白の描者

ねむるこ

白ノ国

第1話 白ノ国(1)

『誰かの為に生きなくていい、ただ平穏な自分の幸せの為に生きるんだ。俺のように生きるんじゃない』


 自分が夢を見ていることに月白つきしろはすぐに気が付いた。年若い父、白練しろねりと向かい合うというのはなかなかに奇妙な体験だった。

 大きな湖の中に浮かぶ小舟に乗っていることに気が付いた。ゆらゆらと舟独特の揺れを感じる。


(夢だから何でもありってことか)


 月白は勝手にこの不可思議な状況を受け入れていた。

 若き日の父は自分と同じ稀有けうな白髪をしている。白一色というわけではなく、うっすらと青みがかったその色はとても神秘的でよく人を惹きつけた。まつ毛も同じ色をしており瞳は灰色で優しい色を灯している。

 そんな慈愛に満ちた父の言葉に対して月白は笑顔を浮かべながらはっきりと答えた。


「ごめんなさい父上。それは無理だわ!」


 穏やかだった父が一変、眉を吊り上げて何かを言おうと口を開いた。


(いけない。怒られる!)


 月白がそう思うと同時に、眠りから覚醒する。見慣れた木目の天井が朧気ながら月白の視界に入った。虫の声が耳に入ってきてまだ夜が明けていないのだと知る。


(最悪……。父上のせいで眠れないんですけど)


 月白は空に浮かんでいるであろう夜光やこうを見ようと上体を起こした時だった。目の前にぼんやりと人影があることに気が付く。


(え?幽霊?)


 次の瞬間、頬に熱が走る。鋭利なものがこちらに向かって放たれたようだ。月白の背に冷たい汗が流れる。


「……そんなわけないか!間者だろう。普通に考えて」


 そんな独り言をいいながら小窓の障子を乱暴に開けると身を屈めて外に飛び出した。小窓に取り付けられた鈴がちりんっと可愛らしく鳴る。暗い室内では不利と考えての行動だった。夜になると天から顔を出す夜光やこうが人の姿をはっきりと浮かび上がらせると思ったからだ。暗殺を生業なりわいとする者は室内での戦いを得意とするので相手の優位を削ぐためでもあった。

 月白より体格のいい相手は寝所の襖から外へ飛び出してきた。抜き身の刀と顔を隠した軽装姿は思い当たりがない。


「へえ。暗殺の対象になるなんて。私も偉くなったなー」


 月白が楽しそうに笑顔を浮かべる。夜光の下、その長い白髪が神秘的な青白く光った。月白の年齢は25だったがその浮世離れした見た目は年齢不詳だ。少女のようでもあるし女性のようでもある。勇ましい顔つき、荒っぽい動きから男性のようにも感じられる。

 この世に存在する人とは思えない姿に一瞬怯んだ様子を見せた男だったが、月白に向かって一歩足を踏み出そうとする。


 しかしそれは叶わなかった。気が付いた時にはもう男は絶命していたからだ。

 間者の男が最後に感じた気配は獰猛な獣。それほどまでの気迫を持ちながら真後ろまで近づいていたのに気が付かなかった。

 大きな黒い影。血に濡れた刀を一振りして落とすと、蔑んだ紫紺の瞳で間者の男のを見下ろしていた。夜光により姿を現した大男は青みがかった灰色の短髪で着物の上からでも筋肉の付き具合が分かるほど鍛え上げられた体つきをしている。

 その姿を目にした月白は顔をうつむかせ体を震わせた。その様子を見て従者である男が心配そうな表情を浮かべる。先ほどまでの鬼の形相とは比べ物にならない、別人かと思うほどの変わりようだった。


「月白様……」


 何と声をかけたらいいのか分からず灰青が言葉に困っていると月白が顔を思い切り上げる。月白の顔に恐怖の色は少しもなかった。


「ちょっと……。灰青はいあお!何故殺す!どこの誰だか分かんないじゃないか!」


 月白は怒鳴り声を上げる。惨劇を前にして震えていたのではなく、間者を殺したことに対して怒りで震えていたらしい。


「……は?命が狙われていたのに何をおっしゃ……」

「うるさい!ったく仕事増やすなよ。面倒だな、もう」


 唖然とする灰青を横目に大股で死体に近づくと衣服を探る。何の躊躇いもないその行動に灰青は大きなため息を吐いた。


「ん……?これは……」


 月白は間者の男が持っていた物を手にして首を傾げた。

 

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