観測可能な虚構/オブザーバブル・フィクション

及川盛男

本編

「小説が一本、マンガ原作が二本、アニメ脚本が一本で……これくらいでどうだ?」

 カフェの一席。茶色のよく仕立てられたスーツを着た男は、テーブルの上にメモ用紙を置いた。向かいに座るスウェット姿の男はそれを手に取り、食い入るように見つめた。軽快なジャズが流れる店内で、その場所だけが若干の緊張に包まれている。

 やがてスウェットの男が口を開く。

「……アニメの単価、前よりも落ちたんだな」

「ああ、今期は豊作気味でな。生産調整の話すら出てるくらいだ」

 スーツの男はコーヒーカップを片手にそう言い放った。

「……この前お願いした、単価見直しの件はダメだったのか。半年前の水準に戻してもらえるだけで」

「だけで、とは言うけどな」

 かちゃん。カップが置かれると、褐色の液体が溢れんばかりに揺れる。

「そもそも、印税方式でやるのが主流のこの時代に前払いを通している時点で、かなり無理をしてるんだ。法務部からの『契約内容を正常化せよ』っていう突き上げも最近うるさい。そんな中、取引単価についてもなんとかこの水準で維持するのには、相当苦労してるってことは分かってくれよ」

 そう言い切った後、スーツの男はハッとした表情になる。

スウェットの男が頭を下げる。

「すまん、無理を言っているのは承知の上のつもりだったが、そこまでとは想像が足りていなかった。俺も別にこれで食えてないわけじゃない。まあ、パンとコーヒーくらいは買えてるさ」

「……こっちこそ言い方がキツかった。すまない。俺も、お前に恩を着せようとかそんなことを思ってるわけじゃない。学生時代からの友人として、損得勘定無しに始めただけのことだ。だけどな。公募じゃなくて直でこうしてやり取りをするのすらコンプラ的にゃ不味いし、それに属人的な取引だ、俺が異動でもしたらどうなる。その先を考えているのか?」

 そう話すスーツの袖から、高価そうな腕時計がちらりと見える。

「……その話になるのか」

 スウェットの男はため息を吐く。喉を潤すために口に含んだコーヒーが、嫌に苦く感じられた。

「何度でも言うさ。ウチに来いよ。お前の審美眼と、俺たちの採掘アルゴリズムが組み合わせればどれだけの結果が得られるか。そのときはお前も、時代に名を残すことは間違いない」

 スーツ姿の友人がそう言いきるのに十二秒が掛かった。

 男は計算した。その間にこの世では、新たに六十万本の新たな創作物が発表されている。




 始め、それは単なる最新の文章生成アルゴリズムの一つに過ぎないと思われていた。

 当時既に指定された単語などから自動で自然な文章を生成するアルゴリズムは一定の完成度を誇っていたが、あるウェブページ上の機能から生成される文章があまりにも自然にして流麗であるということは、まずSNS上で話題となった。誰が作ったのかもわからないそのページは、どこかの大学や企業の研究データ収集のための社会実験なのではないかと噂された。

 だがある日、その時代を代表する作家が奇妙なツイートをした。戯れに自分が書き終えた未発表の原稿の前半部分を当該のウェブページで読み込ませたところ、その原稿の後半部分と一言一句違わぬ文章が生成された、と言うのだ。そして同様の現象がやがて世界各地で報告され始めると、いよいよ尋常でないことが起きていることを皆が察し始めた。

 超大作映画の製作中の続編の脚本と見られる文書が吐き出されたのを受け、アメリカの配給会社が即座に史上最大規模のハッキング攻撃を受けたとの声明を出したが、その見方は直ぐに、ごく簡単な形で否定された。未だ文章にすらしていない、ただ自分が脳内で描いているだけの文章と全く同じものすらもそこから出力されるということが分かったからだ。その事実に版元らが困惑する傍ら、創作者たちは、自分の脳内をこの上なく簡単に具象化できる夢のようなツールが出来たと喜んだ。しかしその喜びは直ぐに冷めることになる。

 というのは、当初主犯と疑われた国際的なハッキング組織が、八つ当たり的な報復として当該のウェブサイトをハッキングし、そのサイトが所在するサーバ上のファイルを全世界に公開したのだ。

組織の行為を非難しながらもそのファイルを閲覧し、人々は驚愕した。そこには複雑な自然言語処理のアルゴリズムも、強化学習の形跡も、コーパスも存在しなかった。ただ、非常に高速な全文検索アルゴリズムと、一つのデータベースへのリンクのみがあったのだ。

 そして「OF」とだけ名前が付されたそのデータベースこそが、世界を決定的に変えた。

それはつまり、途方も無いほど夥しい量の文章のデータベースだった。そしてウェブサイトは単に、入力された文言を含む文章を、検索結果として表示しているだけ、と言うことが分かったのだ。論文や新聞記事のアーカイブ検索システムなどと全く同じような形で。

 データベースの大きさを調べる試みは尽く失敗に終わった。観測される事実から最低限言えることは、「少なくとも既知、あるいはその時点で新たに創造される文章の全てが格納されているようだ」ということだった。

それほどの規模のものを手動で人が作ったあるいは書き上げたなどとは当然誰も思わなかった。数多ある並行世界で生み出された虚構が滲み出した結果ではないか。地球外生命体のデータアーカイブが漏れたのではないか。密かに作り出された汎用人工知能が暴走し、多くの作業が機械化される中人間の最後の砦とされていた創作活動すらも奪おうとしているのではないか。そのような突飛な仮説を含めても有り余るほどの大きさであることだけは確かで、少なくとも、未知のアルゴリズムで作られたものだろうという点に反論はなかった。

 他方その性質的な側面については、ある種消極的な形で解明が進んでいった。ある研究チームが国立国会図書館のデータベースと照合したところ、OFにあるのは「フィクション」のみであることが分かったのだ。新聞記事、学術論文、教科書といった、現実や史実の在り方や法則を記述したものはそこには無く、全てが小説であり、脚本であり、台本だった。「ともすればそこにまだ見ぬ世界の真理が記されているのでは」と期待していた理論物理学者や数学者、その他自然科学者たちの多くはこの段階で早々にOFへの関心を失った。計算機科学者などはアルゴリズムの原理や必要な計算機資源などについて議論を交わしたが、議論を行えるほどの前提がない以上、十分に生産的な議論とはなり得なかった。

 最大の被害者は間違いなく作家たちであった。小説、原作、脚本、台本、そういった類の全て、どれだけ頭を捻っても、血と汗を振り絞っても、書き上げたものは既にデータベース上に存在しているのだ。皆が覚るまでにそう長い時間はかからなかった。

 OFには、全ての創作フィクションが存在している。我々は、その領域の外を出た作品を創ることはできない。

 そうしたセンチメンタルなものを抜きにしても、それは職業としての作家業に大きな打撃を与えた。奇しくもその数年前に、人工知能による創作物の著作権については、そのアルゴリズムの制作者に帰属すると定める国際的な取り決めが為されたばかりだった。だが、OF発見以降のすべての著作物の権利者となりうるアルゴリズムの制作者は終ぞ名乗りを上げなかった。その莫大な利権を目当てに自らこそがその生みの親である宇宙人あるいは異世界人である、と自称する者は現れたが、そうであると証明出来る者は一人もいなかった。だがそれ故に、それら文章の権利は曖昧な形で留保されてしまうことになったのだ。他方で出版社に代表されるような、権利をその収益の根源とする企業としても、新たな創作物が権利上の問題で市場に出せないことに苦しんだ。各々の思惑が交錯する中でやがて、「発見権」という新たな権利概念が妥協的に形成された。それはつまりデータベース上で創作を発見した者に、著作権に準ずる権利を認める、というものだった。

 そこに至っても作家の受難は続く。企業は、作家という人の手を介さずとも、市場分析の結果から導かれた「売れる話」を、簡単にデータベースから発掘することが出来るようになったからだ。読者の興味をそそったり潜在的な需要を喚起したりする単語やその組み合わせを分析し、それを含んだ文章をOFから掘り出す。採掘アルゴリズムと呼ばれる技術の普及とともに、文章は執筆するもの、作るものではなく、工業的に採掘するものとなった。

 そのような世界になって、もう二十年以上が経つ。




「お前の持ってきたものが、まさか一から書き上げられたものだなんて誰も信じていない。なんなら気に掛けられてすらいない。けどそれは、それだけお前の持ってくるものが他に劣らず、どころか優れていることの証左なんだ。手作業で、最新のクラウドサーバーを何十台と動かして計算して採掘するのと同じような成果を上げてるってことだ。この国のお家芸たる自動車メーカーだって、町工場の職人の力を借りながら世界を獲るまでに発展したというだろ。同じように俺達の知見が組み合わされば世界だって獲れると思わないか」

 今や、男のように手作業で文章を書いて仕上げる人間は数えるほどしかいない。どれだけ書き切ろうともそれはすでにデータベース上に存在しているのだから。彼の友人が勤める企業のように、掘削アルゴリズムによる工業的な文章の生産を行うのが世の主流だ。個人で「作家」を名乗る人間は居るが、今や一般にはフリーランスのエンジニアを指す言葉で、よりよいアルゴリズムを独自に開発して、それを企業に売り込むのが主な仕事となっている。そして主流派経済学の教え通り、供給は需要を創出する。恐ろしいほどにパーソナライズされた嗜好に合わせた虚構が湯水のように提供され消費されていく社会が、人々の生活や道徳の基盤となってしまっていた。

「……それでも、俺は書きたい」

 スウェットの男は拳を握り締める。男はセンチメンタルに生きていた。

「学生の頃、語り合ったじゃないか。自分で自分だけの世界を描いて、世に問う。それがどれだけ崇高な営為だろうかと。元々あるものを掘り返して、少し加工して世に出すだけなんて、一体そのどこに創造的な価値があるって言うんだ」

「価値はあるさ。原油も、ダイヤモンドも、埋もれてるだけじゃ意味ない。埋蔵場所を調べる知識や加工する技術があって初めて価値ある商品として世に出せる。俺たちの仕事もそれと同じだ。間違いなく、付加価値を生んでいる」

「単なる価値じゃない、創造的な価値だよ。付加価値なんてものは商業的な、単なる最適配分行為の結果にすぎない。お前は創造性を諦めてしまったんじゃないのか」

「諦めただって? 一体今更、何を諦められるって言うんだ?」

「……どう言うことだ」

「元々あるからといって、それがなんだ」

 友人が気色ばむ。

「そんなことを言い始めたらな、そもそも人類は原人の頃、自分や愛する人に寿命があるなんて知らなかった。そこらへんの獣と同じように、自分の狭い視界をこの世のすべてと思い込んで、死なんて考えず、無限の欲望と希望をその大きさのままに謳歌してただろうよ。それに比べてホモ・サピエンスはどうだ。寿命という避けられぬ終わりがあることを知り、どころか不慮の病気や事故でそれすらも果たせず死ぬかもしれないことを知り、科学を発展させ宇宙には観測可能な限りがあることを知り、そしてそれすらいつか滅びることを知った。知ってしまったんだ。以来俺たちはずっと『終焉』の奴隷だよ。常にそいつを頭の片隅に置きながら、限りある世界と時間の最適配分問題を解く羽目になっちまった」

 段々と熱が籠る声。友人は再びカップを持ちコーヒーを飲もうとしたが、中はもう空だった。

「思うに、アダムが食った知恵の実っていうのは、自分に終わりがあるってことを認識できるくらい賢くなっちまったことを指してるのさ。死なんて知らなけりゃ、死ぬその瞬間まで俺たちは永遠を生きてられたのに、知った瞬間、俺達は永遠の命を二度と謳歌できなくなったんだ。まあ、イルカとゾウも死を認識するって言うなら、その分知恵ある仲間が居て寂しくはないかもしれんがな。小説の全てが格納されたデータベースの発見なんて、その延長線上に過ぎない。だって、所詮言葉の組み合わせだろう。冷静に考えてみれば限りある物に決まってるじゃないか。限りある資源の最適配分の問題に至るのは、遅かれ早かれ必然だったんだよ」

 そこまで言って、友はしまったと言わんばかりに目を見開いた。そして、先程までよりも弱い声色で続けた。

「……なんてな。けどな、俺は、こんな風に考えたくはない。そんな虚しいこと嫌だろ。第一人間の考えられるキャパシティを超えた話だ。だからな、俺は考えない。忘れる。一週間後の予定を組むときに、五秒後に隕石が落ちてきて死ぬ可能性を考えるやつがいるか? 考えていたら、やってられないだろう。だから、忘れるのさ。忘却こそ、人類の最も偉大な発明だと俺は思う」




 カフェを後にした男は、終わりしなの友の顔を思い出して表情を歪めた。「こんな風には考えたくはない」と言いながら、男の問いかけのせいで彼が言語化してしまったあの考えは、彼の脳裏に深く根を張ってしまったに違いない。元々学生時代から、ああいった想像を巡らせるのが得意な男だった。そんな彼が認識したくなかったであろう、墓まで持っていこうと、あるいは忘れようとしていた彼自身の本音を、掘り返す手伝いをしてしまったのだ。

 そしてそれは、男にとっても同じことであった。

 友の言う通り、人類は知恵の実を手にし永遠の生を失ったのだろう。そして限りある命をそれでもせめて自由に生きようと試みたが、その後の科学と哲学の発展は、自由意志の存在も否定してしまった。人類はそれでもなお、時には忘却を駆使し、時には虚構を作り出し想像を巡らせることで心を慰めてきた。

 だが終ぞ、虚構の可能性すらも無味乾燥としたデータベースに奪われたのだ。創作活動は採掘活動になり、効率と歩留まりがその世界を支配する。秒間五万本の新作が発表される状況とは、つまりそういうものだった。

 男が信じてきたものは、信じたかったものは、最初から無かった。OFの発見はそれを決定的にした。

 何故こんなことをしたのか。データベースを作り上げたであろう製作者への問いであり、恨み言であった。

 何故、人類から創作の可能性を、希望を奪うような真似をしてしまったのか。何故それを単なる資源の最適配分の問題に帰着させてしまう必要があったというのか。物心が付き、創作の世界に救われ、それを生み出す人々に憧れ、だがやがてそれが時代遅れの職となっていることを知ったときの絶望を、果たしてアルゴリズムの制作者は想像していたのだろうか。人類にはもう「可能性など無い」ということを、なぜこの期に及んで言い放ったまま、姿をくらましているのか。

 街は、社会は、今日も人の営みで溢れている。だがそこに作家は居ない。

 男が昔描いていた未来は、それとは正反対だった。ケインズがかつて予想したように、人間の仕事の殆どは機械によって代替されるようになり、人々は大量に生じる余暇の時間を、機械では代替し得ない創造的な行為――創作活動に耽って過ごすのだと考えていた。だがそれは、あり得る限りで最悪の形で裏切られた。機械による効率化の速度以上に人類が必要とする生活水準は上昇し、人間社会は依然として食べていくために一定以上の労働を必要としている。その仕事の多くは、未だに特定の目的と手段に特化した計算しかできない人工知能には代替できないものとして残り続けている。それらの業務が、小説の執筆ほど抽象的で困難な行為であるわけがないにも関わらず。もしOFを作るような技術を有する者が善意の存在であるとするならば、先にそれらの仕事を抹消するように動くに違いないのだ。そうでないのであれば、前提が間違っている。




 男は自宅にたどり着く。1Kなどという小洒落た言葉で彩られた六畳一間が彼の家だった。スウェットのままベッドに横たわりコンビニで買った具の無いパンをかじるが、喉を通らない。

 そもそも、自らの手で文章を書きそれで食べていくなどと言うのは、OFが見つかるはるか前から困難極める道であったということは知っていた。この貧しい生活はきっと、OFが登場せずとも男の未来であったに違いない。それでも書いていたのは、希望を諦めていなかったからだった。

 本棚に並んだ自著の背表紙を撫でる。OFという破壊的イノベーションの登場の結果フィクションが紙媒体で発行されることはもはや稀であり、男のそれは自費出版のような形で刷ったものだ。自分の気持ちを落ち着けるためのルーティンだった。そうすると自分こそがそれらの虚構を生み、切り開いた存在なのだという気持ちになれた。だが今は、枯木の肌を撫でているような感覚しか得られなかった。微かな希望と少しのパンさえあればよかったはずなのに、希望が失われたことを理解してしまった今、手に持ったこのパンすらおがくずのように感じられ、怖くなる。

 仕方なくお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れてそれで流し込む。友人が奢ってくれたカフェの一杯が嗜好品だったのに対し、今口にしたそれらは薬の摂取に近かった。無理やり覚醒させた頭でペンを握り机の上の紙を睨むが、何も出てこない。それらを傍に寄せパソコンを立ち上げキーボードに手を乗せるが、何も思いつかない。男の頭にはずっと同じ問いが走り続ける。

 その問いについて考え続け、夜を迎えた。ちょうどそれと同じようなノイローゼの感覚の経験は初めてでは無かった。思春期の頃、眠る前にふと死が訪れるのが怖くなって、にも関わらずそれについての思索が止まらず、考え続けて眠れなくなってしまうことがあった。あの頃は、そんな問いも翌朝目が覚めた時にはすっかり忘れて、それまでと同じように朝の支度をして学校へと向かっていった。

 忘却。友の言ったその発明にあやかろうと布団に入った男だったが、入眠できない可能性を考えていなかった。日が登り、寝不足のまま顔を洗い、机に向かう。今日締め切りの原稿を友人から依頼されていた。執筆に取り掛かろうとするが、やはり上手くいかない。




 ふと、一瞬意識が飛んでいたことに気づく。忘却の働きに期待したが、しっかりと記憶はあった。憂鬱な気持ちでいるとふと机の上の紙に、ぐちゃぐちゃな線で「観測可能な」と書かれているのを見つけた。寝ぼけながら、友の言葉を思い出して書いたのだろう。

 観測可能な宇宙。人類がどれだけ文明を発展させ、叡智を結集しても、我々は四百六十五億光年より先の宇宙を観測することは原理的に出来ない。その先にはもしかすると人類が望んでやまない何かがあるかもしれないが、そうだとしたところで、人類にとっては無いも同じなのだ。

 それを覗く唯一の手立てが想像を巡らせることだった。そしてそれを書き留めることが創造と呼ばれる行為で、いわばSFと呼ばれるタイプの虚構であった。男はパソコンを立ち上げ、グーグルの検索ウィンドウで「観測可能な SF」とだけ打ち込んだ。それは枕詞のようなもので、それだけ入れれば観測可能な宇宙についてのSF作品が見つかるに決まっていた。希望の物語を身体が欲している。だが図書館のデータベースでも、書店のオンラインストアでも、めぼしいものは見つからない。焦燥感に苛まれる。

 その時、検索結果の一覧にOFの検索サービスへのリンクが表示されているのを見つける。忌々しく思いながら画面を閉じようとして、手が止まる。

 OFには、全ての虚構が存在する。

 サービス内で先程と同じく「観測可能な SF」と検索すると、即座に検索結果が表示される。その結果件数は右下に表示されているが、リアルタイムで検索し続けているのだろう、その数は一秒毎に六億、七億というオーダーで増えていく。虚ろな頭でタイトルの一覧を流し読みする。

 見覚えのないものばかりのそれが、スクリプトBotにより連続投稿される荒らしコメントのように映る。もしかしたら読めば面白いのかも知れない。だが得体の知れない不気味なアルゴリズムが生成したものを今は受け付けられる気はしなかった。過去のSF作家が、OFの発見以前にその脳からひねり出した血の通った作品を探す。当然にそうした虚構もまたOFには存在するのだから。


「観測可能な宇宙とは何か」

「観測可能な宇宙の大きさについて」

「観測可能な宇宙と私」

「観測可能な虚構の大きさの推計と、その探査の現実的手段について」


 そんなタイトルたちを素通りしそうになって、「観測可能な虚構」という見慣れない文字列に引っかかる。そして付されている英題が目についた。


「An Estimate of the size of the Observable Fiction and a practical way of its exploration 」


 Observable Fiction。観測可能な虚構という馴染みない言葉は、英語ではそう書くのか。そう思うのと同時に気づいた。


 OF。


 もしやという直感が頭を駆け巡った。その文章の目次に目を通す。


 第一章 虚構が無限に存在し得ることの証明について

 第二章 観測可能な虚構の存在とその大きさの推計について

 第三章 観測可能な虚構の探査の現実的手段について

 第四章 終わりに


 男は、食い入るようにそれを読み始めた。


 第一章は虚構の定義から始まる。まず取扱の簡便のため、ここで虚構は「有限の自然数の文字数で完結する、自然言語で表現された創作文」と定義されている。そしてこれは、一見すると文字の種類数を文字数で累乗した数が存在し得る虚構の数の上限であるという結論に結びつきそうだが、そうではないということを続けて主張する。

 その勘所は、自然言語がいわば「生き物」であり、通時的には文字の組み合わせが有する意味が連続的に変化する点にあるという。時間が実数値を取ると仮定される場合、この変化の集合もまた実数と同じ濃度であることが言え、言語表現のパターン数は非可算無限集合であることが導け、従ってそれにより表現される虚構のパターン数も非可算無限集合である、と結んでいる。

 また文章による虚構の集合と、映像や画像、音声による虚構の集合の濃度が同じであることから、それらもまた自明に非可算無限集合となることも補足的に論じられている。


 男は驚いた。まるで男と友人との会話をなぞるような内容だった。それも男にとって望ましい形で。文字数による限界などない。虚構にはやはり無限大の可能性があるのだ。なんて甘美な響きだろうか。人間の無限の創作の可能性に想いを馳せてきた男にとっての理想郷がそこに記されていた。だが、文章は続く。

 

 第二章では、無限に広がる虚構に対し、人類が観測可能な虚構は有限であることを説明していた。

 観測可能な虚構OFの上限を見積もる式として、


 OF≦Ln(人類文明の存続期間)×Rn(単位時間あたりに人類が創作可能な虚構の数)


 というごく簡単な関係式をここで提案している。そして右辺の二つの変数、これはどちらの値も自明に有限値を取る。従ってOFも有限の値となり、観測可能な虚構は有限集合であることがわかる。そしてその両者の変数についてその時点で想定される値を当て込み、その大きさの推計が行われていた。

 男はその数字を見て「大きい」とも「小さい」とも感じなかった。少なくとも天文学的なスケールと呼ばれるようなオーダーには違いなかったが、有限の幅で表現されていることに「終焉」を意識せずにはいられなかった。最適配分という言葉が脳裏を過ぎる。

 震える手でマウスを動かし、次の章へと進む。


 第三章の記述に男は目を見張った。それは、まさにOFのデータベースを作るためのアルゴリズムについて語っていた。

 文章はまず、「タイプライター・モンキー法」と「進化モンキー法」なる異なる二つのアルゴリズムを提案し、その比較検討をする流れで論を進めていく。前者はいわゆる「無限の猿定理」のことで、ランダムな文字列をひたすらに羅列していくタイプライター・モンキー法は網羅性には優れるが、無限の時間があるならまだしも意味のある文章を作るという意味では効率が悪いと指摘する。

 進化モンキー法は効率面の改善を企図する。この方式においてもサルはランダムな文章生成を行うが、組み合わせるのはキーボード上の文字ではない。代わりに自然言語処理モデルに基づき、自然言語として意味を成す単語の組み合わせのみを配列する。それは当然に全く意味を成さないとみなされるような文字列の生成を省略することに繋がる。

 しかしそのままでは、完全にランダムな文字配列が有し得る偶然的な美や、あるいは第一章で触れたような言語の時間的な変化を取り込めない。それを解決するために遺伝的アルゴリズムをここで導入する。自然言語処理モデルは常にその「遺伝子」の突然変異を起こし、新たな世代のモデルを産み続ける。タイプライター・モンキー法が文字配列に総当たり方を適用したものだとすれば、言語の遺伝子配列の総当たり法を行うのが進化モンキー法だ。これによりサルは言語の通時的な変化やその恣意性すらも手中とし、生成の効率性と結果の網羅性を同時に担保するに至った。

 これが教師ありモンキー法を採用する理由である、と章は結ばれる。


 第四章は次のような文章だった。

「観測可能な宇宙が有限であり、その先に宇宙がどれだけ広がっていようとも人類の因果律とは隔絶されており、当然それを観測することもできない。この事実は人類の知的な余命宣告に他ならなかった。それに対し人類は、虚構への信任を置くことで観測可能な宇宙にレバレッジを掛け、実体以上に虚構世界を広げることに成功し心の安寧を得ている。だが他方でそれは、虚構世界自体も観測可能な範囲に限りがあるという事実から目を逸らした、偽りの安寧であると断じねばならない。

 しかし、ここで観測可能な虚構の取りうる可能性に限りがあることを、虚構自体の可能性が限られているという結論に短絡することは誤りである。虚構は、虚無から有を、実体的な幸福を生み出すことに無限の価値があるのだ。今回観測可能な虚構の存在を明らかにしたのは、その価値を復権させるためである。

もし我々が、人類の創造の可能性が無限であるなどと嘯いたまま、恣意的な創作を今後数十世紀、あるいは太陽系外への進出により天文学的スケールの時間だけ続けたとしよう。だがそれが終わる時、そこにあるのはもう見ることが出来ない物語と、自分たちとの間にある超えられない境界線のみとなる。その瞬間の人類にとっての観測可能な虚構の地平線である。だが、理論上はその先もなお、観測可能なはずなのだ。そうした世界が存在することを知った今、諦めることがなぜ出来ようか。

 著者が夭逝し未完となった小説の続きも、世界が滅んだその日、あるいはその翌日に書かれる小説も、全ての虚構がそこには広がっている。残り二年しかこの命が続かなくとも、一億年後の人類の文学を今読むことが出来る。出来るがため、そのようにする。これが進化モンキー法探査機を虚構世界に送り出した、その意図である。探査結果はデータベースに蓄積され、数日以内に人類史上最大の規模の情報構造を形成するだろう。

 当然、史上類を見ない規模の構造が出現することにより、人類社会に予見し得ない影響が及ぼされる可能性は十分にある。それに備えて次の手順を用意する」

 URLとパスコードと見られる文字列をそこに列記した後に、文章はこう締めくくられた。

「虚構の無限の力は、その外にはない。内側にこそ秘められている」




「……」

 目はすっかり乾きひりひりと痛む。頭の奥が焼けるように熱い。男は声も出せず、身じろぎすらできない。ただその文章から目を離すことが出来なかった。

順番に整理する。まず、疑問への答えが少なくともそこにはあった。データベースを作った目的などというものは、そもそも無かったのだ。残りの余命少ないある人間――恐らく研究者あるいはエンジニアとして人類史上最高の知性の一人であろう――が、際限なくフィクションを読み漁りたいがために作ったアルゴリズムがあり、その生成結果の単なる集積としてOFは形成されたのだ。その裏側の呆気なさがだんだんと身体に染み渡ってくる。

 それもそのアルゴリズムは、決して人類を超えるような知性を有す物でも何でもなかった。人類から創作の可能性への希望を奪うには、技術的特異点の到来や汎用人工知能の登場を待つ必要などなかった。ただ十分な方向づけをされた総当たり攻撃さえしてしまえばそれで事足りてしまう。そういうことだった。

 他方でそこには、それが虚構のみの探査方法となる理由への言及はない。だが今あるデータベースがまさに生成の途上にあるということを踏まえれば頷ける。ランダムに組み合わされた自然言語の文章が、現実の観測的事実に基づいた文章となる可能性はそれこそ、タイプライター・モンキー法でシェイクスピアが書き上がるのと同じくらいだ。現実に対する虚構の圧倒的な広大さの前に、確率論的に自然科学者たちが求めるような文章が現時点では作られていない、ということなのだろう。


 そうした考察の後に、筆者の考えが述べられている。まずそれはデータベースと言う形で我々の前に立ち現れるかどうかに関わらず、観測可能な虚構というある種の世界の地平線は厳然として存在するのだという指摘に始まる。

 男もその友人も、OFという目に見えるデータベースと出会い初めて、創作の可能性の限界に慄いた。だがこの文章の筆者は、それのはるか以前から既に理論的にその概念の存在を見出し、それから目を背けるのは「偽りの安寧」であると断じる。

 一人の作家が余命わずかとなり、せいぜいあと一本しか物語を書けなくなっている。だが素晴らしいアイデアが二つある。熟慮の末、第一のアイデアを小説として仕上げ、第二のアイデアはメモとして残したところで、机に倒れ伏せる。一つの小説を遺し、一つの素晴らしいアイデアを遺し、作家冥利に尽きる人生を過ごしたものだと薄れゆく意識の中で満足しながら、ふと、空前絶後の巧妙さと鋭利さを持った、人生最高のプロットを思いつく。だが身体はもう動かない。作家は悪鬼のような苦悶の形相のまま死んでいく。

 筆者は、それが人類、もっと言えばこの宇宙のフィクション生成そのもので起こるということを言っている。その上で、第二のアイデアどころか、第三のアイデアすらも読みたい、だから作ると言っているのだ。

 なんて不遜な考えであろう。男は唇を噛んだ。


 「次の手順」として記された文字列について調べると、はたしてそのURLは実在し、「停止コードを入力してください」という文言が付されたテキストボックスが画面の中央にポツンと置かれただけの、簡素なページが表示される。

 その通りにすれば、探査機は停止する。無限にも思えるデータベースは、高々既存あるいはこの瞬間に生まれる文章を含む程度の有限でしかなく、探査機が止まればその拡大は終わる。そこから先の創作の可能性は、アルゴリズムではなく人類の手に再び戻る事を意味する。それは男が願ってやまない目標であるはずだった。

 だが観測可能な虚構という概念を知った今、それにどれだけの意味があるだろうか。

 男は、この文章の情報を見た。日本十進分類法によるコードは九一三・六。「近代以降の小説」を指すコードで、つまりこれはフィクションなのだ。

 であれば、ここに書かれていることは全て虚構なのかもしれない。むしろその可能性の方が圧倒的に高い。観測可能な虚構に限りがあるなどという指摘も、進化モンキー法などというアルゴリズムも、実際には正しくもなんでもない、意味不明な文字の連なりに過ぎないのかもしれない。悲運のエンジニアなんてものはそもそも居ない、架空の人物なのだ。そもそもこの文書自体、今この瞬間アルゴリズムに沿って生成されただけのものかもしれない。なんならOFを調べてみれば、OFが地球外生命体によって造られたであるとか、並行世界の可能性の自己言及的な写像である、といったような筋書きの文章も見つかるに違いない。

 だが、ならばこのウェブページはなんだ。実在するではないか。これは遂にサルが完成させたマクベスかベニスの商人なのかもしれない。そしてそんな自問自答を繰り返すまでもなく、少なくともこの停止コードと送信ページが本物であるということを男は直感的に理解していた。

 不遜な著者の独善を止めることが出来る。作家がどれだけの思いで、何を書くか、どう書くかを選択し、形にしていると思うのか。筆者の発明はそれら一切を踏み躙る行為だ。

だが男の脳内に宿った筆者が語りかける。それも所詮最適配分の問題だろう。一体それが自分になんの関わりがあるというのか。我々はその実際的な過程ではなく、その結果生み出された虚構が読みたいのだ、と。

 我々とは誰だろう。男はその考えに抵抗を覚えるかと思いきや、全く自然に受け止められている自分を見つけた。自分も「我々」に含まれるということに気付いたのだ。

 我々とはつまり、読者だ。


 コードはすでにテキストボックスの中に入力している。そこまでは無意識に行なっていた。だがそれ以上手が動かない。文章から目が離せないのだ。正確に言えば、最後の一節から。

「虚構の無限の力は、その外にはない。内側にこそ秘められている」

 その文字列を見ているうちに、男の脳内に一つの虚構が根を張っていった。それは、このアルゴリズムを作ったであろうエンジニアの生き様だ。

 一体どれほどだったろう。当たり前に続くと思っていた日常が、余命宣告により終わりを告げられた時の恐怖や怒りは。そして病床で虚構へ思いを馳せたにも関わらず、それすらも限りがあると知った時の悲しみは。

 それら全てが原動力となり、筆者は探査機を放つに至ったのだ。たった一人で、「人類の可能性は無限である」といった言葉が浅い虚妄であることを証明し、人の可能性は有限であるという恐ろしい事実と一人対峙しながら、だからこそ人智の及ばないほどに巨大な可能性の世界を単身で切り拓くに至れた。それほどまでに彼は虚構を愛していたのだ。 

 今も虚構の海の中を単身漂う探査機と、それに載せられた一人の人間の想いを想像し、男は自分が涙していることに気付いた。

「ああ」

 そしてそれこそが、無限の力であることを覚った。

 今自分が想像した虚構すらも、OFには既にあるに違いない。だがそれが何だというのだ。そんなことなど何の関係もなく、今本物の涙が流れている。形にすらなっていない虚の世界の物語が、肉体を動かし、涙を流すにまで至らせる。

 確かに観測可能な虚構は無限ではないかもしれない。しかし虚構から実体を生み出す、この力にこそ無限は内在しているのだ。例えそこから生まれるものがどれだけ小さい雫でも、虚構という零から生まれたのであれば、それは十倍でも一億倍でもなく、無限大の力を以ってして生み出されたことを意味する。虚構を読むというのはそういう体験であり、対し虚構は読まれることで初めて無限の力を発揮する、相補の共生関係がここにある。

 そして男は気付く。今自分の中に生まれた物語に涙を流した世界で初めての人間、それは男自身だった。創り出すことそのものではない。創った上で、自分の心を動かす物語にこの世で初めての読者として触れることができる、それこそが創造の価値であり、創作の本懐なのだ。生みの喜び、それはすなわち新たな出会いの喜びなのであり、創作とは究極の読者体験なのだ。

 自らの方こそ不遜だったと男は自分を恥じた。創作はつまり、自分が読みたい物語の世界で最初の読者になり、新雪を踏みしめる喜びを独占したいという独善に他ならないと悟ったからだ。だが、それが目の前にあると知っておきながら、足を踏み出さずに居られるだろうか。我慢など出来るはずがない。探査船を飛ばしたエンジニアはもうこの世にいないだろう。だがその意思が今も虚構世界を広げ続けているように、この想いはとどまるところを知らない。

 それこそがアルゴリズムに奪われないものであり、男が創作を続ける意味なのだ。


 もし、アルゴリズムが喜びを得られるようになったならば? 自分で巡らせたその問いに、男は笑った。喜びは奪いあうものではない、共に愉しむものだ。その時は仲間ができたことを歓迎し、喜びを語り合い、分かち合えばいい。死を悼む仲間としてゾウやイルカを迎え入れるのと同じように。


 男にもう迷いはなかった。停止コードの送信ページを、そしてその文章が表示された画面を閉じる。そしてペンを持ち、一心不乱に虚構を書き始めた。



参考文献

John Maynard Keynes, “Economic Possibilities for Our Grandchildren”(一九三〇年)


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観測可能な虚構/オブザーバブル・フィクション 及川盛男 @oimori

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