第2話 腫瘍
☆
瞬間移動したオルビスとヘルメースは、ヘルメースの部屋にやってきた。
「寝る支度をしたら、寝室に来てくれ」
「はい」
ヘルメースはドレスを脱ぎ、侍女にお風呂に入れてもらいながら、お化粧を取ってもらう。
綺麗にしてもらう間に、オルビスは自分も体を綺麗に清め、ワイングラスを用意して、その中に、オルビスの血を入れていく。
魔王の血は万能薬と言われていることを、すっかり忘れていた。
もしかしたら、血を飲んだら腫瘍が消えるかもしれない。
1000年で広がった腫瘍は、1回の治療で治るのは無理かもしれないけれど、続ければもしや?
ヘルメースはネグリジェを着て、寝室にやって来た。
ミニテーブリに用意された真っ赤なグラスを見て、首を傾けている。
「ワインですか?」
「いや、私の血だ。魔王の血は万能薬なのだ。レオンに教えておいて、失念していた。アリエーテが気付いたらしい。もしかしたら、この血で、腫瘍が良くなるかもしれない。飲んでくれるか?」
「オルビスの血は、王妃になったときに一度飲みましたね」
「そうだったな」
オルビスはワイングラス一杯に入れた血をヘルメースに渡した。
「こんなにたくさん抜いてしまって、体に触りませんか?」
「もう用意した物だ。どうか飲んでくれ」
「はい」
ヘルメースは、ゆっくり飲んでいく。
体中が熱くなり、お酒に酔ったように、ふわふわする。
「眠くなったら、眠ってくれ。起きたら、また飲んでもらうぞ」
「オルビス、無理はしないでね?」
「ああ、食事はしっかり食べよう」
掛布を捲り、ヘルメースをベッドに寝かす。
ヘルメースは吸い込まれるように、深く眠りに落ちた。
一滴も残さず飲んでくれたグラスを、テーブルに置いて、ベッドの近くに椅子を置き、ゆったり座り眠るヘルメースを見守る。
すぐに効果は出ないかもしれないが、希望が持てたような気がした。
1日眠ったヘルメースは、スッキリとした顔で目覚めた。
食事を一緒に摂り、ヘルメースを侍女に託し、お風呂に入れてもらう。
3食しっかり食べさせた後に、またグラス一杯の血を飲ませた。
ヘルメースは、心配そうな顔をしていた。
「無理をしないで、体を壊してしまうわ」
「これくらいは大丈夫だ」
一滴も残さず、ヘルメースは、また飲んだ。
頭にできた腫瘍が消えた。まだ腫瘍は体中に散らばってあったが、少し小さくなったような気がする。お腹はまだ妊婦のようなお腹をしているが、続けていたら治るかもしれない。
オルビスはヘルメースに血を与えるために、栄養のある食事を食べて体調にも気をつけた。
三日目にレオンに連れられてアリエーテがやって来た。
「お手伝いさせてください」
「いいのか?ヘルメースはアリエーテ妃を傷つけたのだよ?」
「今、ちゃんと生きています。だから、大丈夫です」
アリエーテはにっこり微笑んだ。
「30分だけの約束で連れてきた」
レオンがアリエーテに釘を刺すように言い聞かす。
「分かってるわ。30分でも効果はあると思うの」
レオンは頷いた。
「ありがとう」
「アリエーテ、ありがとう」
オルビスとヘルメースはアリエーテにお礼を言った。
アリエーテはお腹に手を翳して、治癒魔法の歌を歌う。
30分経つと、レオンがサインを送る。キリのいいところで歌い終えて、レオンが連れて帰る。
ヘルメースが眠っているときも、アリエーテは治癒の歌を歌い帰って行く。
魔王の血と、聖女の治癒魔法で1ヶ月ほど続けたら、子宮以外の腫瘍は消えた。効果はあるようだ。お腹の膨らみも小さくなってきている。
また1ヶ月続けたら、お腹の膨らみはかなり小さくなってきた。
それでも、まだ腫瘍はある。
「お姉様、もう少しですわ」
「アリエーテ、ありがとう」
「オルビス様が頑張っていらっしゃいますから、わたしも頑張りますね」
また1ヶ月経つと、お腹の膨らみはなくなった。けれど、まだ腫瘍が残っている。
「もう少し、頑張りましょう」
オルビスもアリエーテも努力を惜しまなかった。
オルビスの漆黒の髪が白くなってきている。
魔力を使いすぎているのだとレオンは言っていた。それでも、ワイングラス1杯分の血液を必ず準備していた。
ヘルメースは泣きながら、ワイングラスを空にする。
アリエーテも毎日30分歌を歌いに行った。
1ヶ月後には、腫瘍は親指大になった。
オルビスの髪は白髪になっていた。
また1ヶ月が経ち、腫瘍は小指大になった。
オルビスの髪が抜け始めた。長かった髪を短く刈り上げて、スッキリとした髪型になった。
「オルビス様、後はわたしの祈りでなんとかいたします」
オルビスはすっかり老け込んでしまっている。
「いや、最後までヘルメースを治すよ」
そう言って、ワイングラス1杯分の血液を準備する。
ヘルメースは毎日、泣きながら、ワイングラスを空にする。見ているこちらが辛くなるほど、オルビスもヘルメースも頑張っている。
「レオン、わたしに1時間祈りをさせてください」
「それは駄目だ。アリエーテはアンジュの母親だ。授乳もしなくてならない。無理をしない約束で連れてきている」
「……はい」
約束をして連れてきてもらっているから、約束を守らなくては連れてきてもらえなくなる。アンジュの事も、レオンの言うとおりだ。もう母親なのだから、我が子を守らなくてはならない。
アリエーテは自分にできる精一杯の事を、また1ヶ月続けた。
どうしても完全に消えない腫瘍に、オルビスもアリエーテも黒い塊を見つめる。
オルビスの髪は全て抜けてしまった。
体も痩せて、どう見ても貧血を起こしている。
「オルビス、もう限界じゃないのか?オルビスが死んだらヘルメースは、一人で残されるぞ」
見かねて、レオンはオルビスが腕を切る前に、その動きを止めた。
「黙れ、レオンだって、1000年アリエーテの魂を探し続けたんだ。1000年かかっても腫瘍を治してやる」
「もう無理だ。だから止める。死んでからでは遅いだろ?オルビスの魔力はこの治療を始めてから、半分ほどになっている。その血液では腫瘍は小さくはならない」
オルビスは悔しそうに拳を固める。
「すまないヘルメース。魔力が尽きるとは情けない」
「毎日、血を与えすぎだ。そんな生活をしていたら、魔力だって落ちるだろう」
レオンの言葉に、オルビスは椅子に座って頭を抱えた。
「ここで治療を止めてしまったら、また腫瘍が大きくなってしまう」
以前、アリエーテが治療を途中で止めたときも、腫瘍は確実に大きくなっていった。
オルビスの言うとおりだ。
今、止めてしまったら、元に戻ってしまう。
「オルビス、お願いがあるの。私の子宮を取ってください」
ヘルメースは深く頭を下げた。
今では、ヘルメースの方が元気に見える姿で、ヘルメースはベッドの上で土下座をしていた。
「私は欲張りでした。一度、子供産めただけで幸せなはずでした。オルビスと育児をしているときは、とても幸せだったのに、欲が出てしまったのね。もっと魔力の強い子でなければ駄目だと言われて、私は悔しかったの。魔力が弱くても我が子でした。愛おしさも変わらないはずなのに、外れを引いたような気持ちになっていたの。子供が独り立ちして、私はオルビスがいれば幸せなはずなのに、我が儘ばかり言ってごめんなさい。最初から子宮を取ってしまえば良かったのよ。オルビスが窶れていく姿を見ていて、とても辛かったわ。もう、お願いですから、血を抜かないでください。わたしを置いて死なないで。オルビスと私の子宮を比べたら、オルビスの方が大切よ」
「いいのか?悔いは残らないのか?」
「残りません」
ヘルメース断言した。
だが、今のオルビスには子宮を切り、取り出す手術ができるほどの魔力は残っていない。
「レオン、代わりに、完治させてくれるか?今の私には、手術を失敗させずにできる魔力がない」
「俺でもいいのか?ヘルメース」
「はい。これ以上、オルビスを苦しめたくはありません」
「それなら引き受けよう」
「お願いします」
レオンは快く請け負った。
その日、レオンはヘルメースの手術をした。
皮膚を切開して、取り出すだけの簡単な手術に見えたが、傷一つ残してはいない。魔力を使い繊細な技法を使ったのだろう。アリエーテは炎症を抑える歌を歌った。
痛みは取れるはずだ。
取り出された子宮は、拳1個分くらいだった。子宮を半分に切ると、中は真っ黒になっていた。腫瘍が無くなっても、妊娠できる可能性は果てしなく0に近いだろう。ヘルメースはその子宮を灰も残らず焼き払った。
極度の貧血と魔力不足に陥ったオルビスは、気力をなくし倒れた。
ヘルメースの代わりに、寝込むことになった。
休養を取り、食事をしっかり摂っていけば、魔力は戻ってくるだろうと、レオンは言っていたが、すっかり老けてしまった兄の姿を見て、レオンもショックを受けたようだった。
双子の兄弟なのに、その面影はなくなってしまった。
夫婦二人並んで、ベッドで眠っている。
侍女と屋敷の執事に現状を説明して、オルビスに休養を与えるようにお願いをしてきた。
「アリエーテ、帰ろう。いつもより遅くなった。アンジュが泣いているかもしれないぞ」
「そうね、母乳を欲しがる時間ね」
アリエーテはレオンと手を繋ぎ、消えた。
「後は二人の問題だ。腫瘍の転移は消滅させたから、たぶん、完治だと思うが、こればかりは分からない」
自宅に戻ると、レオンは言った。
夫婦のことは夫婦にしか分からない。
「奥様、アンジュ様がお腹を空かせて泣いておられます」
モリーが大泣きしているアンジュを抱いて、あやしているが、お腹が空きすぎて、泣き声が掠れるほど大声で泣いている。
「アンジュ、遅くなってごめんね」
アリエーテは急いで手を洗うと、アンジュを抱き母乳を飲ます。
その様子をレオンが見ていた。
「美しい光景だ。絵にでも描いてみようか?」
「レオン、絵が描けるの?」
「いや、ただ美しくて尊いと思ってね」
アリエーテは頷いた。確かに赤ちゃんが一生懸命母乳を吸う姿は美しくて、尊いと思った。
「アンジュが一生懸命、アリエーテを見ているな。青い瞳がなんとも美しい」
「アンジュ、アンジュが年頃になったら、パパはアンジュが心配でどこに行くにも付いていきそうよ」
レオンは微笑んで、アリエーテの隣の席に座り、授乳の様子を見ている。
「幸せだな、この子に魔力が無くても俺は愛せるぜ」
「わたしもよ。そうね、治癒魔法を教えてあげようかしら」
「それはいい魔法だ」
レオンはアンジュの髪を撫でる。まだ柔らかいが母親似の黒髪だ。
「この子が巣立った後も、アリエーテが傍にいる。永遠の時間、一緒に過ごそう」
「はい、レオン。永遠を一緒に過ごせるなんて、なんて素敵なんでしょう」
お乳を飲んで眠ったアンジュをレオンに抱かせた。
「もし、わたしが病気になったら、オルビス様のような無茶な治療はしないでね?」
「あの治療は、オルビスなりの意地だったんだと思う。俺が不可能だと言われた、たった一つの魂を追いかけ続け、その魂を持つアリエーテを連れ帰った。一つの魂を捕まえることは、誰もが不可能だから止めろと言ったんだ。時間はかかったが、その不可能な事を現実に変えた。オルビスとは双子の兄弟だから、考えていたことは分かる。不可能なことを現実に変えた俺の真似をしたんだ。体中に散った腫瘍を取れた時点で、本当は子宮を取るように説得すべきだったんだ。それでもヘルメースが納得しなければ、夫婦の間に溝ができてしまうかもしれない。それを恐れたんだ。だから、ヘルメースが言い出すまで治療を続けた。あんなに老いぼれてしまっても、ヘルメースを愛し続けたオルビスを尊敬するよ」
「わたしはレオンに、あんな無茶な治療はして欲しくはないの」
「ああ、俺はいつもアリエーテの体の隅々まで見ている。もう癖になってしまったんだ。転生して生涯を終えるのを何度も見てきたからね。きっとこの癖は直らないだろう。もし、アリエーテの体に異変があれば、すぐに見つける自信がある。ヘルメースのようにはならないだろう。アリエーテが考えているよりも、俺はアリエーテを想っている自信がある。命に関わるなら、腕や足を躊躇わず切るよ。腕や足が無くても傍にいて欲しい。アンジュは生まれたが、他に子供ができなくても、それならそれでもいいと思っている。難癖付けてくる奴がいたら、追い返してやる。やっと捕まえたアリエーテを二度と手放したくはない。ただそれだけだ」
「わたしの転生を何度も見てきたレオン、わたしを幸せにしてくれてありがとう。探し出してくれてありがとう。わたしは一生をレオンに捧げます」
微笑んだレオンに凭れ掛かる。
メリーが紅茶を淹れてくれた。
モリーがアンジュを受け取りに来た。ベビーベッドに寝かせるのだろう。
レオンはモリーにアンジュを託した。
モリーはアンジュをベビーベッドに寝かせた。
二人でメリーが淹れてくれた紅茶を飲む。
入り口に立つ護衛のフルスにも紅茶が振る舞われた。
部屋全体が穏やかな空間になる。
ヘルメースも穏やかな気持ちでいられたらいいなと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます