第二十話 セイ❹
「姉さん!」
何度呼びかけようとも姉の返事は帰ってこない。
自分の聞き分けのなさが招いた状況。しかし狼狽する暇を目の前に立つ男が与えてくれるとは思えない。セイは焦りを無理やり抑え込みこの状況をどうにかすべく精一杯知恵を絞った。
今の満身創痍の体でウヤクとローナを庇いながら戦う事、まして勝つ事など出来そうになかったが、現状を打破する可能性があるとしたらやはり戦闘しか見当がつかない。
セイは立ち上がろうと足を体に引き寄せ、体を回転させた勢いで何とか膝立ちになったが、それを見計らってタイカは起きあがろうともがくセイの胴を蹴り倒した。
蹴鞠の様に転がるセイの姿を見てタイカはけらけらと笑っている。
「すまんな野生児くん、こんな事せず一気に殺してやりたいとこだけど、殺しちまうとこの姫様の力で不死身にされるかも知れないからよ」
セイはタイカが話す間にもう一度体勢を戻した。しかしまたも蹴り飛ばされて地面に顔を擦り付ける。
「これ以上追いかけっこはごめんだからさ」
タイカはそう言って面倒くさそうに頭を掻きながら倒れているセイの足元に近づくと、両手でそれぞれセイの左右の足首を強く掴んだ。
「悪りぃ」
形程度の謝罪と軽く下げた頭。
そして次の瞬間、セイの両足首から煙が上った。突如充満する肉の焼ける匂いが隣のウヤクの鼻まで犯す。ウヤクは、目を充血させ声にならない悲鳴をあげるセイの様子を見て吐き戻した。
歯が砕けそうな程に食いしばった口からは血混じりの唾液がだらしなく糸を引き、じたばたと痙攣とも抵抗とも取れる動きをするセイ。タイカの手は暴れる獲物を掴み離さない。セイの体は至る所が擦りむけ、傷口で血と砂が混ざりあった黒塊が体中を汚していたがセイはそれを位に解さず暴れ狂っている。
そして狂気に満ちた数秒は唐突に終わりを迎えた。
ついに足の腱が焼き切れ、体が激痛で一瞬硬直した後、放り投げられた人形の様に脱力しセイは気を失ったのだ。
ウヤクは力尽きていくセイを見る事が出来なかった。体と土とが擦れ合うざりざりという音が焼き付いて離れなかった。
鼓動が速くなりまともに呼吸を保つ事が出来ない。恐らくセイの心臓はもっと速く脈打っていたに違いない。一瞬見えた苦しそうな表情はこの世のものとは到底思えない恐ろしさだった。
タイカは無気力になったウヤクのローブを引っ張り上げ、転ばない程度に小突いてウヤクを歩かせた。
「ウヤク殿」
ウヤクを呼び止めるか細い声。
「セイさん、もう起きてこないで下さい」
「それは無理な相談だ」
這いつくばる様にしてセイはウヤクの背中を追いはじめた。
「お姉様はまだ生きてます。酷な願いかも知れませんがどうかお二人で生きてください」
「ウヤク殿はどうする」
「セイさんも知っているでしょう、私は最初から死ぬつもりでした。死にたがりのことなんて放っておいて下さい。私なんかの為にセイさんが傷つく必要なんて無いです」
タイカはもう後をつけてくるセイの事など気にも止めず、ただひたすら目的地へ向かい歩いていく。セイとウヤクの距離は徐々に開いていった。
「ウヤク殿!」
空いてしまった距離を埋める様に声を張り上げる。
「ウヤク殿に殺して欲しいと頼まれたあの時、私には貴女が気高い獅子のように見えたのだ。変わった人だとも思ったが何か自分を犠牲にしてでも守りたいものがある強く優しい人でもあると思った。私の姉もそういう人だったからよく分かる!それゆえ貴女の願いをいつか叶えようと思ったのだ!しかし今は違う!何があったかは知らぬが今は違うのだろ!」
ウヤクは返す言葉もなく肩を震わせる。
「何故助けを呼ばない!何故生きたくなったと言わない!」
「、、、それは、ただの我が儘だから、、、」
「我が儘で何が悪いのだ!」
ウヤクが生きてきた中で今この時程両手が欲しいと思った瞬間は無かった。両手で口を押さえていないと言葉に出してしまいそうだったのだ。
生きたいと。
それでも何としても言うわけにはいかなかった。その言葉は自分の業をさらに深く沈めてしまうと理解していたから。
「セイさん、、、私は何も変わってませんよ、私は今も、、、」
その先の言葉を遮る様にして咆哮のようなセイの声が轟いた。
「そんな顔で死にたいなどとほざくな馬鹿者!そんな奴の願いなど叶えてやるものか!生かして生かして生かし尽くしてやる!」
その声を聞き、ウヤクの足は月へと吸い寄せられる波の様にセイへと向かっていく。
「いかせるかよ」
タイカはウヤクのローブを引き戻した。しかし先程まで力無く歩いていたはずの人間とは思えぬほど、微動だにしない。ウヤクの視線は涙で歪みながらも真っ直ぐにセイの姿を捉えていた。
「セイさん!私のお願い聞いてくれますか!」
「ああ、当然」
「私もう少し生きたいです」
「ああ、共に生きよう、ウヤク殿」
そう言うとセイは隠し持っていた鉈を右手で握った。そしてセイが何をしようとしているか察したタイカが手を伸ばすよりも先に、セイは手にした鉈で自らの首を掻っ切った。
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