第275話

 ランナーが一、二塁―――。

 そして真伊已は次の打者をゆっくりと見た。


「大森高校―――四番―――レフト、錦君―――」


 大森高校の最強打者が打席に立つ。

 ウグイス嬢のアナウンスが流れ終えた後は―――。

 錦がバットを静かにそして力を入れて、握る。

 一塁の九衛が腰に手を当てる。


「錦先輩―――俺様に見せてくださいよ。どんな変化球も兵庫不遇の天才の前じゃ打てるってことを―――」


 九衛がそう言って、嬉しそうに錦を見る。

 二塁の紫崎がフッと笑う。


「フッ、ホームランの魔力に憑りつかれずにホームランをまた起こす。あの人の理論を越えたソレは呪いというより、精霊の加護でも受けているのかもな―――」


 ベンチの星川がバットを取り出して、楽しそうに錦を見る。


「安打を多く出す九衛君とは違って、錦先輩は対照的な打者―――こんなすごい選手を間近で日々観察できる僕は幸せ者です。絶対にメジャーリーガーになるために参考にさせてもらいますよ!」


 ベンチの松渡がまるでお湯につかったように目を細めて、星川の言葉に話しかける。


「投手目線から考えたら敬遠したくなるけど、勝負したいっていう気持ちも沸くよね~。ピッチャーのサガなのかな~? ネクストバッターの陸雄はどう思ってるか知らないけどね~」


 灰田がその言葉に応援を中断して、松渡を見る。


「点を取られまくった俺が言うのもなんだけどよ。打っても素直に喜べねぇんだよなぁ。プロ目指すっていうんなら、心の底から応援すっけどよ」


「灰田~。もうピッチャーの役目終わって、外野手に戻るんだから錦先輩の活躍を足蹴にしちゃダメだよ~?」


「わーてるよ。ったく! 強いのに謙虚以前に卑屈つーか自信ないつーのが気に入らねぇだけだつーの!」


 メンバーの会話を古川が無言で聞いて、スコアブックを書いていく。


(真伊已は必ずパームボールで勝負を仕掛けてくる。これは甲子園を意識した打席だと思い―――投げてくるだろう。錦、無理に打とうとするな。低めを警戒しろ)


 中野監督がその考えをサインで送る。

 錦がヘルメットに指を当てる。

 真伊已が構える。

 捕手がサインを送る。

 真伊已が首を振る。


(真伊已。どういうことだよ? 敬遠するのか?)


 捕手がサインを変える。


(そうじゃないですよ。相手は兵庫指折りの強打者―――試したいんですよ。全国に行けるかどうかを―――)


 真伊已が左スパイクをマウンドに二度軽く蹴る。

 そのサインに相手捕手が驚く。


(正気かよ? しかし―――優勢とはいえ、まずは初球をクサイところに投げたほうが―――)


 捕手がサインを送る。


(いや、時間ないんで初っ端からやりましょう。これで打たれたら、敬遠でも頷きます)


 真伊已の二度目の首振りに捕手がため息をつく。


(わかったよ。んじゃあ―――初球はそれでいこう)


 捕手がサインを送り、真伊已が頷く。

 真伊已がセットポジションに入る。

 錦がジッと投手を観察する。

 指先からボールが離れる。

 内角高めにボールが揺れながら飛んでいく。

 そして打者手前でボールが縦に落ちていく。

 打者の視線を上下させるパームボールだった。

 錦が見送る。

 捕手のミットにボールが収まる。


「―――ストライク!」


 球審が宣言する。

 スコアボードに108キロの球速が表示される。

 錦がバットを顔の方向に向けて、ブツブツっと聞こえない声で呟く。


(なんだぁ? 独り言? まぁ、手も出さなかったんだ気にすることはない。真伊已―――このままいくぞ)


 捕手が返球する。

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