モチと葵

風間 淳一

モチと葵

私は、小学校の正門横にいる地蔵。小学校設立の時、初代校長が、子供達の交通安全を祈願して、私をここに置いてくれた。私は、毎日、学校に通う子供達をここで見守っている。子供達だけでなく近所に住む人達も私の事を「ネコさん、ネコ地蔵さん」と呼んでいる。どうも、私の顔が猫に似ているかららしい。私自身で鏡を見た事ないので分からないが、みんなが言うなら、似ているのだろう。

近所の笹原さんが私に下さるお供え物を頂戴しに来る猫がいるのだが、彼女にも似ていると言われている。この猫は近所の笹原さん家族で飼われている白猫のモチ子。生まれた時からお餅の様に真っ白な色をしていたのでモチ子、笹原さん家族をはじめ、皆はモチと呼んでいる。笹原さんは私を毎日、綺麗にしてくれたり、お供え物を下さる方だ。小学校の先生方や近所の方々はそれを知っているので、モチがお供え物を食べても何も言わないのだ。笹原さんもそれを知っているので、モチが食べられる物をお供え物としている。モチはそれを知ってか知らずか毎日、私のところにやって来る憎めない私の友達だ。

不思議な話だがモチだけは私と会話が出来る。

「おはよう。今日も美味しそうだね。」

「食べ過ぎて、お腹壊すなよ!」毎日、そんなたわいない会話をしたり、私の横で昼寝をしてモチは過ごしている。


 今日も朝が来た。暖かく晴れた春の朝だ。心地よく眠れた日の目覚めは実に気持ちがいい。

そんな気持ちの良い朝のひと時を過ごしていると「おはようネコさん」とモチが来た。

本物の猫に「ネコさん」と呼ばれるのもおかしな話だが、言われ続けると、それが当たり前になり、そのうち何とも思わなくなった。

「モチ、おはよう。」モチは私に笑顔を見せ、そのまま定位置になっている笹原さんがモチに作ってくれたモチ専用クッションに座った。モチは座ったまま、舐めた足で顔を綺麗に整え始めた。これから子供達が登校してくる前に済ませる日課だ。人間なら女子が毎朝、メイクをしているのと同じだな。モチも女子だと感心した。


「おはよう」

「おはようございます」

子供達の声が聞こえ始めた。

「何人かに一人は、「ネコさん、モチおはよう」「ネコ地蔵さん、モチおはようございます」と私とモチにも挨拶をしてくれる。「モチ、おはようと言いながら、モチの頭を撫でていく子供もいる。モチは慣れているので抵抗もせず黙って座っている。たまには、笑顔を振りまいてもよさそうなものだと思うが、本人、いや本猫は全く気にしていないらしい。

今日も小学校の正門は、子供達が交わす明るい声と笑顔でいっぱいだ。私は一日の中でこの時間が一番好きだ。なぜなら毎朝のこの時間、子供達の明るい笑顔と声を短時間で沢山聞ける唯一の時間だからだ。「ひなたは今日元気ないな。凛はいつもどおり大声の挨拶だ」などなど私なりに子供達の健康チェックをする時間でもある。私は自称、子供達の健康確認係でもあると思っている。


小学校の前は、左程、広い道路ではないが、片側一車線の両面通行の為、信号機が設置されている。先生やお母さん方が、毎日、信号機の側で、事故が起きない様、黄色い旗を振りながら、子供達を見守っている。そんな中に達(たつき)と葵(あおい)の兄妹もいる。樹は青空の様に爽やかな青のランドセル。葵は、葵の好きな向日葵の様に明るく可愛い、黄色のランドセル。

今朝も昨日と変わらず、二人は手を繋いで信号が青に変わるや、走ってこちらへやって来る。青と黄色のランドセルを背中で揺らしながら。

「樹!葵!信号と車をよく見て!」「樹!葵!ゆっくり歩け!」先生や父兄さんの声にニコニコしながら「おはようございま~す。」「ネコさん、モチおはよう」と二人は手を振って、正門を入っていく。

そんな注意の声に子供の声が毎日、混ざっている。樹の同級生、学級委員の新(あらた)と紬(つむぎ)だ。二人も毎日、二人に向かって、「樹!葵!」、「樹君!葵ちゃん!危ない!歩きなさい!」と注意している。言われている二人は、ニコニコ相変わらず「は~い」のから返事。どこか憎めない笑顔の二人だ。

「しようがないなあ樹と葵は。事故にあわない様に歩かないと」と私は、彼らを正門に見送るたびに、心中、呟いている。モチも「樹と葵は危ないなあ。ネコさん、二人に注意しなよ」と私に言ってきた。私はモチとは話せるが、人間とは話せない。モチはそれを知っていて言っているのだ。私はモチに答えた。「樹と葵は確かに危ないな!どうにかして直してやりたいな!」

「そうだよね。絶対、二人は危ないよね。」モチも私も二人を心配しているのは同じだ。


 6年2組、朝の学級会では、「登下校の時、学校前の信号をしっかり守ろう!マナーを守ろう!」をテーマに話し合いをしていた。色々な意見が出たが、樹と葵の横断歩道の渡り方について、注意する様にと意見もでた。学級委員の紬から「樹君と葵ちゃんは、横断歩道を渡る時、左右をよく見ず、走ってしまうので困ります。左右をよく見て、歩いて渡って下さい。」

樹は、「だってさあ、ゆっくり歩いていたら、信号が赤になっちゃうよ。」と不満そうに意見を言った。担任の青柳先生からも「先生も樹君の横断歩道の渡り方、危ないと思うな。樹君は妹の葵さんと手を繋いであげる事は良い事だと思うけど。今日の帰りからは、左右をよく見て、歩いて渡ろうね。」と注意された。樹は「は~い」と苦笑いしながら答えた。


 その日の下校から樹と葵は、ニコニコと照れ笑いをしながら、しっかりと歩いて、横断歩道を渡る様になった。樹と葵も青柳先生に注意され、効き目が出た様だ。また、二人には伝えていないが、二人の両親に、青柳先生から、この件について、連絡をいれ、注意を促したそうだ。モチも「樹と葵は信号を歩いて渡る様になったね。」と言いながらニコニコしていた。樹と葵も信号をしっかり守り、二人は手を繋いで横断歩道を渡っている。


モチも私も、いつもどおりの毎日を送っている。子供達も夏休みが終わり2学期も2か月が過ぎ、暑さが和らぎ過ごしやすくなった頃。

モチも相変わらず「暇だなあ、眠いなあ、ネコさん面白い話ないのお?」と言いながら私の横でゴロゴロしている。そんな中、眠そうな声でモチが言った。「最近さあ、樹と葵は、また横断歩道を走る様になってきたね。危ないよね?」

私もモチと同様に樹と葵の二人が横断歩道を走りながら渡る様になり、危ないと思っていた。「確かに二人は危ないな。注意されてからは歩いていたんだが、こんな事じゃいけないな。」

モチも更に追い打ちをかける様に「そうだよね、危ないよね。」とモチにしては珍しく心配そうな顔をしている。私はモチの顔つきを見ながら、内心、何もなければいいな、樹と葵も歩いて渡る様にしないとなと思っていた。


秋も深まり、軽い上着が必要になってきた日のある日。今日も登校の時間がやって来た。

「ネコさん、モチ、おはよう」「ネコさん、モチ、おはようございます」と子供達の声が聞こえている。何気ない、いつもの光景だ。

 それはいきなりの事だった。

いつもどおり私の横でゴロンとしていたモチが「シャーッ!」と声を逆なで、見た事のない怒り顔で尻尾を真上にあげ、道路に飛び出した。

青信号の横断歩道に向かって飛び出したモチの先には、手を繋いで横断歩道を走り始める樹と葵がいた。そのすぐ横には信号無視をして二人に向かうトラックの姿が見えた。モチは手を繋ぐ二人のうち樹の胸に向かって思い切りジャンプし樹を突き飛ばした。それはモチの持っている最大の力を使ったジャンプだった。不意に突き飛ばされた樹は勢いよく、私とは反対の歩道に転がっていった。と同時にキキッー!というトラックのブレーキ音とドン!という鈍い音がした。横断歩道の周りから「キャー」「いや!」「どうした!」「「事故だ!」と悲鳴と怒号が混ざり合った騒ぎとなった。

 青柳先生の「樹!大丈夫か!」の声で樹は目を覚ました。樹はモチに突き飛ばされて転んだ時、頭を地面に打ち、軽い脳震盪を起こした様だった。ボーッとしていたが、青柳先生の声で、意識がしっかりした樹だったが、はじめ何が起きたのかわからなかった。

「先生、何があったんですか?」

「何かあったじゃない!もう少しでトラックにひかれるところだったんだぞ!」ようやく樹は事態を飲み込み始めた。樹はハッ!と気づいた。「葵は?先生、葵は?」手を繋いでいたはずの葵の事が心配になった。

先生は「葵はトラックにはねられた。今、救急車を呼んでいる。心配するな!」先生は樹を気遣い冷静を装い、葵の状況を言った。

樹は先生のもとから立ち上がり、周りを見渡した。樹の目の前には、トラックにはねられ、血だらけで横たわる葵と、葵に覆い被さるように横たわる真っ白な身体が血で真っ赤に染まるモチがいる。

「葵!」叫びながら葵に向かっていく樹。「樹、ダメだ、葵を動かすな!」葵に向かい抱き付こうとする樹を青柳先生が必死に抑え止めた。「葵は怪我をしている。動かしちゃ駄目だ!」

それでも樹は「葵!大丈夫か!葵!」と泣き叫びながらもがいていたが、青柳先生に抑えられ動けなかった。

その時、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と力のない弱い声で樹を呼ぶ葵の声が聞こえた。樹は青柳先生に抑えられながら二人で葵のそばに寄った。

「お兄ちゃん、ごめんね。はねられちゃった。今度から歩いて渡ろうね。」葵は弱弱しい声で涙を流しながら言った。そして、そのまま目を閉じて動かなくなった。それは葵の最期の言葉となった。「葵!葵!」と泣き叫ぶ樹はそのまま青柳先生の抑えられたまま、気を失った。


どれくらいの時間がたったかわからないが、樹は目を覚ました。目の前には両親の姿があった。目覚めた樹を見た母が心配顔で樹を見ながら「樹!」と樹を呼んだ。「先生を呼んでくる。」父が樹の視界から外れた。ここは、事故の後、樹が救急車で運ばれた病院の病室だ。

樹は母に「ここはどこ?どうなっているの?」と聞いた。「あなたはトラックにはねられそうになって転んだ。頭を打ったので検査の入院をしている。」と話した。それと同時に事故の目撃者の話をしてくれた。それによると樹と葵がトラックにはねられそうになった時、モチがあなたを歩道に突き飛ばし、あなたは頭を打って脳震盪を起こしたこと。モチがあなたを助けてくれたと話してくれた。

「葵は?」樹は母に聞いた。母は樹の声を聞いた瞬間、大粒の涙を流しながら言った。「葵はね。トラックにはねられて、天国に行ったの」言葉にならない涙声で必死に言葉にした。

樹は泣いた。「嘘だ!葵は生きているんだ!葵はどこにいるの!葵!」樹は必死に葵に会いたがった。しかし今は会えないと母に言われ、その時、会う事は許されなかった。

落ち着きを取り戻し樹は母に聞いた。「モチは葵を助けてくれなかったの?」

母は答えた。「モチはあなたを突き飛ばした後、すぐに葵に向かって行ったが、間に合わなかった。モチは葵を助ける為に必死に葵に向かったけどトラックは葵とモチをはねてしまったの。モチはあなたと葵を助ける為に命をかけてくれたの。だからモチは何も悪くないの。」

樹は「モチが二人を助けようとしてくれたんだね。モチは頑張ってくれたんだね。」それ以上は言葉に出来なかった。


私は無事故を祈願してここにいる地蔵でありながら、事故が起きてしまった事。葵を死なせてしまった事に責任を感じていた。「私はここに座り続けていて良いのか?」事故後、毎日、悩んでいた。そんなある日、夢を見た。

「ネコさん、ネコさん。」私を呼ぶ声がした。その声はモチと葵だった。二人は、いや一匹と一人は手をつなぎ、笑顔で私に言った。「私達は仲良く、楽しく暮らしているよ。私達は元気だから大丈夫だよ。悩まないで。これからも子供達を事故から守って。」そう言って、笑顔のまま、私の夢から消えていった。「モチ!葵!」と叫びながら、目が覚めた。目が覚めた私は、もう悩みが消えていた。モチと葵の為にも頑張ろうと心に決めた。


葵の葬儀が終り、樹も落ち着きを取り戻し、学校に通える様になった。樹は二度と横断歩道を走る事はなかった。

二月がもうすぐおわり、樹がもうすぐ小学校卒業を控えたある日の事。

小学校の正門横にいる私の横、モチ専用クッションの上にモチの石像が置かれた。それはモチが生前、そこに寝ころんでいたカタチをモチーフにした立派なものだ。モチにそっくりの真っ白な石でできている。モチが命をかけて一人の人間を助けてくれた感謝と私と一緒に交通安全を祈願してくれる様、小学校関係者や父兄さん、笹原さんが協力して石のモチをおいてくれた。それはモチにそっくりというより、モチそのものに私は見えた。私は、これからもずっとモチと一緒にいられる事に感謝した。そしてモチが亡くなってからも、笹原さんはモチが産んだ子供達と一緒に私達に会いに来てくれ、お供え物をおいてくれた。笹原さんは毎日、「モチ、ネコさん、おはよう。いつもみんなを守ってくれてありがとう。」と言ってくれた。


月日がたち、春も過ぎ暖かさが暑さに変わる頃、私はふと気が付いた。それはモチの横に二輪の花が咲いている事だ。一輪は、餅の様に真っ白でふわっとして、心、暖かそうなモチにそっくりの名も知らぬ花。そしてもう一輪は陽光に照らされ明るく、朗らかそうな黄色くかわいい向日葵の花。それは葵のお気に入りだった向日葵の黄色をしたランドセルの様だ。白と黄色、どちらの花も顔一杯の笑顔をみんなに向けている。不思議なのだが、二輪の花は、季節に関わらず、枯れる事なく、ずっとずっと、私の横で子供達に笑顔をみせ続けてくれている。私には子供達への挨拶以外に朝の日課が一つ増えた。それは「モチ、葵、おはよう」と一匹と一人と挨拶をする事。そして今日も私の横で一匹と一人は「ネコさん、おはよう」と元気に笑顔を見せてくれている。                                                                                                    

                                END

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