美少女揃いのシェアハウスにはオタクな秘密が多すぎる。

ロザリオ

第一章 選書会編

プロローグ

1話 あの子の秘密がヤバすぎる

鳥羽とばくん、おはよー!」


 ペタペタとリノリウムの床を叩く足音だけが響いていた早朝の廊下に、自分の名前を呼ぶ小鳥のさえずりのような可愛らしい声がよく響いた。


 反射的に振り返ってみると、茶髪のポニーテールと制服のプリーツスカートをリズム良く揺らしながら駆け寄ってくる女の子の姿がある。

 遠目にも美人と分かる容姿に恵まれた彼女、錦織さんはクラスで男連中からお姫様扱いされている人気者だ。


 そんな女子と特別親しくするような縁は無いはずなのだが、どうやら俺の名前が呼ばれたのは勘違いじゃないらしい。

 錦織さんは遂に俺と肩を並べると、軽く息を整え、誰もいないはずの廊下で内緒話を切り出すように小さく口を開いた。

 

「鳥羽くんに聞きたいことあるんだけど。今ちょっといい?」

「……うん」


 俺が戸惑い混じりに頷くと、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて、周囲を気に掛けるように視線をチラチラと彷徨さまよわせる。


 走ってきたせいで肩からずり落ちそうになったスクールバッグを駆け直したり、乱れたスカートの裾を弄ったり、彼女の細く小さな指先は所在なさげにもじもじと動いている。


 高校2年生の春のこの日。遂にこの瞬間が俺にも来たのか。

 早朝の学校、高校生の男女が廊下でふたりきり。

 あまりにもベタすぎるシチュエーションだ。


 長いまつげの向こう側から覗く彼女の大きな瞳は恥じらいか、それとも緊張か、微かに潤んでいる。

 息を整えようと上下を繰り返しているその豊かな胸の中には、いま期待と不安がいっぱいに詰まっているのだろう。


 じんわりと火照り始めた手をぎゅっと握って向かい合う。

 その桜色の艶やかな唇から今にも紡がれるはずの言葉を一言一句聞き逃すまいと息を殺してその時を待つ。

 

「……古代ローマの五賢帝って誰だっけ?」

「へぇ?」

 

 目の前の光景と耳に流れてきた音声が全く一致せず、思わず素っ頓狂な声を出したまま俺はフリーズした。

 なんだろう、それって世界史の問題ですよね?


 想定していた熱い展開と現実との温度差がありすぎてもはや風邪を引くレベルの寒気が走る。

 完全に沈黙していると、彼女は愛嬌たっぷりな顔で覗き込むように首を傾げてきた。


「おーい鳥羽くーん?」

「あ、はい……なんでしょう」

「だーかーら! 世界史の問題だって。ローマの五賢帝の名前おしえてよ?」


 しっかりきっちり言い直されて、あわよくば聞き間違いであれという淡い期待をも木っ端微塵に打ち砕かれた。

 認めよ、鳥羽とば快斗かいと

 錦織さんは俺に気が合ったわけではなく、世界史の問題の答えを教えてもらうために俺に声をかけたのだ。

 つまり今日も俺の高校生活スクールライフは平常運転だ。


 何度も繰り返されてきたに今こそ終止符を打つべく、俺は軽く溜め息を交えながら答えた。


「それ今日の宿題の答えだよね。スマホで調べたらすぐに分かるんじゃない?」

「だってググルよりChat TKTとばかいとに聞いた方が楽だし」

「なんだその絶妙に頭悪いあだ名。また増えてんのかよ……」


【これまでに獲得したあだ名】

 知識オタク

 冴えないクイズ王

 二本足の百科辞典

 鳥羽ペディア

 Chat TKT(←New)


 テストの成績が良くて、広く浅く雑学を知っていて、問題を出せば何でも即答する男子。

 そんな認知がいつしか広まった結果、俺はこんな絶妙にイケてない二つ名ばかりをコレクションし続ける高校生活を送っているのだ。


 おお神よ。来世はどうか普通の高校生に生まれ変わらせてください(ただしイケメンに限る)。


「ねーお願い。堅いこと言わないで教えてよー?」


 正論で返す隙を与えないどころか、伝家の宝刀たるプク顔で確実に男子の急所を突いてくる。

 自他ともに認める優れた容姿を持つ女子はこれだから恐ろしい。


 その恐ろしさに負けたから、といわけでは決してないが、今回も前例に漏れず、俺は錦織さんの成績の糧として下ることになった。


「ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌス……じゃないかな。知らんけど」

「知らんけどってなにそれウケる。やっぱり物知りの鳥羽くんに聞いてよかったよー」

「……お役に立ててなによりです」

「うんうん本当にありがと。じゃ、私ちょっと行くとこあるから、また教室でー」


 情けは人のなんとやらという諺を疑いたくなる程のあっさりした幕引きで、錦織さんは俺を追い抜かして進んでいく。

 それでも流石はクラスの姫たる錦織さんといったところだろうか、去り際の営業スマイルを振り撒くことを忘れない。

 駆け足で前に進みながらも俺に向かって手を振っている。


 リピーターを沼らせるための営業努力にはまったく感服するが、それでも廊下は走っちゃいけない。せめて前見て走ろうな?


 ――なんて、冗談半分に忠告しようと思った矢先だった。

 

「きゃっ⁉」


 曲がり角に差し掛かった彼女が短い悲鳴を上げて尻もちをつく形で派手に転んだ。

 どうやら死角から不意に生徒が現れたらしく、もうひとりの女子高生も廊下に手と膝を突く格好で座り込んでいる。

 ぶつかった拍子にふたりのカバンの中身は盛大にぶちまけられ、廊下はおもちゃで散らかった子供部屋のように小物が散乱してしまっていた。

 

 だがそんなことよりも、そのぶつかった相手が悪すぎた。


「ったく、痛いんだけど……」


 その相手は勿体ぶるようにゆっくりと立ち上がり、乱れてシワのついたプリーツスカートをこれ見よがしに整えはじめる。


 襟のボタンを外し、ゆるっと崩したリボン。

 豊かに膨らんだブラウスの胸元からは滑らかな鎖骨が覗き、否が応でも視線を吸い寄せられる。

 チェック柄のプリーツスカートは、陶器のように白い膝頭を隠し切れていない程度に詰められ、そこから発育の良さを見せつける肉付きのよい瑞々しい素足がすらりと伸びている。


 整った顔立ち。均整の取れたプロポーション。

 先のクラスメイトも男子の人気投票の中では5本の指に入る逸材だが、彼女は「容姿だけで言えば」他の追随を許さない圧倒的な美貌の持ち主だ。

 まさに容姿端麗を具現化してみせる彼女の名は、恋愛に縁のない俺でも知っている。


 ――河原かわら万智まち

 通称、《陽キャの女帝》と呼ばれる学年一の有名人だ。


「あーあ、こんなに散らばっちゃった」

「ごめんなさい! すぐ拾います!!」


 さっきまで笑顔を振り撒いていた彼女は、真っ青な顔で平謝りすると、すぐさま散らばった道具を拾い始める。

 それだけ必死になるのも当然だ。


 なにせ彼女は《美人だけど怒らせたらヤバイ女王様》と言われている。

 嘘か本当か定かじゃないが、河原にちょっかいをかけた男子が翌日ボコボコになって登校してきた……なんて噂も聞いたことがある。

 いつもスポーツ推薦の高身長イケメンを侍らせて歩いているし、強ち作り話とも言い切れない。


「俺も手伝います!」


 俺も一声あげて彼女の荷物拾いに参加する。

 当事者じゃないといっても、ここで棒立ちしていたら「近くにいたのに手伝わなかった」という理由で噂の彼氏にボコされる可能性だってあるのだ。


 まずは手近な場所に落ちていた教科書を拾う。

 するとその下に1冊の文庫本が落ちているのが目に入った。

 

「これって?」


 何となく手に取ったそれ。

 ブックカバーが付けられていないその本は、ただの文庫本ではなかった。

 ネタバレしてるだろ、とツッコミたくなるような長文タイトルに、表紙には煽情的なドレスを着ている女の子のイラスト。


 要するに超典型的な「ライトノベル」というやつだ。


「あんたそれ……」


 気が付くと、河原万智が嫌悪に満ちた目を本に向けていた。

 この目を俺は知っている。

 陽キャたちが日陰者を「オタク」と罵るときに向ける目だ。


 この進学校で「ライトノベルを読んでいる」と知られること、すなわち「二次元オタク」だと認定されることはスクールカーストのどん底への転落を意味する。


 進学校だからこそ勉強が得意な生徒は周囲から一目置かれるが、その一方でオタクに対する蔑視や偏見はかなりのものだ。

 スポーツ推薦で入学した生徒ならともかく、並の偏差値の生徒が「オタクバレ」した暁には、市民権ごと身ぐるみを剥がされる。


「鳥羽くん……」


 俺の陰に隠れるように立つ彼女が、震え混じりの声で名前を呼ぶ。

 視線を足元に落とせば彼女の足は微かに震えていた。


 その反応で俺は彼女の事情を十分に理解した。

 きっとこのライトノベルは彼女の持ち物なのだ。

 そして今、陽キャの女帝にその事実を知られてしまった。

 このままだと、これから彼女はカースト底辺で生きていくことになってしまう。



 ――けれど、俺なら彼女を救うことができる。


 客観的な事実として俺は学年の中でも成績上位。

 この進学校での俺の偏差値を考えれば、「ちょっとオタクの趣味がある」と知られても今のカーストが揺るぐことはない無い。

 

 そう確信した時には手と口が同時に動きだしていた。


「これ、俺の本なんでっ‼」

「は……?」


 瞬間、河原万智の瞳が驚くほど大きく見開かれる。

 その反応だけでもめっちゃ怖い。怖すぎる。

 だが俺は屈しない!

 俺が盾となって彼女とこの本の尊厳を守りきる!


「なにバカみたいに必死になってんの。あんたオタクなの?」

「……いや、そういうわけじゃないけど」

「オタ絵の本をめっちゃ大事そうに抱えてるくせに? ウケる」


 意気込んだはいいものの、想像以上に言葉のナイフの切れ味が良すぎてメンタルがグサグサやられている。


 いくら顔が可愛くて、スタイルが良くて、リア充で友達が多いから……って、天は特定の人間に三物を与えすぎじゃないですかね?

 美人だから何でも許されるわけじゃないぞ?

 そうですよね神様!?


「何か言いたいことあるの?」


 俺が心の中でしか抗議できない一方で、河原はあおるようにめつけてくる。

 こういう時は黙ってやり過ごすのが一番。

 それが賢い立ち回りだと分かっている。


 だというのに、俺は一言物申さないと気が済みそうになかった。

 言ってやる。

 クールかつスマートにさらっと反論してやる!


「偏見でどうこう言うのはやめた方がいいと思うぞ」

「急に何? こわいんだけど」


 河原の口元が秒で引きつった。

 美人の苦笑いって破壊力が凄まじいのな。

 だが、口火を切ってしまったのだからここで引くわけにはいかない。


「これは普通の小説だし、俺も普通の高校生だ。知りもせずに馬鹿にするんじゃねぇよ」

「あ、そう」


 見る見るうちに河原がドン引きしていた。

 ダメだこれ以上は続けられない。

 もう5月も中旬だというのに体感温度がめちゃくちゃ低い。


 しかし、俺の惨めな抵抗の甲斐はあったらしい。

 河原は険しかった表情を少し和らげると、肩をすくめてため息を吐く。


「なんかもういいや。次からは気をつけてよね。あと、あんたの顔は覚えたから」


 それきり河原は荷物を手早く鞄にしまうと颯爽と廊下の奥へと歩いて行った。

 さらっと恐ろしいことを言われた気がするが、聞かなかったことにしよう……。


 とにかくよかった。なんとか最悪の事態は防げたはずだ。

 胸を撫で下ろしつつ、俺は身をていして守りぬいたライトノベルを彼女に差し出した。


「はい、この本返すね」

「わたしの本じゃないんだけど」

「……へ?」


 衝撃のカミングアウト。

 驚きすぎて他に何の言葉も出てこない。

 この本は彼女と河原がぶつかった時に落ちたもののはずだ。

 なのに、それが彼女の持ち物じゃないということは……?


「鳥羽くん、これって噂の『オタク狩り』じゃないかな」

「オタク狩り?」

「最近、急にオタク認定されて不登校になった子がいるって聞いたことない?」

「そんな話も聞いたことある、かも」

「だからこれって、河原さんがこのライトノベル?を私たちに押し付けようとしてたんじゃないかな。『オタク狩り』のターゲットとして……」


 彼女はそこで言葉を詰まらせたあと、申し訳なさそうな目をして再び口を開いた。


「なんかごめんね?」

「えっと、なんで俺に謝る?」


 感謝されることはあっても謝ってもらう必要はない。

 俺は彼女をかばって『オタク狩り』から守ったのだ。

 ……あれ、待てよ。

 俺が彼女をかばった。ということは。


「私の代わりに鳥羽くんが『オタク狩り』のターゲットになっちゃったよね。なんかごめんね?」

「ああああああぁ‼ そういうことかあああぁッ‼」


 つまり、俺は勝手な勘違いで河原の仕掛けた地雷をガンガン踏んでいたわけだ。

 我ながら惨めすぎる。


「えっと、それで、わたし急いでるからその本は鳥羽くんに任せていいかな?」

「え……あ、はい」

「ありがと! じゃあまた教室でね~」


 事態を飲み込み切れていない俺を放ってけぼりにして、彼女はけろっとした態度で早々に立ち去っていった。

 廊下には茫然ぼうぜんと立つひとりの男子生徒こと俺と、後始末に困るライトノベルが1冊。

 この本いったいどうすればいいんや。


 改めて本を見てみると、ページが少しれていて既に読まれた形跡がある。

 つまり、この本は本当の持ち主がどこかにいるのだろう。

 どこかに名前でも書いてあるか? 


 そう思ってページを繰ってみると、隙間から何かがさらりと抜け落ちた。


 拾い上げてみると、それは短冊型のしおりだった。

 しかも、「河原万智」と記名されている。

 明らかに絶賛読書中の使われ方だった。

 

 もしもこれが本当に「オタク狩り」だったのなら、その道具に私物のライトノベルを使うだなんて頭が悪すぎる。

 それだと逆に「自分もオタクです」とバラすようなものだからだ。


 つまりこれは本当に河原の私物である可能性が高い。

 そしてさっきの出来事はオタク狩りでもなんでもなく、俺にとっても彼女にとっても純粋なハプニングだったわけだ。


 「まじかよ……。これ河原の私物じゃん」



 こうして俺は、「オタクの天敵である陽キャの女帝が、実はライトノベルを読んでいる」という、とんでもない秘密を知ってしまった。


 ……なんて、このときの俺は自分の不運に嘆いていた。

 しかし、これがすべて河原に仕組まれた出来事だと知るのは数日後のお話。

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