第127話 オペラ鑑賞③~sideエディアルド~

 開演時間とされる夕方の六時が来ても、劇がはじまる様子はなかった。

 五分や十分の遅れなどよくあることなのだろう。文句を言う客は一人もいない。

 クラリスは劇のあらすじや、キャストの紹介が書かれたパンフレットを見ながら口を開いた。


「この舞台は二本立てなのですね。最初の話は『キアラ』次の話が『許された恋』ですね」

「キアラは、歴史書にも登場する稀代なる悪女、キアラ=ユスティを主役にした話だな」


 小説の外伝の設定にも書かれていたし、学園の図書室にあった歴史書にも書かれていたが、ユスティ帝国の後宮は代々、熾烈な後継者争いが繰り広げられていた。


 その中でも一番残酷だったのは、先々代のユスティ帝国皇帝の第二皇妃、キアラ=ユスティだ。


 幼い頃から野心家だった彼女は、邪魔な人間を悉く排除し、我が子を皇太子の第一候補にのし上げた。彼女に関わった犠牲者は千人以上にものぼるという、魔族も真っ青な所業をやってみせた悪女だ。

 しかし結局、キアラの悪事は白日の下にさらされ、皇妃という身分でありながら彼女は処刑されることになる。


 その時、会場の灯りが徐々に暗くなっていった。

 ああ、開演みたいだな。



 荘厳なオーケストラの音が響き渡り、舞台の中心がライトアップされる。

 褐色の肌、黄金の波打つ髪、そして紅い瞳の色をした女優が登場する……実際のキアラは紅い瞳ではなかったようだが、悪女感を出すために、瞳の色を魔術で一時的に変えているようだ。

 オーケストラの曲に合わせ、女優が歌を歌い出す。

 どこか無邪気な弾むような口調。恐らく二十代後半の女優だろうが、この時ばかりは彼女があどけない少女のように見えるから不思議だ。


 私の名はキアラ。

 人は、私のことを稀代なる悪女と呼ぶわ。

 でも私は何が悪いのか分からないの。

 だって私は、邪魔な人間をいなかったことにしただけ。

 私の可愛い皇子を皇帝にする為に、

 邪魔なものを片付けただけなの!


 暗転



 次に登場したのは幼い少女。

 瞳の色は紅く、その少女が幼い頃のキアラであることが分かる。この頃から彼女は姉のドレスや、友人、そして婚約者である皇太子まで欲しがった。


「ああ、お姉様。ごめんなさい。私が殿下を好きになったばかりに」

「イアラ、許してくれ。自分の心に嘘はつけない」


 皇太子は婚約者であったキアラの姉、イアラに婚約破棄を言い渡す。

 ごめんなさい……と言いながらキアラの顔は、勝ち誇った顔だ。

 

「イアラ、お前は姉なんだから我慢しなさい」


 愛らしい容貌のキアラを溺愛した両親は、キアラに全てを与えた。キアラの姉、イアラは地味な容姿だった為、両親からは蔑ろにされていた。


 ……クラリスは拳をぎゅっと胸の前で握りしめる。きっとキアラの姉に共感しているのだろうな。

 まさかキアラ姉、イアラの生い立ちが、クラリスの生い立ちと重なるとは思わなかったな。

 小説にも歴史書にも、キアラの幼少時代のことまでは書かれていなかったし、イアラのことも触れられていなかったからな。

 

 キアラの姉は皇太子に婚約破棄を言い渡された。婚約破棄をされた女性は、なかなか嫁ぎ先が見つからず、キアラの姉は結局、遠方の国にある大富豪の元へ嫁ぐことになる。


「こんな地味でみっともない娘は、出来るだけ遠くにやらないと……」

「そうよ、私たちの娘はキアラだけ」


 両親はイアラが目の前にいるのに、そんなことを平然と言う。

 クラリスの両親みたいな人間が、あの時代にもいたんだな。腹立たしいことだ。

 しかし、けむたい娘を遠くにやってしまったことで、この両親は一縷の望みの一縷ですら失うことになる。


 皇太子が皇帝となり、望みどおり皇妃となったキアラは、皇帝が遠征に出ている間、我が子を皇帝にする為に、第一皇妃の息子、第三皇妃の息子を毒殺、その関係者も呪術師に依頼し、次々と始末をした。時にはキアラ自ら、生まれたばかりの赤子を井戸に捨てるシーンはぞっとするものがあった。


 さらに皇妃以外の皇帝の落胤、育ての親や、護衛、皇子らしき人物を匿っていた家族を、村ごと焼き払ったこともあった。

 そうして悪事をくりかえしていく内に、気づいたら千人あまりもの人間を殺していた。

 だが、キアラが生んだ皇子は、身体が弱かった。

 母親が別の男との逢瀬を楽しんでいる間に、心臓発作で苦しんで亡くなることになる。

 息子が息を引き取ったことが信じられないキアラ。

 皇帝が遠征から戻った時、後宮に残っていた皇妃はキアラだけになっていた。


「陛下、お帰りなさいませ。陛下が不在の間、我が国は度重なる不幸に見舞われ、王子も我が子だけとなりました」

「な……なにを……」


 キアラは息子の亡骸を抱きながら、皇帝に訴える。

 まだ息子は死んでいないと訴えるキアラ。


 遠征から戻って来た皇帝は、後宮にキアラとその取り巻きしかのこっていないという現実に愕然とする。そしてもはや骸となった我が子を皇太子にするよう鬼の形相で迫るキアラに恐れを抱く。

 やがて皇帝が指揮する捜査により、キアラの悪事が次々と暴かれる。

 皇子の死が全てキアラと繋がっている事を知った皇帝は絶叫した。

 

「ああああ、あの時婚約破棄などしなかったら……イアラはキアラのような華やかさはなかった。しかし! 美しく賢い女性だった。余は、何の落ち度もない女性を婚約破棄に追い込み、その美しさと愛らしさに惑わされ悪魔と婚約してしまったのだ!!」


 ――うん、女を見る目がなかったな、皇帝。

 キアラの姉、イアラは確かに地味だったが美しい女性ではあった。だから砂漠の国の大富豪に見そめられたのだ。

 砂漠の大富豪と聞いてキアラは勝手に太った年寄りをイメージしていたらしいが、実際は、誰もが羨む美貌の青年だったという。イアラは優しい伴侶に恵まれ、多くの子宝にも恵まれ、生涯幸せに暮らしたのだという。


 結局千人もの人間を死に追いやったキアラは、国民たちの憎悪の眼差しを一身にうけながら、斬首刑に処された。

 悪女を育てた罪として、両親も死刑宣告が言い渡される。両親は遠くに嫁いだ長女に、嫁ぎ先の財力と権力を使い自分たちを助けて欲しいという内容の手紙を送ったらしいが、嫁ぎ先があまりにも遠かった為に、イアラの元に手紙が着いた頃には両親は処刑された後だったという。


「……まぁ、手紙が間に合っても助けなかったけど」


 イアラはそう呟いてから、手紙を炎の魔術で燃やしてしまった。炎に照らされたイアラ役の女優は、この時、何とも言えない妖艶な笑みをたたえていた。


 閉幕。


 …………なかなか濃い話だったな。

 クラリスは「他人事とは思えない話でした……」と言って俺の肩に寄りかかる。

 

「大丈夫か? クラリス」

「あ、はい。最後姉は幸せそうだったので良かったです……きっと、私もあの姉と同じ道を歩むのでしょうね」


 どこか自嘲めいた笑みを浮かべるクラリス。

 今、彼女の両親は王城の地下牢に幽閉されている。ハーディン王国は、ユスティ帝国と違い、囚人に紙やペンを与えることはないので、クラリスの元に助命の手紙が来ることはないと思うが。

 クラリスの父親は、未だに横柄な口調で「クラリスを呼べ!」「儂を助けるように伝えろ!」と喚いているらしい――絶対伝えてやらんけどな。

 舞台が二本立てでよかった。

 次の話はハッピーエンドみたいだからな。

 

 タイトルは『許された恋』


 母上お気に入りのお話で、俺も小説版を薦められたことがあった。

 ヒロインのアリアは、俺の子守歌だったしな。

 小さい頃は何の気なしに聞いていたけれど、子守歌向きじゃなかったよな。今にして思うと。

 だけど、あのアリアは母の優しい歌声のイメージがあるんだよな。

 最初はちょっと物騒な歌詞なんだけどな。

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