妻は緑内障を煩わせた

さいとう みさき

~ もしも、でも…… ~


 「緑内障ですね」


 「はい?」



 付き添いで眼科に来ていた私に医師はそう言う。

 隣で診察を受けていた妻はそれを聞いてビクッとする。


 「あの、それって目が見えなくなるって言う……」


 「すぐに悪化するわけじゃぁありませんから、とりあえず眼圧を下げるようにしないとだめですね」


 横にいる妻はぎゅっと私の手を握る。

 

 もともと目が悪い方で、かける眼鏡だって牛乳瓶の底ではないかって程の度が強かった。

 車の運転だって眼鏡をかけてもギリギリの視力。

 子供を産んでから更にその視力は悪くなっていた。



 妻は目が悪い。



 それは子供の頃からだった。

 義父や義母は今でも目が良い。

 だから遺伝では無いのかもしれない。

 

 医師から緑内障についていろいろと説明を受けるも、隣にいる妻は相当ショックだったようで一言もしゃべらない。

 ただ私の手を掴んでいるだけだった。



 * * *



 「さてと、これからなんだが……」


 「私、目が見えなくなっちゃうのかな? もう駄目なのかな?? もう自殺するしかないかな!?」



 既に人の話が聞こえていない。

 妻は前から言っていた。

 目が見えなくなったら自殺するとか。


 速攻でチョップを入れて落ち着かせる。



 「痛いっ! 虐待だぁッ! 家庭内暴力だぁッ!!」



 「いいから落ち着け。ちゃんと医者の話聞いてたか?」


 「緑内障で目が見えなくなるって言ってた!」


 「端折るなバカ者! 落ち着け、すぐに見えなくなるって事じゃぁ無いんだよ! いいか、まずは眼圧を下げるんだ。眼球が楕円化してさらに悪化してくると重症化する。だからまずはスマホ見るのやめろ、目をいたわれ、疲れたら本読むのやめろ!」


 「それは私に死ねと言っているも同義語よ! スマホ見れない、読書できない、死ねって言われてるも同然よ!!」



 八つ当たり半分入っているのだろう、何時もより当社比五十パーセントは怒りが強い。

 しかし、緑内障認定されたからと言ってちゃんと注意すればその進行は遅らせる事が出来ると医師は言う。



 私は片手をあげ、妻にマテをする。


 

 気が動転していると悪い方向へと考えが巡って行き、最悪また鬱病が発症してしまう。

 足元の飼い犬が私の仕草にマテをする。


 短い尻尾を振っているのがかわいらしい。



 ぢゃ、無くて……



 「いいから待て、これからは処方された目薬をちゃんとさすんだ。それで眼圧を下げて悪化を遅らせる。そして目が疲れたと思ったら必ず休む事。まずは目に対する負荷を減らすんだ」


 「眼球が楕円になるのを阻止すればいいのね? だったら瞳を閉じて押せばいいじゃない!」


 「やめんかぼけぇ! なに物理的に無茶しようとしてんだよ!? それ逆、瞳押したら水晶体に圧がかかって逆に悪いの!!」



 はーはーはー。



 どうも妻は気が動転している様だ。

 いつもより無茶ぶりが増している。



 「でも、面白い動画とか本とか見始めたら止められないよ……」


 「動画では無く音楽聞くとか、リラクゼーションでマッサージとか……」


 「イメージビデオの音楽が好きなんだけどなぁ~。それとマッサージはあんたにやらせると他の所揉み始めるじゃない? スケベ」




 こ、こいつわぁっ!!




 「あのなぁ、人が真面目に提案しているってのに……」


 「だって、まだ書いている投稿分だって終わってないよ……」


 「うっ、そ、それは……」



 私たちには共通の楽しみが有った。

 それはここ「カクヨム」に自分たちの作品を投稿したり、たくさんある作品を読んだりと。

 

 夫婦で同じような趣味を持つと言うのは決して悪い事では無かった。

 むしろ私自身は彼女のお陰で苦手なプロット管理やネタ、スト―リー構成など自分では不足だった事が出来たお陰で処女作もきちんと書き終わり、そして様々な作品を書き連ねて来た。

 

 それを投稿して読者の反応を見たり、コンテストに参加したり一喜一憂して二人で楽しんできた。

 

 だがそれは彼女の目に負荷がかかる事になってしまう。

 



 「そっちの事は追々考えておくさ。今はお前の目の方が大事だろう?」


 「……うん」



 そう言って妻は下を向く。

 

 明るいだけが取り柄と言ってもおかしくない彼女は動画を見たり本を読んだりするのが大好きだった。

 かなりの速読も出来て集中するとコーヒーと醤油を入れたおわんを違えて飲むと言う伝説まで作った事が有る。



 わんわん!



 足元で愛犬が吠えている。


 ずっとマテをしていた。

 私はしゃがんで頭を撫でながらおやつを上げる。



 「まだまだ人生長いんだから、目が見えなくなるよりは我慢して他にも楽しみを見つけていくしかないだろう?」


 「分かってはいるけど、どうしたらいいのよ?」



 当然の質問だろう。

 今まで出来た事が出来なくなるのだから……


 とりあえず、なるべく目を使わず疲れないようにするしかない。



 「ジャングルプライム会員になってるから、音楽は聴き放題だぞ? まずはそっちからやってみるか?」


 「ううぅ、音楽聞きながら何かするのが好きなのにぃ……」



 何かするときに二つ以上同時にするのが苦手な私と違い、彼女は「ながら」をよくする。

 たまに訳の分からない「ながら」をするときもあるけど。

 

 そう言えば先日も本を片手にヨガをやっていたっけ。

 いつの間にか足もとにいる犬と一緒にごろごろとやっていてヨガは何処行ったのかと言う状況になっていたな。



 私タブレットを取り出す。

 そして自動朗読機能を設定する。



 「これで耳で小説が聞けるようになった。読むのに比べて遅いかもしれないけど小説に触れられなくなるよりはましだろ?」


 「でも誤読とか有るし頭に入りにくいんだよねぇ~」



 言いながらスマホの画面を見る。

 それをひょいっと取り上げる。



 「あ”ーっ!」


 「だからスマホ禁止! 見るならタブレットにしろ!」


 「う”~、友達とかのSNSは?」



 口をとがらせながら文句を言ってくるが、今回はこちらも引けない。

 そうしないと際限なくスマホの画面を凝視してしまうだろうから。



 「お前さんね、本気で失明したいのか?」


 「そんな訳無いじゃん!! 見えなくなったら、この後の人生だってどれだけ厳しくなちゃうかわかんないよ!!」



 涙目になってそう言う。

 分かってはいるけど、一番きついのは当人だろう。


 イラついている彼女を引き寄せる。

 そしてぐっと抱きしめる。



 「とにかく落ち着け、私がいる。鬱の時もそうだったけど、あの引きこもりの時もそうだったけど、またバイクに載せて必ず連れ出してやる! あの時みたいに!!」


 「……うん。わかってる。でも一番に嫌なのはあんたの顔見れなくなること」



 思わず驚いて彼女の顔を見る。

 するとしまったというような顔をして視線を逸らす。



 「やっぱ今の無し。もう、ほんと、ずるいんだから……」



 少し顔を赤くしてそっぽを向く。

 


 分かっている。

 これからもずっとこいつと一緒に居るのだから。



 「大丈夫、ずっとそばにいるからな」


 「……うん、ありがと。あ、でも見えなくなったら介護お願いね?」


 「そん時はそん時だ。そうだ、ブルーベリージャム作って、それからシジミ汁作って……」


 私は目によさそうな食事も作ろうと考える。

 しかしそんな私に彼女はぎゅっと手を握って言う。


 「取り合えずこめかみの所を按摩して~。それから腰と足裏も~」


 「おいっ#」


 また頭にチョップを入れようとしてやめる。

 殴られると思って身構えた彼女はいつ来るとも分からない私の攻撃にしばし準備していたがいつまでたっても来ない攻撃に目を見開く。



 よしっ!



 目を見開いたらそのまま口づけしてやる。



 ちゅっ♡



 「なっ!?」



 「今度から言う事聞かなかったらキスしまくるからな?」

 

 「なななな、何言ってんのよ!? いい歳こいていきなりキスするなぁっ!」


 ぽかぽかと殴られるけど何時もより痛くない。

 


 わんわんわんっ!



 足元で飼い犬が吠えている。


 



 妻は緑内障を煩わせた。

  



   

 何時か本当に見えなくなってしまうかもしれない。

 でも、それでもずっと一緒に私がいる。







 夫婦だからね。 

 

  

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