齢に似合わずしっかりしたお嬢さんだ」

「な、なにがお嬢さん……って雌なのか、この怪獣」


無様にひっくり返った弾太郎を見ながら、海人は少し首をかしげて考えていた。

やがて納得したようにこういった。


「なるほど、お前はよその星の人と話すのは初めてだったかな」

「いや、そういう問題じゃないだろ!」

「おーい、誰か神社の蔵にある翻訳機もってきてくれ。うちの弾太郎は言葉がわからんようだ」

「……翻訳機?」


弾太郎が呆けている間に、怪獣はノソリと海から上がって砂浜に上陸してきた。

柔らかな砂浜は桁外れな体重を支えきれず、膝近くまで足が沈む。

歩きにくそうに歩を進め、数メートル手前までやってきた。その間も弾太郎から目を離そうとしない。


(どうやら暴れるつもりはなさそうだが……)


海から上がって体も温まってきたのだろうか、怪獣の体表は暗い赤から鮮やかな赤に変化してきた。

その時、海人が背後から小声でささやいてきた。


「あまりジロジロ見つめてはいかん。恥ずかしがって赤くなっているではないか」

「……そうなの?」

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