死二対課申請書類 3

 女は自分の住んでいる安アパートへと帰ってきた。木造二階建て。家賃は三万円以下かそれくらいと言ったところだろうか。トイレは共同。風呂はない。若くはないが、三十そこそこの女が住むには、少々……。


 ――さっきのお店で、もらったこれ。……確かに、説明を聞いた感じだと、手間はかかるかもしれない……


 女は畳んである敷布団の上にそれを置き、かぶっていたカツラをゆっくりと外し、小さなテーブルの鏡をみた。


 ――もう、こんな姿では、……価値が、ない……


 女は子供の頃から母親に、アイドルになりなさいと言われて育った。それはその女の母親が、若い頃に好きだった歌手が、頂点まで駆け上がり、その背景に母親の努力があったと知ったからだった。


 「あなたは父親に似てスタイルも見た目もいいんだから! 絶対に国民的アイドルになるのよ!」


 その女の母親はそう言って、この女がまだ世間も知らぬ頃から、自分のもとを子供を置いて去っていった男の話をした。女は、自分の中の父親は、自分の容姿の中にあるとその頃知った。そして、それを生かし磨くことが、自分が会うことができない父親と、唯一繋がっていることなのだと、どこかで強く思ったのであった。


 ――こんな姿じゃ、もう、ママも、私をみてくれないし…ね…か、


 女は自分の姿を鏡で見ながら、ポツリと、


 「もう、パパも私の中にはいない」


 と言った。そして、よろっと身を傾け、畳んで部屋の片隅に置いてある布団に手を伸ばし、先ほどの店から持って帰ってきた茶封筒を自分の近くに引き寄せた。


 ――これさえ書ききれれば、私は、この世界から消えることができる。


 女は、先ほどの『よろず屋うろん堂』で、では試しにと渡された『死に対する第二対策課』へ提出する申請書類を取り出した。


 ――本当に、こんなもので、楽に、綺麗に、存在全てを消して死ねるのだろうか。


 分厚い何枚もになるその申請書類を、女は一枚一枚、ゆっくりと読みながら、小さなテーブルの上でめくり始めた。


 ――まずは、ここから。


 女は立ち上がり、壁にかけてあるタペストリーの小物入れの中から、どこかでもらったどこかの会社の名前が入ったボールペンを持ってきて、また小さな机に向かい、そして、はたと、ひとりごちた。


 「ボールペンでは、書き直しがきかない、よね……?」


 女はそう言って、もう一度『死に対する第二対策課』の分厚い申請書類を見つめ、


 ――この分厚い申請書類を書くには、鉛筆か、シャープペン。書き直せるものがいる。


 と、思った。そして、女は、家の中を探し始めた。みずからの存在を消すために書く、書いても消すことのできるものを、探したのだった。



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