05 捜査状況

 被害者は佐元和臣サゲン・カズオミ、三十歳。都内に住むベンチャー企業の経営者。

 事件現場は、イズミビルの一〇五号室。そこは佐元が代表を務める、株式会社「ラビット・ホール」の事務所でもあった。


 佐元が亡くなったのは二十一時ごろ。これは生前の被害者の足取りや、遺体発見が早期だったことから、ほぼ精確な時刻だと言えた。そして死亡する直前、佐元には性交した痕跡が確認されている。発見時に彼が下半身に衣類を身につけていなかったことも、このことを物語っている。


 犯人は被害者を馬乗りの態勢で刺したとみられる。傷は数ヵ所。犯人も返り血を浴びたろうが、被害者と同じく服を着ていなかった可能性が高い。血を洗い流した跡が事務所内の風呂場から見つかっている。また、所内にあったはずのタオルも数枚無くなっていた。タオルで血の跡を拭き取ったのだろう。タオルは持ち去られていた。

 同じく凶器からも、指紋を拭き取ろうとした痕跡が残っている。どうやら素手で持っていたようだ。完全には拭き取れず、数名分の指紋が採取されている。


 特筆すべきなのは、被害者に抵抗した様子がほとんどないこと。


 当所、被害者は意識を失っていたか、身動きがとれないよう拘束されていたと考えられていた。しかし検死の結果、そのどちらも当てはまらないことがわかった。

 佐元は、自分が殺されることがわかっていた。そして敢えて抵抗しなかったのではないか。そのような予測が立てられた。


 理由は、佐元の仕事用のデスクが整理されていたこと。

 そして第一発見者である三角奈央の存在だ。


 三角と佐元はもともと、前職で同僚だった。佐元が独立するにあたり、三角に声をかけたらしい。

 佐元とは恋人同士だったのか、と訊ねると、三角は「そんなことはありません。あくまでもビジネス・パートナーです」ときっぱり否定した。このことは、館田(タテダ)というもう一人の社員も証言している。館田は一年ほど前に入社した若い男で、佐元と三角共通の知人からの紹介だった。

 最初は館田も、佐元と三角が付き合っていると思っていたらしい。しかし二人とも否定しており、さらに三角と佐元のそれぞれ別に交際相手がいた時期もあるそうだ。


 事件当日、三角は出先から自宅へと直帰していた。しかし十九時ごろに佐元から「急ぎの話がしたい」「事務所に二十三時半に来てほしい」とメールが届いた。このメールが佐元のスマートフォンから送られたことがわかっている。

 佐元は自らの死を悟っていた。そのため、早く発見してもらおうと三角に託した。そのように考えらえる。


 滅多にない佐元から急な呼び出しに、三角は何かあったのだろうかと心配になった。それで約束の二十三時半よりも少し前に事務所を訪れたところ、遺体を発見したそうだ。

 驚いた彼女は、警察を呼ぶため一度マンション外へ出た。そこで甲矢見と遭遇した。


 なぜ建物内で連絡しなかったのか、という捜査官の問いに対し、三角は、


「ええ、たしかに、冷静に考えればそうなんですが……そのときは動転していて、なぜか外に行かなければと思い込んでいたんです。屋内だと電波が届かないかも、と考えたことを覚えています。自分では冷静なつもりでしたが、全然そんなことありませんでしたね」


 三角がこのとき、室内にとどまらなかったのは僥倖といえる。

なぜなら、推定される犯行時刻とその後の処理にかかった時間を考えると、三角が来たのと犯人が立ち去ったのはタッチの差と考えられるからだ。

 ひょっとしたら、三角が遺体を発見したときに犯人はまだ室内に隠れていた可能性が高い。そのことを示唆するのが「甲矢見捜査官が現場に到着したとき、玄関ドアが施錠されていた」ことだ。


 甲矢見が一〇五号室に到着したとき、玄関は鍵がかかっていた。三角がかけたとは考えにくく「居室に残っていた犯人が、三角が出ていき甲矢見がやってくるわずかな間に、鍵をかけて出ていった」と捉えることができる。


 マンションは、ロビーの反対側にも出入口がある。鍵のついた扉はなく、出入り自由な状態だった。もし犯人が直前まで室内にいたとしたら、そちらから出ていったのかもしれない。

 

 もし犯人が施錠したのだとしたら、疑問が二点。

「なぜ鍵をかけたのか」と「誰の鍵を使ったか」である。


 事務所内の鍵を持っているのは、社員の佐元、三角、館田の三名。ただ三名分の鍵の所在が確認されている。三角と館田が知るかぎり、スペアキーは作っていない。


 イズミビル裏口がある通りには、十メートルほどの位置にコンビニエンスストアがある。このコンビニの店員から、二十時ごろに佐元が店内を訪れたこと、そして女性を連れていたことが証言されている。


 生前の佐元の写真を見て、店員が言った。


「この人、常連さんで、よく来てくれるしなんか格好いいし、愛想よくしてくれるから、よく覚えています。いつも一人で来るのに、昨日は女の人連れてたから『あれー?』って。しかも、その、ゴムも買っていったんで、ああやっぱイケメンは彼女いるよなーって。ハイ。女の人はたぶん、ずっと外で待ってたんじゃないかなぁ。俺もずっと見てたわけじゃないけど、そうだったと思います」


 事件当夜、佐元佳臣と一緒に目撃されたこの女性が事件の最有力容疑者だ。事件後の足取りは未だつかめていない。

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