恩の島と仇の島

チューブラーベルズの庭

藻助

 男の周りを村人らが囲む。


「おめぇが行くんだよ」


「そうじゃ、おめがらねば村がなくなっちまうんじゃ」


「天国のじっさまとばっさまにいいとこ見せたいろ? だけんおめぇが行って殺るしかねえ」


 男はおろおろと狼狽うろたえていた。


「大丈夫じゃ。おめぇには力がある」


「そうじゃ、それにこりゃ殺人でねぇ」


 村人がにんまり笑う。


「こりゃ村を救うための戦いなんじゃ」


 *


 備前国びぜんのくには温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれ、人々は不自由のない生活を送っていた。

 南に面する瀬戸内海には小さな島がいくつか点在し、その内の一つの島にある村があった。


 豊穣から取り残されたような痩せた大地のその村では、口減らしによる間引きが慣例化していた。

 村を流れる小川のそばには、腐りかけた赤子の死体と無数の小さな骨が散らばっており、その上を海鳥とからすがいつもわめいていた。


 その赤子も産まれてすぐに捨てられた。

 運が良かったのは、偶然通りかかった老夫婦の憐憫れんびんを買ったことだ。

 海の藻が絡みついていたことから、藻助もすけと名付けられた。


 藻助はすくすく育ったが、五歳になっても六歳になっても言葉を覚えることはなかった。


「ううーうーー、ああーー」


 うめきのような発声を繰り返すだけ。


「この子はちと頭が足んねぇんだなぁ」


 婆さんはそれでも精一杯藻助を可愛がった。


 言葉の通じない藻助は村の子どもらとは一緒に遊べない。その代わり彼は空や山と会話し、一人空想の動物と触れ合った。

 棒切れを振り回しては、本人にしか見えない動物一座を率いて一昼夜帰ってこないこともあった。


 藻助の生育の早さは老夫婦の予想を遥かに超えていた。

 まさか身長六尺に届く大男になろうとは、夫婦とて夢にも思わなかった。


 年頃になると村の労働をよく手伝った。どんな辛い力仕事もお人好しの彼は笑って引き受ける。大きな岩石の撤去も藻助にかかれば朝飯前だった。

 牛の五倍多く働く彼は、畑だってずっと早く耕すことができる。

 安い見返りと引き換えに猛烈に働く大男は、村人らにとっては都合のいい労働力だった。

 

 藻助の住む瀬戸内の小島――、仇伊賀島あだいがしまは貧しい島だった。

 潮が悪くろくに魚が取れないため、村人のほとんどは痩せた土地で細々と作物を育て生計を立てていた。

 

 他方、仇伊賀島の隣にはさらに小さな島、恩伊賀島おんいがしまがあった。

 こちらは仇伊賀島と違い豊かな潮流に恵まれ、一年を通して良質な魚が捕れた。


 仇伊賀の住人は、海を隔てて浮かぶ小島を眺めては、


「恩の島の奴らはいいべな。一年中うまい魚が捕れて。それに比べてオラたちは……」


 憎々しげに自分たちのひび割れた畑をめつける。


 恩と仇の島――。

 二つの島は潮流に運命を左右された不幸な兄弟島だった。


 ある年、飢饉が襲った。

 その年は異常な寒さで、仇伊賀島の農作物はいつにも増して不作だった。

 村人は途端に困窮した。


 首長くびちょうらで何度も話し合いが重ねられ、やがてある結論に達する。

 恩伊賀島の襲撃だった。

 それほどまでに切羽詰まっていたのだ。


 もちろんその前に、話し合いに行こうという提案は何度も繰り返された。そうならなかったのは、元より島同士の折り合いが悪かったことに尽きる。


――恩伊賀の連中など殺してしまえばいい。


 仇伊賀の人々は、本当は心の奥底でそう願っていた。

 飢饉でそれが表面化しただけに過ぎない。


 恩伊賀島の戸数は約十五戸。人数にして五十人。

 皆殺しにしてすべてを収奪してしまおうという計画だった。だが集団で乗り込んでは警戒される。

 それならばと、村人らは藻助に白羽の矢を立てた。


 老夫婦はすでに鬼籍に入っており、藻助は村の外れの掘っ立て小屋で一人住んでいた。


「おい藻助」


「あう、あうう……」


 村人らは眠っていた彼を躊躇なく叩き起こす。純朴な彼を言葉巧みに言いくるめた。

 藻助は牛をはるかに凌ぐ膂力りょりょくで畑を耕し大岩も軽々と持ち上げる。

 こいつなら五十人でも百人でも人間をほふることができるだろうと村人らは判断したのだ。

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