第三話 ここどこ? エラいとこ来てもーた

「お? 目ェ覚ましたんけ?」


 そのトラ猫は、横たわる咲季さきの顔の上にまたがったまま、右前肢で彼女のほおをペシペシ叩いていた。咲季は、妙に馴れ馴れしい態度とベッタベタな関西弁にはあえて触れず、無言のままその猫の首根っこをつかんで顔の上から乱暴に引きはがした。


「ちょお、ねえちゃん! なんやっちゅうねん!」


 咲季はゆっくりと立ち上がって、辺りを見回した。自分が体を横たえていたのは、冷たく白い大理石のような床の上だった。壁も天井も同様の石造りで、表面がうっすらと光を放っている。周囲に人の気配はまったく感じられず、その一室は簡素ながらも静謐せいひつな神殿を思わせた。


「ここは……」


 そう言いながら咲季は、気を失う前のことを思い出そうとしていた。交差点でトラックにかれそうになっていたこの猫を助けようとして、無意識に横断歩道に飛び込んだところまでは覚えている。しかしここは、どう考えても慣れ親しんだ通学路ではない。結子ゆうぼーの姿も見当たらない。


「フフン、どこや思う? ジブン、聞いて驚くなよ! なんとここは——」


「ゲームの中なんでしょ?」


「お? ……お、おう、当たりや。せやけど……なんでわかるん?」


 もったいぶっていたトラ猫は、咲季があまりにもあっさり即答したことに、思わず拍子抜けしたように言った。


「だって、猫がふつうに日本語しゃべってるし。それに——」


「なんや?」


「そこに、会話ログウインドウが出てる」


 咲季はそう言って、トラ猫の胸の辺りを指し示した。そこには、いま交わしている会話の内容が、そのまま四角い枠で囲まれて空中にウインドウ表示されていた。どうやら、これは咲季にだけ見えてるらしいが。


「ふーん。ゲームっていってもガクガクのドット丸見えじゃなくて、ちゃんと現実っぽく解像度が上がってるのね。なかなかよくできてるわ、これ」


 そう言いながら咲季は、右手にぶら下げた猫の全身を見回した。なお彼女は、自分が重度の人見知りでありながら初対面のトラ猫とふつうに会話できていることに気づいていた。咲季は人見知りではあるが、猫見知りではない。


「ほー、ずいぶん順応性の高い姉ちゃんやで。気に入った! ジブン、名前はなんちゅうんや?」


 トラ猫は、感心しきりにたずねた。


「咲季よ、宝条ほうじょう咲季さき。そっちは?」


「ワイは『カッシュ』や。ま、いわゆる魔導猫ウィズキャットやな」


魔導猫ウィズキャット?」


「こう見えても、次元転移魔法も使いこなす熟練魔導師マスターウィザードやでぇ! この世界では、もう何百年と生きとるしなあ」


 カッシュと名乗ったその猫は、そう言って胸を張った。咲季に首根っこをつかまれたままで。


「それにしても——サキ、やったっけ。なんでそんなに落ち着いとるんや?」


「べつに。あわててもしょうがないでしょ? それに私、これまでにも何回かこういうタイプの夢見たことあるし」


「夢? なに言うとるんや。ここは、ホンマもんのゲームん中やぞ?」


 カッシュのその言葉に、咲季の動きがピタッと停止フリーズする。


「……ホンマに?」


「ホンマのホンマ」


「マジで?」


「マジマジ」


 咲季はきっかり三秒考えてから、彼女の十七年間の人生において最大級となる音量の叫び声を上げた。



「はあああああああああああああああ?」




「お、おいサキ、手ェ離せっちゅうねん! 死んでまうやろがい!」

「あ、ご、ごめん」


 気が動転したあげく、カッシュの首を両手で握りしめたまま前後左右にぶん回していた咲季は、その悲鳴を聞いてようやく我に返った。


「まったく……。まあ、それが至極しごく真っ当な反応やろ。ゲームん中なんて、そうそう来るとこやないさかいな」


 ようやく床に降り立ったカッシュは、頭を軽く振りながらつぶやいた。咲季は平静を取り戻すと、意を決してカッシュに問いかける。


「ゲームって、いったい何のゲームなの?」


「オンラインRPGの『ドラゴンファンタジスタ2』や。名前くらい聞いたことあるやろ?」


「ウソ、『ドラファン2』? 私がいま遊んでやってるゲームよ!」


「ホンマか! こんなオニみたいにムズいゲーム、ジブンらみたいな若いがやるようなモンとちゃうやろ」


 カッシュは、驚いたように言った。ちなみに、カッシュが使っている「ジブン」というのは、話相手である「あなた」を指す関西弁である。


「私はやるわよ。ムズいゲームは好きだもん」


「ほー。ま、そんならこの世界のこともようわかってるやろうし、話が早いで」


 寝る間も惜しんで、夜毎よごとプレイを重ねていたあの『ドラゴンファンタジスタ2』の世界に、いま自分自身が存在している。にわかには信じがたいことではあるが、咲季はそのことをごく自然に受け入れていた。なんとも不思議だが、それがまぎれもない事実だった。


「ねえカッシュ、どうして私はここに来たの?」


「あー、それはな、それなりに理由があるんや」


「どういう理由よ」


「聞かんほうがええんちゃうかな」


 そういうわけにはいかない。どう考えても、この異常な状況を説明できるのは目の前にいるこのチャラけた関西弁のトラ猫だけなのであるからして。


「ていうか、もともとカッシュは『ドラファン2』の住人なのよね? どうして私たちの世界にいたのよ」


 咲季の真剣な表情を見たカッシュは、大きなため息をひとつつくと、あらためて彼女の方に向き直った。


「しゃーあないな。イチからくわしく話したるわ」




続く


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