第4話   嫉妬

 ☆

 その頃、魔王の屋敷では、ヘルメースが苛立って、屋敷の花瓶を割り、飾り物を壁に投げつけていた。



「どうしてアリエーテに子供ができて、私にはできないの?」



 泣きながら、ヘルメースは美しい私室を壊していた。


 小さくなってきたお腹が、元に戻るのではないかと不安で、妹の妊娠も羨ましく憎らしい。


 ついこの間まで、その存在は魔界になかったのに、いきなり別れた頃と同じ顔をした妹が現れて、幸せの絶頂な顔をしている。


 レオンが1000年の時を追いかけて、やっと捕まえたアリエーテを見て、ヘルメースも嬉しかったが、子供を授かったと聞いたら、とてつもなく羨ましい。


 自分にできないことを、アリエーテはしている。


 レオンがヘルメースの心情を考えて、アリエーテの姿を見せないようにしているのは、気付いている。


 今、幸せの絶頂にいるアリエーテを見たら、魔術で攻撃してしまうかもしれないし、刃物で傷のないお腹を刺し貫いてしまうかもしれないほど、嫉妬している。嫉妬を通り過ぎて、憎しみさえ湧いてくる。


 人間風情のくせに……。


 自分より幸せになることが許せない。


 子供の頃を思い出した。


 アリエーテは年の離れた妹だった。


 ヘルメースは、公爵家の長女だった。ずっと一人娘で可愛がられていたのに、ヘルメースが二十歳時、アリエーテが生まれた。今まで全ての愛情を一身に向けられてきたのに、両親はアリエーテを愛し始めた。生まれたばかりのしわくちゃな顔のどこが可愛いのかヘルメースには理解できなかった。


 アリエーテは日々成長して、ヘルメースのまねごとを始めた。


 いつも後ろを着いてくる幼い妹が煩わしかったが、アリエーテはおとなしく素直な子だった。


「用事があるの」と言えば、素直にヘルメースから離れていく。


 両親は幼いアリエーテばかりを可愛がり、レディーになるための家庭教師も付けて、アリエーテに手をかけていた。


 既に社交界でビューも終えていたヘルメースは、友人のお茶会に良く出かけていた。家にいてもアリエーテが、甘えてきて煩わしかった。


 アリエーテは美しい顔立ちをしていた。青い瞳も魅力的だった。ヘルメースの瞳は、黒色の瞳をしている。


 魔族らしい顔立ちとも言える。魔族の中でも、アリエーテの美貌は幼くても際だって目立っていた。珍しい青い瞳も人の目を引いた。


 どんなに美しくても人見知りで、男性から声をかけられると、途端に逃げ腰になるところを見て、ヘルメースは将来、ろくな婚約者も現れないし結婚もできないだろうと思っていた。


 ヘルメースに魔王になるお方から縁談の話が来たとき、両親はやっとヘルメースを見たような気がした。ヘルメースが32歳の頃だ。アリエーテは12歳になっていた。


 アリエーテはヘルメースの婚約の話に夢中になり、羨ましがった。アリエーテも年頃になり姉の結婚の話に、自分も結婚をしたくなっていたようだ。


 まだ幼いアリエーテにはできない結婚をヘルメースは、当然承諾した。


 パーティーが頻繁に開かれるようになった。そこでアリエーテは一目惚れをしたようだった。けれど、内気な性格のアリエーテに声をかけることはできないだろう。


 ヘルメースはそんなアリエーテを、初めて可愛いと思った。


 実らない恋をしているアリエーテが、積極的に舞踏会に出るようになった。


 結婚と同時に婚約者は魔王になり、ヘルメースは正式に魔王の王妃になった。


 魔界の英雄と結婚して、永遠の命を手に入れた。


 これ以上の幸福はないと思った。


 そんなとき、アリエーテは恋い焦がれていた男性に求婚されたようだ。アリエーテの13歳の誕生日だったという。1年近くも片思いをした相手だという。


 よく見ると、魔王の弟ではないか。


 結婚しても姉妹で過ごさなくてはならないようだ。


 少し面倒に思ったが、赤の他人だと、それはそれで付き合いは面倒になるだろう。アリエーテなら、従順だし素直だ。むしろ都合がいいと思い始めた。


 アリエーテが16歳の誕生日を迎えたら結婚式を挙げる約束をしたようだ。


 両親はアリエーテに、しっかり教育を受けさせようとしていた。そんなとき、突然の妹の訃報が飛び込んできた。


 魔王の弟、レオンは落胆していた。


 夫とレオンは、双子の兄弟だった。どちらも魔力が強く、レオンが魔王の座を夫に譲ったのを結婚してから聞かされた。


 ヘルメースはアリエーテが死んでも、それほどショックを受けなかった。両親は悲しんでいたが、ヘルメースは涙も出ないほど、気にもならなかった。


 いつも後ろを追いかけてきた妹が、いなくなった……ただそれだけの気持ちしか持たなかった。


 レオンはアリエーテの魂を探しに旅に出るようになったが、どうしてそれほど、アリエーテに拘るのか、理解ができなかった。


 確かに美しい容姿に、心にも穢れ一つ見当たらない。魔族としては珍しいほど、綺麗な心を持っていたが……。


 アリエーテの死に涙さえ浮かばなかった罰なのか、ヘルメースは、一人目を出産すると、それ以来妊娠をしなくなった。


 夫が透視すると、子宮に腫瘍のような物があると言う。それは長い年月でだんだん大きくなり、まるで臨月の妊婦のような大きさまでになった。


 永遠の命を授けられていなければ、きっと死んでいるだろうと、夫は言った。


 子供のできない王妃は、必要ないとまで言われ、その度に夫に支えられてきた。


 アリエーテが死んで1000年目に、やっとレオンがアリエーテを連れてきた。


 面会の時、懐かしさは感じた。


 レオンに、これほど愛されているアリエーテを羨ましくなったほどだ。


 ヘルメースも夫に愛されていると自覚があるが、ヘルメースのお腹がはち切れそうなほど大きくなると、夫婦生活も変わってきた。


 夫はヘルメースを抱かなくなった。それが寂しかった。


 お腹が破裂してしまっても、最後まで仲の良い夫婦でいたかった。


 思いがけずアリエーテに治癒魔法が使えることを知り、毎日、アリエーテに治癒の魔法をかけてもらったら、お腹の膨らみは徐々に小さくなっていった。


 もう少し続けてもらえたら、完治したかもしれないのに、アリエーテは妊娠してしまった。


 望んでもヘルメースには、妊娠できないのに、結婚してそんなに時間もかからないうちに妊娠してしまうなんて、思ってもみなかった。


 妊娠しても治療をしてくれれば、お腹の腫瘍もよくなるだろうに、レオンは、アリエーテに治癒魔法をさせることを禁じた。


 そうして、またお腹の腫瘍は少しずつ大きくなっていく。


 どうして上手くいかないのだろう?


 アリエーテに治癒魔法をしてもらえば、治るはずなのに、魔王の妻の方が重要ではないのか?と苛立ちが収まらない。


 魔術で部屋の壁を破壊したら、背後から魔王、オルビスが抱きしめてきた。



「ヘルメース、まだ気が収まらないか?」


「オルビス、私も赤ちゃんが欲しいの」


「ネメシスを産んだであろう?」


「ネメシスでは駄目よ。魔力が弱いもの。オルビスより強い魔力を持った子を産めと言われているのよ」


「ストレスになっているのだな?」


「ストレスよ。こんなお腹じゃ、子供は授からない」


「では、隠居をするか?私とレオンは魔力が同じで、双子の兄弟だ。どちらが魔王になってもおかしくはなかった。レオンが身を引いたから、私がなっただけだ。アリエーテはまだ若い。たった16歳だ。これから幾らでもレオンとの子供は授かるだろう」


「嫌よ。私が王妃よ。オルビスが魔王よ」



 ヘルメースはオルビスにしがみついて、そして頽れるように床に座りこんだ。


 オルビスは壊された部屋を魔術で修復していく。



「ヘルメースは魔王の私しか興味がないのか?」


「……そんなことはないわ」


「1000年も魔王と王妃をしてきたんだ。そろそろ隠居をしてもいいだろう?」


「嫌よ」



 オルビスはヘルメースを抱き上げると、部屋を出て行く。

 寝室のベッドに寝かせて、額にキスをすると、オルビスはヘルメースを残して、部屋を出て行こうとした。



「オルビス一緒に眠ってはくれないの?」


「まだ仕事が残っている。それを片付けたら戻ってくる。先に休んでいなさい」



 オルビスは寝室から出て行った。


 ヘルメースはお腹を抱えて、泣いた。



「治療をして、アリエーテ」



 アリエーテの赤ちゃんが死んでしまってもいいから、治して欲しい。


 最悪、アリエーテが死んでしまっても、お腹の腫瘍が治るなら、アリエーテの命などいらないと思った。


 ヘルメースは自分さえ良ければ、それで良かった。


 妹の事は、自分の付属品だと思っている。


 付属品などいらない。両親からの愛情を奪っていった妹は嫌いだった。



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